大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福井地方裁判所 昭和51年(わ)206号 判決 1983年1月18日

目次

主文・・・・・・

理由・・・・・・

(被告人らの経歴、被告法人福井市農業協同組合の概要)・・・・・・

一 被告人天井定美の経歴・・・・・・

二 被告法人福井市農業協同組合の概要・・・・・・

三 被告人柳沢義孝の経歴・・・・・・

(犯行に至る経緯)・・・・・・

第一 被告組合が福井市明里町の土地を市公社に売却するまでの経緯・・・・・・

一 右土地の取得およびその転売の必要性の発生・・・・・・

二 本件土地をめぐる福井市などの動向と被告組合の対応・・・・・・

三 被告組合の常務理事間の脱税謀議に至る経緯・・・・・・

四 被告人天井による脱税を目的とする二本立て契約の承認・・・・・・

五 昭和四九年二月二六日の被告組合理事会の状況と被告人柳沢の本件脱税の認識・・・・・・

第二 覚書を伴う本件土地売買契約の締結と代金支払の経緯・・・・・・

一 覚書を伴う土地売買契約の締結・・・・・・

二 代金支払とその経理処理・・・・・・

第三 本件土地売買に関し、被告組合が市公社から昭和五〇年二月一日何らの証書によらずして一億円の支払を受けた経緯・・・・・・

一 被告人柳沢の同天井に対する追加一億円支払の依頼・・・・・・

二 被告人天井による追加一億円支払のための対県工作・・・・・・

三 被告人柳沢による追加一億円の脱税謀議に至る経緯・・・・・・

四 追加一億円の支払と本件土地のその後の県への所有権移転経過・・・・・・

第四 土地売買契約書および覚書の偽造に至る経緯・・・・・・

一 被告組合部内における右偽造などの必要性の発生・・・・・・

二 小寺伝らによる文書偽造についての謀議・・・・・・

(罪となるべき事実)・・・・・・

(被告人柳沢の覚書分一億円逋脱の不正手段としての公文書偽造の犯意の順次共謀による成立とその承認・指示による発現および被告人天井の公文書偽造の犯意の順次共謀による成立と被告組合にかかる右一億円および追加一億円の逋脱に対する幇助に関する各承認・指示による発現)・・・・・・

第一 被告人天井、同柳沢の有印公文書偽造の事実(被告人天井に対する昭和五一年一一月三〇日付起訴状記載の公訴事実第一および被告人柳沢に対する同五二年二月二八日付起訴状記載の公訴事実)・・・・・・

第二 被告法人福井市農業協同組合、被告人柳沢の法人税法違反の事実(右両名に対する同五二年二月六日付起訴状記載の公訴事実第一の一、二にかかる同五七年二月六日付予備的訴因追加申立書記載の第一の一、二の事実)・・・・・・

第三 被告人天井の法人税法違反幇助の事実(同被告人に対する同五一年一一月三〇日付起訴状記載の公訴事実第二にかかる同五七年二月五日付予備的訴因追加申立書記載の第二の一、二の事実)・・・・・・

第四 被告人柳沢の偽証教唆の事実(同被告人に対する同五三年七月二七日付起訴状記載の公訴事実)・・・・・・

(証拠の標目)・・・・・・

(争点に対する判断)・・・・・・

第一 被告人天井の判示第一、第三の一、二の各事実について・・・・・・

一 はじめに・・・・・・

二 被告人天井の検察官に対する各供述調書の任意性、信用性について・・・・・・

三 被告人天井の二本立て方式による本件土地売買契約の承認について(判示第一、第三の一、二の各事実の前提事実=犯行に至る経緯第一の四)・・・・・・

四 被告人天井の公文書偽造の犯意などについて(判示第一、犯行に至る経緯第四の三)・・・・・・

五 被告人天井の法人税法違反幇助の犯意について(判示第三の一、二)・・・・・・

六 追加一億円について・・・・・・

第二 被告人柳沢の公文書偽造の犯意などについて(判示第一)・・・・・・

第三 被告組合、被告人柳沢の判示第二の一、二の各事実について・・・・・・

一 昭和四九年分各犯則所得にかかる争点に対する判断(判示第二の一)・・・・・・

1 共済雑収入(別表(一)の被告組合の昭和四九年度分修正損益計算書の勘定科目欄番号<1>、五九万三〇〇〇円=以下「49-<1>、五九万三〇〇〇円」の様に表示する。)・・・・・・

2 購買手数料(49-<2>、三四七万六八七九円)・・・・・・

3 雑収入(49-<3>、一七一万五七五〇円)・・・・・・

4 固定資産処分益(49-<4>、一億円、50-<15>一億円)・・・・・・

5 育苗センター会計費用(49-<9>、七四万一八〇〇円、△二七万一九二〇円)・・・・・・

6 接待交際費(49-<11>、△五九万三〇〇〇円)、交際費限度超過額(49-<13>、五九万三〇〇〇円)・・・・・・

7 価格変動準備金繰入(49-<12>、五四三七万一〇七九円)・・・・・・

8 信用雑費用(49-<5>、二〇〇万円)、共済雑費(49-<6>、二〇〇万円)、購買雑費(49-<7>、二五〇万円)、販売雑費(49-<8>、二〇〇万円)、人件費(49-<10>、四四九万円)・・・・・・

二 昭和五〇年度分各犯則所得にかかる争点に対する判断(判示第二の二)・・・・・・

1 共済雑収入(別表(二)の被告組合の昭和五〇年度修正損益計算書の勘定科目欄番号<1>、三四万円=以下「50-<1>、三四万円」の様に表示する。)・・・・・・

2 購買品供給高(50-<2>、八一四七万一九〇〇円、△七六五四万五一〇〇円)・・・・・・

3 購買雑収入(50-<3>、一八八九万八八一〇円)・・・・・・

4 販売雑収入(50-<4>、九五万八一四六円)・・・・・・

5 雑収入(50-<6>、五六三万円)・・・・・・

6 価格変動準備金戻入(50-<7>、△五四三七万一〇七九円)、同準備金繰入(50-<12>、七六六九万一四三円)(<12>マイナス<7>=二二三一万九〇六四円)・・・・・・

7 購買品供給原価(50-<8>、九〇二七万一三二一円、△七二六〇万六二九〇円)・・・・・・

8 育苗会計費用(50-<9>、一九一六万七九五五円、△九五万八一四六円)・・・・・・

9 接待交際費(50-<10>、△八五万九五七一円)、交際費限度超過額(50-<13>、八五万九五七一円)・・・・・・

10 減価償却費(50-<11>、三六九万二一四三円)・・・・・・

11 保管料(50-<5>、七九六万二二一二円)・・・・・・

三 圧縮記帳について・・・・・・

(法令の適用)・・・・・・

(量刑の事情)・・・・・・

別表(一) 被告法人福井市農業協同組合の昭和四九年度分修正損益計算書

別表(二) 右同組合の昭和五〇年度分修正損益計算書

別表(三) 右同組合の昭和四九年度分脱税額計算書

別表(四) 右同組合の昭和五〇年度分脱税額計算書

本籍

福井市田原二丁目二二〇五番地

住居

福井市田原二丁目三番一一号

会社員(元福井市企業管理者、同市財政部長兼福井市土地開発公社理事)

天井定美

大正一四年六月二日生

主たる事務所の所在地

福井市淵町第一〇号一番地

法人の名称

福井市農業協同組合

代表者の住居

福井市和田中町水替二番地

代表者の氏名

寺岡一夫

本籍

福井市岸水町第一三号二四番地

住居

福井市四十谷町第一三号二三番地の一三

農業兼福井市議会議員(元福井市農業協同組合長理事)

柳沢義孝こと柳澤義孝

大正七年一二月六日生

右天井定美に対する有印公文書偽造、法人税法違反幇助、福井市農業協同組合に対する法人税法違反、柳沢義孝こと柳澤義孝(以下「柳沢義孝」と表示する。)に対する法人税法違反、有印公文書偽造、偽証教唆各被告事件について、当裁判所は検察官加澤正樹出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

一1  被告人天井定美を懲役一年に処する。

2  この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

3  訴訟費用のうち証人小林正雄(昭和五五年三月六日実施分)及び同倉田靖司に各支給した分はいずれも被告人天井定美の負担とする。

二  被告法人福井市農業協同組合を罰金二〇〇〇万円に処する。

三1  被告人柳沢義孝を懲役二年六月に処する。

2  この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

3  訴訟費用のうち証人小林正雄(昭和五六年三月一七日実施分)に支給した分はこれを被告人柳沢義孝の負担とする。

理由

(被告人らの経歴、被告法人福井市農業協同組合の概要)

一  被告人天井定美の経歴

被告人天井定美は、昭和一七年一二月福井市立福井商業高等学校を繰り上げ卒業後、翌一八年四月渡台し、台湾総督府立台北師範学校に入学したが、病気のため内地に帰り、代用教員などの職を経て、同二〇年八月ころ京都深草野砲隊に入隊したものの、間もなく同所で終戦を迎え、復員後は農業などの仕事に従事していたが、同二二年一一月二六日天井伶子と婚姻してからは天井家の家業である酒造業、酒類販売業などを営んでいたところ、同三四年九月そのころ当選した坪川信三福井市長にその熱心な青年団活動などの実績をかわれ、民間人から福井市教育委員会の社会教育課長に登用され、爾来同市の商工課長、商工部長、都市開発部長などを歴任し、同四五年四月一日市長公室長に、同四八年一二月二四日同市財政部長に、同五〇年一〇月一日特別職である福井市企業管理者に就任し、同五一年一二月六日依願退職したが、この間福井市開発部長時には、財団法人福井市開発公社の理事を、市長公室長時には、同公社常務理事を兼任し、昭和四八年四月六日以降同五〇年九月三〇日財政部長を退職するまでは公有地の拡大の推進に関する法律(以下「公拡法」と略称することがある。)に基づく右公社の組織変更後の公法人たる福井市土地開発公社(以下「市公社」と略称することがある。)の常務理事を、企業管理者に就任してからは同公社の理事を兼任していたものである。

ところで、市公社は、公拡法一〇条により公共同地、公用地などの取得、管理、処分などを行なうことにより、地域の秩序ある整備と市民福祉の増進に寄与することを目的として設立されたものであり、被告人天井は、市公社の常務理事として理事長、副理事長を補佐し、市公社の日常の業務を処理する権限を有していたものである(福井市土地開発公社定款参照=被告人天井の弁護人請求証拠番号四〇)。

二  被告法人福井市農業協同組合の概要

被告法人福井市農業協同組合(以下「被告組合」又は、「市農協」と略称することがある。)は、昭和四五年八月五日、福井市内の一七の単位農協が合併して設立(その後更に三単位農協が加入)されたもので、組合員が協同してその農業の生産能率を挙げ、経済状態を改善し、社会的地位を高めることを目的とし、信用、共済、購買などの事業を行う農業協同組合法にいう法人であり、その主たる事務所である本所は、合併以来永らく福井市淵町第七号二〇番地所在の被告組合社支所内に置かれていたが、同五〇年四月七日、そのころ新築完成した同市同町第一〇号一番地所在の被告組合の本所会館(以下「農協会館」と略称することがある。)に移転し、支所としては、右社支所ほか一九支所を有し、同五〇年一二月三〇日当時の組合員数は、八六六八名、同五二年一月二五日当時の出資金は六億三七四五万円にまで達している。被告組合の組合長理事は、設立当初より昭和四九年二月二八日までが山田等、同年三月一日以降同五一年九月三〇日までが被告人柳沢義孝、同年一〇月一日以降同五五年二月二九日までが伊東勉、同五五年七月一日以降は寺岡一夫となっている。

三  被告人柳沢義孝の経歴

被告人柳沢義孝は、薬局の店員などを経て、昭和一四年ころ陸軍に入隊し、経理関係の軍務に服していたが、同一八年ころ柳沢家に婿養子に入り、終戦後しばらくの間農業や家業の製紙業に従事し、同二一年ころから農協関係の仕事に関与するようになり、大安寺農業会理事、大安寺農協専務理事、同組合組合長理事を経て、同四五年八月、被告組合が設立されると同時に被告組合大安寺支所長に就任して約一年間勤務したほか、そのころから同四九年二月末日まで被告組合の非常勤理事の地位にあったが、前記のとおり同年三月一日被告組合組合長理事に選任され、同年六月末までは非常勤であったが、同年七月一日から同五一年九月三〇日に組合長理事を辞職するまでは常勤の組合長理事として名実ともに被告組合を代表し、理事会の決定に従って業務全般を統括処理していたものである。又、この間被告人柳沢は、昭和二四年ころから福井県大安寺村の村会議員を勤め、同三七年八月以来福井市市議会議員に連続当選し、同四六年六月には同市市議会議長に選任され、同四九年五月一二日施行の福井市長選挙に立候補した際、一旦市議会議員を辞職したが、同市長選挙に落選したため、同五〇年四月二七日施行の同市市議会議員選挙に再び立候補して当選し、現在に至っている。

(犯行に至る経緯)

第一被告組合が福井市明里町の土地を市公社に売却するまでの経緯

一 右土地の取得およびその転売の必要性の発生

被告組合は、昭和四六年二月一六日岡本金右エ門ほか二六名の被告組合組合員所有の五五筆の土地(一部福井市の土地を含む。以下「本件土地」又は「明里土地」と略称することがある。)および同組合員永田弥作所有の土地(以下「永田分」と略称することがある。)、以下合計面積約四二二〇・六二坪(以下「本件土地など」と略称することがある。)を右組合員(以下「旧地主」と略称することがある。)の希望する将来建設予定の農協会館の建設候補地として代金合計二億一九四七万四九五四円(坪当り約五万二〇〇〇円)で買受け、同年七月ころ右代金を完済したが、同四七年秋ころ本件土地などが農協会館の敷地としては手狭であったため、別途購入していた福井市淵町第一〇号一番地(現在の被告組合の本所所在地)の約九〇〇〇坪の土地に農協会館を建設することを決めた。

ところで、被告組合の当時の業務執行は、組合長山田等が福井県農業協同組合中央会など県五連の常務理事(副会長)として出向しており非常勤であったため、常勤理事の坂本秀之(「坂本」と略称することがある。以下事件関係者の氏名については、最初に掲げたものの繰り返しのときはその姓のみ記載することがある。)が副組合長として組合長を代行して業務一般を掌理し、専務理事坪川均がこれを補佐し、重要な案件などについては、右両名のほか同室で執務していた常務(常勤)理事寺岡一夫、前川一雄らと常務役員会(又は常務会ともいう。)を構成し適宜合議決定する体制がとられていた。本件土地などは福井市の土地区画整理事業の対象地で、しかも換地処分の手続が遅延するなどしたため、旧地主から被告組合への所有権移転登記が遷延し、かくするうち、契約後周辺土地の地価が高騰などしたため、旧地主は移転登記に応ずるには旧地主が契約以来実質的に被告組合に代わって支払ってきた固定資産税や都市計画税はもとより譲渡所得税相当分までも被告組合が負担すること、契約当初の含みであった農協会館の建設ができないのであれば、それに代わって地元の利益や発展につながるような公共的施設を誘致することなどを強く要望するようになり、他方本件土地などについては特段の利用計画もなかったので、農協会館建設資金を捻出するための本件土地などの転売処分が必至であった関係上、同四八年五月二日付で被告組合と旧地主の代表者である岡本金右エ門との間で本件土地を転売する際は、地元発展につながる公共的施設を誘致しなければならないとの覚書を交わして永田弥作を除く旧地主の了解を取りつけ、その後、同年六月ころようやく本件土地につき、被告組合のため所有権移転登記を経由するに至ったが、被告組合の以後の転売交渉は、右覚書の趣旨に拘束されながら主として坪川の補佐を得ながら坂本の手で進められることとなった。

二 本件土地をめぐる福井市などの動向と被告組合の対応

本件土地が福井市(以下「市」と略称することがある。)において最初に話題とされたのは、昭和四七年一〇月末ごろ、市の庁議の際、当時の小島竜美財政部長において市農協が市やその他の公共団体に本件土地を売却したい意向を持っていると紹介したことに始まり、当時市長公室長であった被告人天井もこのとき初めて本件土地のことを知ったのであるが、その後、市の幹部職員らは、本件土地が五〇〇〇坪に近いまとまった土地であるうえ、その使途が多目的であることに着眼し、とりあえず、市公社をして先行取得させることに決し、同四八年三月、当時市の企画調整課がパークアンドライド方式による郊外駐車場の設置を考えていたので、一応右駐車場用地の予定で市公社の昭和四八年度当初予算に坪七万円、五〇〇〇坪分の明里用地取得費三億五〇〇〇万円が計上された。その後、これを受け、被告人天井が、同年四月ころ企画調整課長の栃川守夫に対し本件土地の買受交渉を指示した結果、右栃川は、同年六月ころ市公社事務局長上田三良と共に市農協を訪ね、坂本、寺岡らに前記駐車場用地として本件土地の譲り受けを申し入れたが、同人らから前記の如き旧地主との約束があったため、単なる駐車場では地元の発展につながらないうえ、公害問題さえ生じるおそれがあることなどを理由に市に譲渡すること自体には異存はないが、右用途には難色を示された。ところが同年一〇月に至り、坂本は、被告人天井に対し、福井県の中小企業課や婦人児童課から中小企業センター用地ないし県児童相談所用地として本件土地の引き合いがあるが、市農協としては市に日頃何かと世話になっていることゆえ(なお、同年三月福井市議会では市農協に対し、農協会館建設補助金として、昭和四八年度当初予算に一〇年割賦で一億円交付する旨議決しているものである。)、市以外のものに譲渡するつもりがないことを伝えていた。一方、福井県の中小企業課や婦人児童課では、同四八年五月ころから市農協に対し本件土地を譲り受けたい旨の希望を表明していたが、市農協から市へ売却したいとの内意を漏らされてからは市もしくは市公社に対し、特に明里用地取得のための具体的なあっせん依頼をしなかった。

ところで、被告組合は、農協会館の建設費として当初三億円位を予定し、前記のとおり、市から一億円にのぼる補助金の交付を受けることになったものの、同四八年秋ころには当時の建築資材高騰のあおりを受けて右金額の約三倍の約八、九億円を要することが見込まれるに至り、右資金の捻出のためいよいよ本件土地の売却を急ぐこととなり、同年一二月二一日開催の被告組合理事会において本件土地を市公社に売却処分することを決定した。市農協において売却先を市公社に選定したのは、後記のとおり、当時の島田博道福井市長の尽力によって難航していた市農協の合併が成功したことや、その後も前記のように市から補助金を受けていたことなど従前から市と密接な利害関係を持っていたからである。そして、右決定がなされた二、三日後ころ、坂本において市役所にそのころ財政部長に就任した被告人天井を訪ね、右理事会の決定を伝えて本件土地を買受けるよう要請し、これに対し被告人天井は市公社に指示協力させること、県の施設の誘致に努力することを約諾し、これ以後本件土地売買をめぐり市農協と市公社間の本格的かつ具体的な折衝が、坂本の命を受けた市農協の天谷甚兵衛開発課長と被告人天井の命を受けた上田三良市公社事務局長との間で進められることになった。

三 被告組合の常務理事間の脱税謀議に至る経緯

その後、坂本は、他の常務理事に対し、本件土地の買受けにつき被告人天井の了承が得られたことを報告するとともに、市公社との具体的な売買代金額決定の交渉に備えるため、同四九年一月ころ天谷に対し、明里用地の取得に要した諸費用の調査を命じた。これを受けて天谷は、被告組合管理課長森下嘉津栄を介して管理課係長の中山龍夫に右調査を依頼し、その後右森下から「土地購入代金二億一九四七万四九五四円、税相当額(一〇%)二一九四万七五〇〇円、右合計二億四一四二万二四五〇円、借入金利子四四六三万九二九五円、購入に要した費用一〇〇万円、登記料二〇八万一五〇〇円、不動産取得税一四七万九三三〇円、水道負担金六七万七五八一円、利子および費用合計四九八八万七二〇六円」なる諸費用などの明細を書き出したメモ(以下「天谷メモ」ということもある。)を受け取り、これを坂本に渡して諸費用の明細を説明した。坂本ら常務理事は、そのころ、天谷メモを基に売買代金額を協議した結果、買主が民間会社でなく日頃世話になっている市の外郭団体たる市公社であり、従って、代金をあまり高く釣り上げるわけにもいかないので、旧地主に支払う土地代に前記諸経費を加えたところの右取得原価にせいぜい坪当り二万円程度合計一億円位を譲渡差益として上積みし、その合計額をもって売買予定価額とし、なお、右一億円を農協会館の建設費用に充当することを決めた。なお、その際、坪川は、それ以上の上積みを主張したが、通らなかったものである。

ところが、同年一月二二日ころ、坪川は、常務理事間で決めた右売買予定価額を市公社に認めさせるとともに右譲渡差益相当分一億円については、全額農協会館建設費に充てることを考え、その方法としては売買代金の内から右一億円を控除して裏金とし、売買契約書とは別途に右一億円につき本来的には所定の手続をとることによって始めて非課税扱いとされる補助金名目で支払を受けるという仮装内容の覚書を締結してその分を脱税することを企て、坂本ら他の常務理事に相談することなく独断で、今後右のような二本立ての契約交渉を側面から円滑かつ有利に進めるための布石として福井市長宛の農協会館建設補助金一億円の増額陳情書を提出することを思いつき、被告組合の参事伴岩男に命じ、昭和四八年に市から被告組合に一億円の農協会館建設助成金を交付する旨の内示をいただいたが、諸物価、特に建設資材の高騰により右会館建設に伴う被告組合の経営圧迫は必至であり、更に右助成金を一億円増額してもらいたい旨の同年一月二三日付陳情書を作成させ、翌二四日、自ら市の農林部農政課に提出し、その後、上田事務局長に会って「農政課へ陳情書を出してあるけど市農協と契約する際、あの一億円は裏金にして出して欲しいんや。」と陳情書提出の趣旨・目的を説明した。ところで、農協会館建設補助金一億円の交付は、次のような経緯に基づくもの、すなわち、昭和四〇年代の初めころから、政府の施策に沿い、全国的に農協合併推進の気運が高まり、当時の福井市長島田博道も農政の円滑化と農協の経営基盤の安定という見地から中小農協の合併集中を図り、とりわけ大型農協として被告組合の合併成立を積極的に推し進めたが、数多い単位農協間の利害が対立するなどして難航したので、同市長と農協側の合併対策委員会でその後被告組合の初代組合長に就任した山田等との間で、同四五年一月二七日、市長は被告組合が将来農協会館を建設するときその建設費の三分の一を下らない額を助成するよう努力する旨の覚書(以下「合併覚書」と略称することがある。)が締結されたことなどがあって、ようやく被告組合の合併が実現し、その後、被告組合が右補助金の申請をしたところ、島田市長は右合併覚書の趣旨に則り、昭和四八年度から毎年一〇〇〇万円宛一〇年間に互る分割であるとはいえ、合計一億円に達する多額の補助金の交付などを内容とする昭和四八年度当初予算案を上程し、同四八年三月市議会によりそのとおり可決されたものであるところ、市および被告組合の関係者の間では、右補助金交付の決定により、一〇年割賦払いという支払方法の点で同組合側に不満足があったとしても、合併覚書の趣旨どおりの履行が果されたとの理解で一致していたものであり、ただ、その後、被告組合側の事情により農協会館の敷地の選定や工事の着工が遅れ(そのため右補助金は、昭和四九年度から交付されている。)、その間に建設資材が高騰し、建設費が当初予定の三倍近い約八、九億円を要することになったが、坪川をはじめ他の常務理事達もこれによって再度合併覚書が物を言うようになり、市が更に右建設費の増大に見合った補助金を増額交付してくれるなどという虫がいい観測をしたわけではなく、従って、前記のとおり市に対し、助成金の増額陳情書を提出した坪川の真意も、これによってあわよくば文字どおり正式の助成金を獲得しようというのでなく、市を相手とする具体的な売買交渉の場において、側面から一億円の譲渡差益を上積みした額で売買代金が決着を見るよう、また、そのうえ上積み分の脱税を図るため、二本立て方式の契約を締結するのに都合がよいようにと計らっておくための一つの根回し工作であるという点にあったものである。

そして、同年一月下旬ごろ、被告組合の常務理事の間で売買契約の方式・内容についての最終的な協議が重ねられ、その中で特に本件土地売買が税率の高い短期譲渡に該当する結果、高額の税金を負担せねばならなくなることが懸念され、又約一億円の譲渡差益を含んだ売買代金がそのまま公表されると、旧地主から被告組合は安く買って市公社に高く売りつけ、多額の利鞘をかせいだという非難をも招きかねないので税金面はもとより、旧地主感情に対する配慮も必須の課題となり、先ず、前記のとおりの経緯で、もはや到底合併覚書を根拠にして農協会館に対する正規の建設助成金の交付を要求できる筋合でないことを充分承知していたものの、今一度合併覚書を持ち出してみて市公社から助成金として一億円の譲渡差益分の交付を受けられはしまいかと考え、そのころ坂本が市公社に打診してみたところ、市公社の性質上助成金などは支給できないとの理由で一蹴され、やむなく一挙に前記の両課題を解決すべく坂本から市公社との契約方式は被告組合が旧地主に支払った土地代金および旧地主が移転登記までに負担した税相当分の合計額のみを売買代金として土地売買契約書に計上し、譲渡差益相当分およびその他の費用は農協会館建設助成金名目にして、あたかも補助金であるかのように仮装して別途覚書に記載・計上するという二本立てにし、これによって覚書記載分の土地代金を公表土地代金から除外する方法で脱税することが提案されたところ、坪川は前記のように坂本とほぼ同じ考えと狙いをもって、すでに市長宛に助成金一億円の増額陳情書を提出したほどであったから、異論があるはずもなく、これに賛成し、寺岡、前川らもこれに賛同したため、ここにおいて被告組合の常務理事間で二本立て方式の契約締結による脱税の謀議が成立するに至った。

そして、同四九年一月下旬ころ、坂本から市公社との間で二本立ての方式による契約を締結するようにとの指示を受けた天谷は、被告人天井の命を受け売買代金額欄を空白にした一本の売買契約書案を携行して契約交渉のため被告組合役員室を訪れた市公社の上田に対し、同席した坂本とともに天谷メモを上田に渡してこれを示しながら本件土地購入代金が合計二億四一四二万二四五四円(永田分も含む)で利子および費用合計額が四九九八万七二〇六円であることを説明し、土地取得原価に農協会館建設資金として一億円を上積みしてもらいたいこと、上田持参のような一本の売買契約書によらず、先ず、土地売買契約書には旧地主に支払った土地購入代金の二億四一四二万二四五四円だけを上げることにし、この農協会館建設資金にあてる一億円と利子および費用合計額の概算五〇〇〇万円を合算した一億五〇〇〇万円は農協会館建設補助金という名目で別契約の覚書に上げて欲しいこと、その理由は、農協会館建設候補地の含みで旧地主に土地を安く提供させておきながら、高く転売して値上り益をもうけたと思われるのを避けるためと、被告組合は右覚書分につき税金を免れるつもりである旨述べて右二本立て方式による契約締結と脱税協力を依頼した。上田は、天谷が提示した代金額のうちに一億円という高い譲渡差益が含まれていたので、先ずできるだけ代金額を低く押さえたいと考え、右一億円から一〇〇〇万円減額することを要求したところ、天谷もこれを受け容れ、次いで二本立て方式については、市農協が覚書分の脱税を企図していることが明らかであったから、一旦はこれを拒否したものの、あくまで天谷らが固執するので二本立て方式などの採否は上司に相談して後日あらためて返答する旨告げ、市公社に帰った。

四  被告人天井による脱税を目的とする二本立て契約の承認

上田は、同日午後、市役所の財政部長室において被告人天井に対し、天谷メモを見せながら天谷や坂本から聞いたとおり明里用地に関する市農協側の取得原価の明細を説明し、次いで市農協が右原価に対し農協会館建設補助金名目で譲渡差益九〇〇〇万円の上積みを希望しているうえ、地主対策と税金逃れのために二本立て方式による契約の締結をも要求していること、すなわち、売買代金額のうち上積みされる譲渡差益分の九〇〇〇万円と利子および費用の概算五〇〇〇万円を合わせた一億四〇〇〇万円は本来の売買契約書とは別個の覚書に農協会館建設補助金という名目を付して計上して欲しい旨要求されたが、自分としては市公社の性質上とにかく補助金を交付できないから覚書上の表現は農協会館建設資金という文言にすべきだと述べただけで帰って来たが、どのように対応したら宜しいものかと被告人天井の裁断を仰いだ。被告人天井は、市農協が以前から農協会館の建設予定地をめぐり地主組合員に反感を持たれていることを聞き知っていたので、地主対策というのは、市農協が金もうけのために地主から土地を取り上げたといわれるのを回避しようとするものであり、税金対策というのは、本来市公社が補助金を出せる筋合いでなく、又覚書分の一億四〇〇〇万円も所詮は実質的に土地代金にほかならないから、これを公表収益に計上しないで脱税するためであることは直ちに理解できたが、市公社が脱税するわけでなく、又本件土地が坪当り約九万円の安い価格である以上、市農協の気の変わらないうちに購入するのが得策だと考え、そのためには右要求を受け容れて市農協の脱税工作に協力するのもやむをえないものと即断し、「それで売ってくれるんなら仕方ないじゃないか。そういうような書類を作ってやらな仕方ないんじゃないか」と上田に答え、市農協側の要求を全面的に容認して事務処理をするように指示した。そこで、上田は被告人天井の右指示に基づき市農協の前記要求に沿った二億四一四二万二四五四円の土地売買契約書と一億四〇〇〇万円の覚書の各原案を作成して被告人天井にこれを見せ、その了解を得て、市農協に赴き、二本立て方式で契約することについて上司の承諾が得られたことを伝えたうえ、右原案二通を天谷に示した。天谷は、右各原案を見て土地売買契約書の売買代金額中に訴訟沙汰に発展・係争中の永田分も含まれていたので、これを除外するのが適当であると考え、右事情を上田に話して了解をとりつけ、売買代金額を二億三六五七万三一九二円と減額訂正するとともに、その際の上田の申入れを容れて、右紛争解決後被告組合から市公社に永田分を譲渡するため追加売買契約を締結する合意を覚書の条項中に挿入した。その後、上田は市公社の用地第一係主事山田正邦に本件土地取得についての決裁伺書の作成を命じ、土地売買契約書と覚書の各原案が添付してある同年一月二九日付起案にかかる「公共用地の先行取得について」と題する決裁伺書(昭和五二年押第六六号の3、符箋番号1で永田分の面積・金額に相当する分の減少・訂正前のもの)を、同年二月二日自ら持参して被告人天井ら市公社常務理事の決裁を受け、その際被告人天井は添付されている両原案が自己の指示にかなったものであることを確認のうえ決裁印を押したが、本件土地売買の交渉につき被告人天井に一任していた市公社副理事長(市助役)山際喜一、市公社理事長(市長)島田博道らは、単に被告人天井と充分相談済みであることについて念を押しただけで決裁印を押した。

そして、同年二月五日ころ、福井市における昭和四九年度当初予算中、農林部関係予算に対する市長査定の場において、近藤重功農林部長が、前記同年一月二三日付の坪川提出の助成金増額陳情書を示したうえ、市農協に対し昭和四九年度において更に一億円補助金を増額して交付されたい旨述べたところ、島田市長は昨年度に一億円の助成をしたことを理由に難色を示したところ、同年一月二四日ころ、右市長査定に先立って行なわれた財政部長査定の際、近藤から右陳情書のことを聞かされ、右陳情の趣旨を市農協から本件土地を坪九万円で購入する総土地代の中に含めることで生かし、具体的には農協会館建設資金に充当される覚書分の中で賄って処理してやれば十分であると考えていた被告人天井から、島田市長に対し、この件は明里の土地代の中で処理解決ずみであるという趣旨の説明が付陳され、市農協との契約に関する具体的経緯などについて知悉していなかったため右説明を十分理解し得なかった島田市長は、「うん、うん」とうなづいた程度にとどまり、それ以上突っ込んだ議論に発展しないまま右陳情の件はこの場で採択されなかった。

五  昭和四九年二月二六日の被告組合理事会の状況と被告人柳沢の本件脱税についての認識

昭和四九年二月二六日午後二時ころ、「東安居土地用地((注)本件土地のこと)売買契約について」及び「本所会館設計について」と題する協議事項を審議する被告組合の理事会が開催され、定員二四名中二三名出席した全理事に本件土地についての土地売買契約書と覚書の原案の各写が配布され、伴岩男参事や坂本から売却に至る経緯、二本立て契約にした理由、代金額などの説明がなされたところ、滝波義隆理事から覚書の一億四〇〇〇万円が課税対象にならないのかとの質問がなされたので、坂本は脱税するつもりであるとまであからさまには言いづらかったので、「市から農協会館の建設資金の助成をしてもらうということになるので税の対象にはならない」旨説明し、これを聞いていた坪川も坂本の答弁を補足する形でこの理事会で覚書を伴う二本立て方式による契約の締結が承認されれば課税を免れうるはずであるということを暗に含んだ趣旨で「一億四〇〇〇万円認めてくれればならない」旨発言し、滝波ほか他の理事全員の承認を得た。そして、被告人柳沢も非常勤理事として最初から右理事会に出席していたが、昭和三七年以来市会議員となり、当時市議会議長で、かつ市公社の副理事長でもあった関係上、もとより市公社が法律上助成金などを交付できる公法人でないことを知悉していたので、坂本らの説明を聞いて、どのような名目をつけようと覚書分も実質は土地代金の一部であり、当然課税の対象になるはずであるから、二本立て契約の真の狙いや坂本ら常務役員の発言した真意は、被告組合が覚書分の一億四〇〇〇万円を経理上土地代金に計上しないで、その分脱税することにあることを十分察知したのである。

第二覚書を伴う本件土地売買契約の締結と代金支払いの経緯

一 覚書を伴う本件土地売買契約の締結

かくして、被告組合と市公社との売買契約は、昭和四九年二月二七日当時の被告組合長理事山田等、市公社理事長島田博道との間で締結されたが、右契約については、前述のとおり、被告組合側の要望により、土地代金三億七六五七万三一九二円(坪当り約九万円)のうち二億三六五七万三一九二円を土地売買契約書(昭和五二年押第六六号の1、同五四年押第三一号の56、以下「作り変え前の売買契約書」と略称することがある。)に計上し、残金一億四〇〇〇万円は右契約書とは別途に覚書(同五二年押第六六号の2、同五四年押第三一号の57、以下「作り変え前の覚書」と略称することがある。)として「第一条福井県の依頼……(省略)……乙((注)被告組合を示す。)が地元土地所有者より取得した時より甲((注)市公社を示す。)に譲渡するまでの諸経費に相当する金一億四〇〇〇万円を乙が建設を予定している農協会館の建設資金として昭和四九年九月一日に支払うものとする。」旨記載されているほか、上田において、被告人天井から本件土地は福井県も物産観光センターないし中小企業センター用地として購入を計画している旨聞いていたので、当時正式に県から購入の依頼はなかったが、旧地主感情に対する配慮などから市公社が福井県の依頼により福井県物産観光センター並びに中小企業センター建設のため買受ける旨作り変え前の売買契約書の第一条に記載されている。

二 代金支払とその経理処理

本件土地の売買代金については、すべて市公社が被告組合から借入れて、被告組合に支払われているところ、先ず作り変え前の売買契約書分の二億三六五七万三一九二円については昭和四九年三月二八日被告組合の本所に開設されていた市公社名義の当座預金口座から売買代金支払いとして、次に作り変え前の覚書分の一億四〇〇〇万円については、同年九月二一日被告組合の本所に開設されていた市公社名義の普通貯金口座から一般補助金支払としていずれも振替出金の形で支払われており、本来的には後者の金も土地代金にほかならないから、土地売却代金収入(固定資産処分益)として計上すべきところ、被告組合においては、前記のとおり、これを非課税扱いとする意図により、同日一般補助金として受け入れ、更に同年一二月二五日付で右受け入れた一般補助金を建設仮勘定に振替えて同勘定を圧縮し、右一億四〇〇〇万円を収益から除外するという経理処理がなされた。

第三 本件土地売買に関し、被告組合が市公社から昭和五〇年二月一日何らの証書によらずして一億円の支払を受けた経緯

一 被告人柳沢の同天井に対する追加一億円支払の依頼

被告人柳沢は、本件土地の売買契約後の昭和四九年三月一日被告組合の非常勤の組合長理事に就任したが、当時建設資材の高騰などにより農協会館の建設費が当初の予定額を大幅に越える見込みとなったため、右建設資金の捻出が依然として被告組合部内での重大な懸案事項となっていたので、前記のとおり、被告人柳沢自身被告組合の合併前から農協の仕事に携わり、市議会議員としての長年にわたる経歴もあったうえ、前記昭和四九年二月二六日開催の理事会に出席していたことなどから、合併覚書の経緯や島田市長の尽力により昭和四八年に同年度から一〇年年賦で一億円にのぼる多額の補助金が交付されることに決定したという形で右合併覚書の政治的約束が果たされたこと、更に合併覚書を利用した坂本らの強引な交渉により本件土地売買契約に際し、九〇〇〇万円の譲渡差益が農協会館建設資金名目で、しかも非課税扱いを狙った覚書分として支払われることになったのも十分承知していたものの、建設資金の三分の一助成を約した合併覚書の形式的文言を盾にとれば、昭和四九年当時農協会館建設費の見積りは当初計画の約三倍に達する約九億円であったから、補助金の枠はその三分の一の三億円ということになり、前記割賦補助金合計一億円と譲渡差益九〇〇〇万円との合計一億九〇〇〇万円を差し引いてもなお一億円余の補助金の枠が残っているはずであり、これに、市公社に売却した本件土地の坪単価約九万円が最低一三万円を下らない周辺土地の時価と比べて安すぎ、仮に一億円の追加払いを受けても坪単価は約一一万円となって、依然時価を下回ることになることも絡ませて要求すれば、市公社から更に一億円の追加支払を受けうるやも知れぬと思いつき、同年三月中旬ころ福井市役所の助役室を訪れた際、被告人天井や山際助役に対し、本件土地売買に関し、「坪九万円で売ったが安すぎた。市から農協会館建設費を三分の一補助してもらう約束があるのだからもう一億もらいたい」旨の要求をした。被告人天井は、柳沢の要求が前記合併覚書を根拠とするもので市と市農協との間で既に事実上決着済みのことであるうえ、坂本らの要求を容れ、右建設費に充当を予定して覚書の形式をかりてまで本件土地代につき九〇〇〇万円の譲渡差益を上積みしたことでもあり、市の財政難の折又しても被告人柳沢から無理難題を持ち込まれ一応困惑したものの、市議会議長を兼ねる被告人柳沢や市議会議員を兼ねる理事八名あまりを擁する強力な圧力団体である市農協の意向に逆らっては今後における市政の円滑な遂行上何かと不便、不都合であると考え、県が本件土地の買収計画を有し、昭和四九年度当初予算に買収費を計上したことを承知していたので、県に本件土地を市公社の買収価格より一億円高く買ってもらい、その分を市公社から市農協に追加して支払うようにすれば、市ないし市公社の懐も痛めず、八方丸く収めることができるものと考え、被告人柳沢に対し、「あなたの方が県と交渉して本件土地を一億円高く買ってもらえるように話をつけて下されば、その分の果実は全部差し上げる」旨回答した。その後、同月下旬ころ被告人柳沢は被告人天井に対し、「福井県と交渉の結果、県が本件土地を市公社、市農協間の売買代金三億七六五七万三一九二円のほかに一億円助成することについて検討してもよいという意向をもらしているので、その線で事務的に話を進めてもらいたい」旨の申出をした。

二 被告人天井による追加一億円支払いのための対県工作

ところが、昭和四九年三月二四日、福井市長兼市公社理事長島田博道が急死し、被告人柳沢と当時の市総務部長であった大武幸夫が同年五月一二日施行の福井市長選挙に立候補することになり、被告人天井は他の最高幹部職員である山際助役、小島竜美収入役とともに右大武候補を応援することとなったが、同年四月中旬ころ市農協の坪川、柴田からも県との交渉をせかされるや新市長誕生までに被告人柳沢らの依頼にかかる県との交渉を進めておかないと、被告人柳沢が市長となったときには怠慢のそしりを免れないであろうし、大武が市長となったときには何らかの既成事実を作っておかないと同人が早速苦しい政治的決断を迫られ、事態が紛糾することが予想されたので、山際や小島との相談のうえ、市長選挙前に県と追加一億円捻出のため本件土地の転売について交渉することを決めた。

一方、福井県においては、昭和四九年二月一〇日の知事査定において本件土地を普通財産として取得すべく総務部管財課を主管課と定め、同年度の当初予算に買収費として三億九六〇〇万円を計上し、同年三月二三日県議会で右予算が可決成立した後、同月下旬ころから管財課長高村義裕の命を受けた同課課長補佐藤井之夫や同課員島本正昭において市公社の上田事務局長と本件土地の買収交渉に入り、同年四月中旬ころからは高村が金額を中心に被告人天井と直接交渉を始めた。被告人天井は、ひとまず被告人柳沢の要求する追加一億円を県から正式な補助金として市農協に交付させることを思いつき、県の豊住章三総務部長にその点を打診してみたところ、同人から既に県としては正規の基準に則り市農協に建設補助金を交付することになっているので、これ以上は他の農協との均衡もあるとの理由でにべなく断られたので、被告人柳沢の示唆する県への転売価格を市公社の購入価格に一億円上積みして捻出する方法で支払うほかないと考え、同年五月ころから高村との交渉に入り、先ず、本件土地と県所有の福井市大宮二丁目所在の土地(通称幾久グラウンド)との交換を申し入れたが双方の条件が折り合わず、次いで直接県に本件土地を売却することとし、高村に対し、四億八〇〇〇万円という代金額を提示し、その理由につき、合併覚書など関係書類を示しながら市は市農協との間で農協会館建設費の三分の一を助成すると約束していること、市農協は当初明里に三億円位で農協会館を建てる予定でいたが、その後、社に建てることに変り、建設費も九億円あまり必要となったこと、そこで市としては約束に従い市農協に三億円を支払わねばならなくなったが、そのうち一億円については一〇年割賦の補助金で交付することになっており、もう一億円は既に本件土地代の中に盛り込んであるが、なお残りの一億円が不足しているので、市公社が市農協より買受けた価格より一億円高い四億八〇〇〇万円位で県に買ってもらって工面したい旨申し入れた。高村は、被告人天井の右要求があくまで市農協と市との間の補助金交付に関する約束事に過ぎないものをそれと全く無関係な第三者に過ぎない県にまで押しつけて市が引き受けるべき負担を県に転嫁を図る不当なものであると判断し、県としては三億八〇〇〇万円と金利負担分しか支払えない旨被告人天井に回答し、その後上司である豊住に被告人天井が筋違いの要求を持ち出していると述べたうえ、右交渉内容を報告した。

被告人天井は、代金額をめぐる高村との交渉が進捗しなかったので、同年六月中旬ころから豊住との直接交渉を始め、特に本件土地代が四億八〇〇〇万円となっても坪単価は一一万円位であり、十分適正価格内であることを強調し、県が是非とも本件土地を欲しいなら右金額を出すようにと強引に迫った。高村の報告を受けていた豊住は、被告人天井の不合理な要求に反発を感じていたものの、同人の申し入れが余りに強引かつ執拗であったことと県独自の調査によっても坪当り一一万円位ならば周辺地価と比較して安く、適正価格の範囲にとどまると判断し、被告人天井の要求どおり本件土地を売買代金額四億八〇〇〇万円余で買受けるのもやむを得ないと決断し、中川知事にその旨報告してその了解を得た後、高村の助言を容れて、土地代が高騰している折から口約束のままでは再び被告人天井から土地代の釣り上げなど無理な要求が出されるおそれがあったため、売買代金などの契約条件を文書化し、これに歯止めをかけることとし、同年九月二四日、福井県総務部長豊住章三、市公社理事長大武幸夫共同作成名義で被告人天井の要求を取り込んだ趣旨の覚書(昭和五二年押第六六号の3、符箋番号8、以下「豊住覚書」と略称することがある。)を締結した。即ち、豊住覚書第二条一には、「売買代金は、市公社が市農協に既に支払った三億八一四二万二四五四円及び今後支払予定の一億円を含めた四億八一四二万二四五四円とする。」と記載されているところ、右文言のうち「今後支払予定の一億円」という文言について原案の段階では、被告人天井の要望を容れ「今後市公社が農協に農協会館建設補助金として支出予定の一億円」という表現になっていたものであるが、豊住においてそもそも制度の建て前上市公社が補助金を支出することは認められておらず、かつ市と市農協との間にいかなる合意があろうとも、第三者たる県にとって無関係なことで、県としては一億円もあくまで市公社に支払う土地代金であるとの見識に立って単に前記の「今後支払予定の一億円」というように訂正方要求し、被告人天井においてもこれに譲歩した結果そのような表現に落着いた。なお、島田市長の死去に伴い昭和四九年五月一二日施行された福井市長選挙で被告人柳沢を破り当選した福井市長大武幸夫は、市公社理事長をも兼任したが、本件土地をめぐる諸問題については故島田市長のころから被告人天井が中心となって解決にあたっていたことなどもあって、その詳細な経緯についてはほとんど知るところがなく、専ら被告人天井と市公社の職員に任せていたところ、被告人天井は、同年九月上旬豊住覚書の締結についての決裁を大武から得る際、詳細な説明を省き、単に「既に県と話合ずみの土地の件ですが、県が一億高く買ってくれることになっている。ついてはその手続の一手段として覚書を締結することになった」と述べただけで、その決裁を得たものである。

ところで、上田は、市農協との売買契約締結後である同年三月下旬ころ被告人天井から市公社が市農協から本件土地を購入するについて、県から契約日より遡った日付で市公社に対して用地取得の依頼をした旨の購入委託文書を貰ってくるようにとの指示を受け、その後藤井之夫県管財課長補佐に対し右文書の交付を求めたが、県としては前述のとおり、用地の売却方の依頼はしたものの、市公社に購入方の依頼をした事実がなかったので、同年九月二〇日過ぎころ、市公社に対し、県知事名義で作成日付欄空欄の売却依頼書(昭和五二年押第六六号の3、符箋番号5)を交付し、これを受け取った上田は、被告人天井に報告したところ、やむを得ないとの了承を得たので、そのころ中野健太郎用地第一係長が右空欄の作成日付欄に市公社と市農協の売買契約日の翌日である「昭和四九年二月二八日」と補充して記入した。

三 被告人柳沢による追加一億円の脱税謀議に至る経緯

昭和四九年七月一日常勤の被告組合組合長に就任した被告人柳沢は、同年九月ころ被告人天井から追加一億円の支払に応じる旨の連絡を受け、坪川ら常務理事(前川のほか同年三月一日から寺岡一夫に代わって柴田利一が常務理事となっている。)にこれを伝えるとともに、坪川に対し未解決であった永田分の和解交渉を急ぐように指示した。被告組合は、前記のとおり、かねてより本件土地の旧地主の一人であった永田弥作と同人所有の土地につきその所有権の帰属をめぐって係争中であったところ、同年一二月七日、示談金五〇〇万円を支払うことでようやく同人との間で和解が成立し、作り変え前の覚書第二条の趣旨に則り、同月一七日に市公社に代金四八四万九二六二円で売却したが(昭和五二年押第六六号の3)、右和解金は当初の土地代以外の和解のための上積み金であり、他の旧地主に対する手前公表を憚らねばならないものであるうえ、五〇〇万円もの現金を理事会の承認を得ないで支払ってしまったため、責任問題にもなりかねないことを恐れ、その穴埋め対策に苦慮することとなり、被告人柳沢ら常務理事全員で協議したところ、右費用を市公社に負担させる案が出され、同年一二月初旬被告人天井にその旨申し入れたが、直ちに拒絶されたので、被告人柳沢から翌年に支払が予定されていた前記追加一億円を早急に受け取り、これを市公社名義の内部預金の形で簿外資金にして同額を脱税するとともに、その果実である利息をもって右和解金の穴埋めをすることが発案され、他の常務理事全員の賛同を得た。ここにおいて被告人柳沢ら常務理事は、作り変え前の覚書分の一億四〇〇〇万円のほか、追加一億円についてもその支払いを受けたあかつきには、被告組合の公表経理上収益に計上しないで架空負債とし、もって脱税を図る謀議を遂げた。そして、その直後ころ被告人柳沢は被告人天井に対し、追加一億円の早期支払を要請した。

四 追加一億円の支払と本件土地のその後の県への所有権移転経過

被告人天井は、被告人柳沢の依頼を受けるや、同年一二月中旬ころ大武市公社理事長に対し、先に豊住覚書に対する決裁を求めた時と同様に、大武が本件土地をめぐる市農協、市(市公社)および県の複雑な思惑と背景事情や一億円を追加支払することが合意されるに至ったこれまでの経緯についてほとんど理解できていないのを奇貨とし、被告人柳沢らから早期支払の要求があったことは伏せて「先に県とは覚書を交換しており、県から一億円来ることになっておりますが、県に代って立替払することになりましたので、市公社の方で早急に予算化して支払いたいので承認願います。この一億円については県から市公社に金利分も含めて支払がなされることになっていますので公社の腹は全く痛みません。」などと申し述べて右一億円の支払いについて承認を求めた。大武は、本件土地をめぐる諸問題については、終始被告人天井に任せきりであって、追加一億円支払いの支柱となった豊住覚書の作成の経緯およびその趣旨などについてはほとんど理解できておらなかったうえ、右措置をとっても被告人天井の説明では経済的には市および市公社の負担が全くないということであったから、不得要領のままこれを了承した。その後、被告人天井は、念のため豊住総務部長に対し、追加一億円調達の際市公社が支払う金利を県が負担することを確認したうえで、同月中旬ころ被告人柳沢に対し、市公社が追加一億円を間もなく支払う旨返答した。かくして、翌五〇年一月二三日公社理事会において、被告人天井は岡藤昭男事務局長の説明に付加し、市公社としては斡旋業務をしただけで、一億円高く県へ売却処分したわけではない旨、補充陳述した結果、右追加一億円を市公社が市農協に支払うことなどを内容とする昭和四九年度補正予算が可決され(昭和五二年押第六六号の8、市公社第五回理事会議事録参照)、同年二月一日市公社は右資金一億一〇〇万円を公共用地買収資金名目で市農協から借入れて調達し、同日市農協本所に開設されていた市公社名義の普通預金口座に入金すると同時に、市公社名義で、かつ押印済の金額欄白紙の払出請求書を市農協に交付する形で支払がなされ、その際未払になっていた永田分四八四万九二六二円も同様にして支払われた。

そして、市公社は、本件土地を福井県より買受け方の委託を受けた福井県土地開発公社に対し、豊住覚書に則り、同五〇年六月二八日金利などを含めた代金五億五七六九万一〇七一円で売却し(昭和五二年押第六六号の3)、同年七月二日右代金の支払を受けた。

第四土地売買契約書及び覚書の偽造に至る経緯

一 被告組合部内における右偽造などの必要性の発生

昭和五〇年一月下旬ころ、被告組合管理課において、昭和四九年度(被告組合の事業会計年度は一月一日より一二月三一日までである。)の決算手続をしていたところ、本件土地売却に関し、作り変え前の売買契約書に計上された二億三六五七万三一九二円のみを土地売買代金として経理処理するときには、旧地主である組合員に支払った土地代金などとの関係において、その収支が六〇九万五八〇円の赤字となる不合理が判明した。すなわち、被告組合は、当初本件土地売却に伴い収益、費用が同額で処分益を出さない経理処理を目論み、収益としては土地代金のうち作り変え前の覚書に計上した一億四〇〇〇万円を除いて作り変え前の売買契約書に計上された二億三六五七万三一九二円と永田分の未収売却代金四八四万九二六二円の合算額を、費用としては昭和四六年二月一六日付購入契約に基づく旧地主からの買受け代金(永田分を含む)二億一九四七万四九五四円、協力費名目の税相当分二一九四万七五〇〇円(前記の天谷メモによる予定額)の合算額を予定していたところ、協力費名目の税相当分が前記のとおり当初二一九四万七五〇〇円と予定されていたのに、昭和四九年二月二〇日実際には旧地主に対し一〇九万五八〇円超過した二三〇三万八〇八〇円の追加支払となり、加えて同年一二月七日永田弥作との和解で予想外の示談金五〇〇万円の支出を余儀なくされたため、右一〇九万五八〇円と五〇〇万円の合計額六〇九万五八〇円という予定を超過した費用分が赤字となったものである。

二 小寺傅らによる文書偽造についての謀議

右赤字を発見した被告組合管理課係長中山龍夫、計算課長岡田政憲から、そのころ右赤字経理の報告を受けた被告組合企画監査課長小寺傅は、右赤字収入のまま決算案を組み、これを総代会に上程するときには、旧地主を中心とする組合員から農協会館の敷地にするというのでやむなく坪当り約五万円という低廉な値段で手離しているにもかかわらず、転売によって赤字が発生した事由の追及をめぐって、執行部批判の声が起こることは必至であり、また右を契機として税務当局が当時の土地価格の上昇傾向にかんがみ、転売して赤字になることは不可解であると考え、調査を開始するやも知れず、そうなれば作り変え前の覚書分一億四〇〇〇万円を一般補助金名目で受け入れたうえ、建設仮勘定を圧縮処理することにより簿外にして逋脱を図っていたことまで発覚することが危惧されたので、岡田、中山と協議のうえ、作り変え前の覚書に計上されている一億四〇〇〇万円のうち、四〇〇〇万円を公表決算上土地代として計上して適当な利益が出る決算案を組むべく、そのため作り変え前の覚書の金額については四〇〇〇万円減額した一億円に、又作り変え前の売買契約書については右四〇〇〇万円を加えた二億七六五七万三一九二円にそれぞれ変更することとし、それに見合って四〇〇〇万円を公表経理上の土地売却処分益に引き戻す経理操作を行ない、更に、当時被告組合では毎年確定申告の後、福井税務署から調査を受け、大口の取引については会計伝票のほか、証拠となる契約書類の提示を求められていたので、単に前記経理操作を行ったうえ、証拠書類の金額を訂正するだけでは疑念を抱かれるおそれがあったので、これを避けるためには右経理処理に見合う金額で従前の作成年月日、作成名義人による売買契約書および覚書を新たに作成し、これを当初の売買契約書および覚書と差し換えることを企てるに至り、小寺において右経理操作と当初の売買契約書および覚書の作り変えの可否につき被告人柳沢らの了解を得るため役員室に赴いた。

(罪となるべき事実)

(被告人柳沢の覚書分一億円逋脱の不正手段としての公文書偽造の犯意の順次共謀による成立とその承認・指示による発現および被告人天井の公文書偽造の犯意の順次共謀による成立と被告組合にかかる右一億円および追加一億円の逋脱に対する幇助に関する各承認・指示による発現)

かくして、被告人柳沢は、昭和五〇年一月下旬ころ、当時の被告組合の本所である福井市淵町一〇号一番地所在の社支所二階の被告組合役員室において、前記小寺から、本件土地勘定につき永田弥作の和解金などが費用項目に入ったため覚書の一億四〇〇〇万円を全額裏金にして建設仮勘定の圧縮に使っていてはどうしても六〇〇万円余の赤字を出さざるを得ないこと、これをこのまま決算に上げると、総代会で追及され、ひいては税務調査の手が及びかねないので、岡田らとも協議した結果右一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円を公表経理上の収益に繰り入れ、それに符合するように契約書と覚書を市公社に頼んで新しく作り変えてもらい、従前のものと差し換える処理をすることの可否についての決裁を求められたところ、被告人柳沢も他の常務理事と同様に本件土地売買に関し、前記の如く作り変え前の覚書分の一億四〇〇〇万円と追加一億円を合わせた二億四〇〇〇万円の固定資産処分益の課税を免れることを意図していたものの、小寺の言い条どおり、当時の土地価格の上昇傾向にかんがみ、組合員から安く本件土地を買っておきながら、これを転売して赤字を出すというのでは、いかにも不自然であり、従って、総代会で追及を受け、執行部批判が噴出して事態が混乱することはもとより、税務署に疑惑をもたれ、一億四〇〇〇万円の裏金操作を突かれることも十分危惧されたので、小寺がいう経理処理もやむを得ないし、右経理処理では、引き続き残る覚書分の一億円は建設仮勘定を圧縮したまま収益から除外されることになるが、これを維持して逋脱を狙った所期の意図を完遂するためには、右経理処理の変更に合致するように、従前の土地売買契約書および覚書をも作り変えたうえ、差し換えておかねば税務署にその不一致を突かれ、右経理処理をしたことも水泡に帰するものと判断したうえ、同席していた坪川専務とも協議した結果、小寺らの考えた処置をするほかないと決意し、同人に対し「やむを得ないで仕方ないやろ」と答え、右経理処理と従前の売買契約書および覚書を市公社に依頼し、改めて作り変えて偽造することを容認してその指示を与え、その後、小寺において天谷に対し、右の経過をつぶさに説明し、覚書による農協会館建設資金一億四〇〇〇万円の中から四〇〇〇万円を埋立補償金という名目をつけて土地売買契約書の方へ繰り入れる形を整えるため、従前の売買契約書と覚書の作り変えにつき市公社と交渉するように指示し、これを受けた天谷がそのころ当時福井市大手三丁目四番一号福井放送会館三階にあった市公社へ赴き、応待に出た市公社総務課長後藤成雄、同課係長岡崎博臣に対し、本件土地売買につき決算したところ六〇〇万円余赤字が出てきたから組合員に決算報告する手前具合が悪いので、覚書中の一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円を埋立補償費として土地売買契約書中に繰り入れた経理処理をしたいので、それに即した形で契約書と覚書を作り変え、なお残る覚書分中の一億円は税務署に報告しないようにして欲しい旨の依頼をしたが、その日は市公社事務局長岡藤が不在であり、後藤らから既に契約が完結しているうえ、そのようなことをしたことが、後でもし税務署に発覚すると困るとの理由で強く拒否されたので、ひとまず引き上げ、二、三日後の同月二五日ころ、再度市公社を訪れ、同四九年一〇月一日以降上田の後任として就任した岡藤昭男市公社事務局長と後藤に対し、同様の依頼をした。右依頼を受けた岡藤も、従前の契約当事者の一方である島田市長は既に死亡しているのでとても無理な依頼であると考え、一応拒絶したが、前任者の上田から本件土地については被告人天井が深くかかわっているように聞いていたので、後藤とも相談のうえ被告人天井の指示を仰ぐこととし、天谷、後藤を伴って市役所内の財政部長室に赴き、同所において、天谷が被告人天井に対し「四九年度の決算を組む段階でいろんな経費の関係から明里の土地について六〇〇万円あまり赤字が出てしまうことが判ってきたが、それでは都合が悪い。この土地が値上がりしているときに土地を売って赤字になるような決算を報告するのは組合員に申し訳ないし、第一、説明も出来ないので覚書中の一億四〇〇〇万円のうちから四〇〇〇万円を減らして、それは埋立補償費という名目の下に売買契約書の方に入れ、表に出すようにしたいのです。そのために契約書と覚書を作り直して預けんでしょうか」と要請し、更に覚書中に残る一億円と後日支払われることが予定されている一億円について被告組合としては税務署に申告しないで裏で処理するつもりであるから市公社の方も税務署に報告しないようにしてほしい旨要望し、もって従前の公文書たる土地売買契約書および覚書の作り変えによる偽造を依頼するとともに、覚書中の残額一億円と後に追加支払される予定になっている一億円については、福井税務署に対し市公社から支払調書を提出しないで、被告組合の逋脱に協力方幇助して欲しい旨の依頼をなしたところ、右依頼を受けた被告人天井は、その依頼が被告人柳沢ら市農協の最高責任者から市農協の業務に関し発せられたものであるが、既に市農協において当初から本件土地売買につき二本立て契約方式により、覚書分の一億四〇〇〇万円を裏で処理し、その脱税を企図していたことを知悉していた関係上、その土地勘定に赤字が出たので、右覚書中の四〇〇〇万円については市農協としても脱税をあきらめて公表経理に上げる処理をせざるを得なくなったものの、なお覚書中の残り一億円について所期の脱税目的を確実に達成するため、右経理処理に即応して従前の土地売買契約や覚書を作り変えて偽造する必要に迫られており、なお、自己の福井県への働きかけなどにより市農協に対し早急に支払われる予定であり、かつ、同月二三日の市公社の理事会で補正予算が可決済の追加一億円についても市農協が公表経理に上げないで脱税する意図であることを直ちに察知し得たわけであるが、敢えて右偽造を行ったところで、二本立ての金額を合計した全体の金額に変動をきたすわけではなく、もとより市公社がそれによって格別不利益を蒙るわけでもないうえ、前記のように当初の二本立て契約方式の承認という形で既に市農協の脱税工作に協力している手前、事ここに至ったからといって今更強く反対する理由もないため、右各公文書の偽造と合計二億円にのぼる脱税幇助の協力依頼に対し全面的に応ずることを決意し、岡藤らに対し、「農協も困っているようだから、そうしてあげねえの」と返答し、天谷の要請にこたえ、土地売買契約書および覚書の各偽造と支払調書不提出による合計二億円にのぼる被告組合の脱税に対する幇助をなすように指示し、ここにおいて土地売買契約書および覚書の各偽造につき小寺、坪川、被告人柳沢、天谷、岡藤、後藤および被告人天井との間に順次共謀が成立するとともに、被告人天井による被告組合の合計二億円にのぼる脱税幇助の言質が天谷に与えられた。

第一  右共謀に基づき被告人天井定美、同柳沢義孝は、それぞれ行使の目的をもって、昭和五〇年二月下旬ころ、被告人天井において、後藤らをして、かねて昭和四九年二月二七日に市公社が市農協から買受ける契約が成立して、既に代金も支払済みであった本件土地は、右当初の契約時点における実際の売買代金が三億七六五七万三一九二円であったところ、そのうち覚書に上げられている一億円を当初の予定どおり不正に非課税扱いする意図を確実に達成するため、福井市大手三丁目四番一号所在の前記市公社事務所において、当初の土地売買契約書は第二条で「物件の売買価格は金二億三六五七万三一九二円とし、物件の所有権移転登記完了後一〇日以内に支払うものとする」と記載されていたところ、これを「物件の売買価格は金二億三六五七万三一九二円とし、埋立補償金四〇〇〇万円と共に、物件の所有権移転登記完了後一〇日以内に支払うものとする」と書き改め、当初の覚書は、第一条で「……諸経費に相当する金額金一億四〇〇〇万円を乙が建設を予定している農協会館の建設資金として昭和四九年九月一日に支払うものとする」と記載されていたのを「……諸経費に相当する金額金一億円を乙が……(以下同じ)……」と書き改めたうえ、その余の部分は従前と全く同文を記載し、これにより市公社が市農協に対し本件土地の売買代金として二億三六五七万三一九二円を、埋立補償金四〇〇〇万円と共に本件土地の所有権移転登記完了後一〇日以内に支払うなどの約旨が記載されている昭和四九年二月二七日付市公社理事長と市農協組合長間の土地売買契約書、市農協が地元土地所有者より本件土地を取得した時より市公社に譲渡するまでの諸経費に相当する金額一億円を、市公社から市農協に対し、市農協が建設を予定している農協会館の建設資金として支払う旨あたかも右一億円が売買代金ではないような記載などのある前同日、前同者間の覚書各二通を全文タイプで打ち直して作成させ、これらの書類に市公社理事長として既に昭和四九年三月二四日に死亡している前記同年二月二七日成立した契約当時の理事長島田博道の氏名を刻したゴム印および市公社の角印並びに市公社理事長の丸印を各冒捺させて、右各文書を市農協開発管財課員中出輝昭に渡し、他方、被告人柳沢は、右中出をして、前記被告組合社支所にあった本所事務所において、右各文書に被告組合組合長理事として、既に同年二月末日限りで退任している前記同年二月二七日成立した契約当時の「福井市淵町7号20番地福井市農業協同組合組合長理事山田等」と刻されているゴム印および福井市農業協同組合長の職印を各押捺させ、もって、被告人天井、同柳沢らは共同して公文書である土地売買契約書二通(昭和五二年押第六六号の4=同五四年押三一号の59、同五二年押第六六号の3のうち昭和四九年二月二七日付の土地売買契約書符箋番号2=同五四年押第三一号の58のうち同四九年二月二七日付の土地売買契約書)および覚書二通(昭和五二年押第六六号の5=同五四年押第三一号の60、同五二年押第六六号の3のうち昭和四九年二月二七日付の覚書符箋番号3=同五四年押第三一号の58のうち同四九年二月二七日付の覚書)の各偽造を遂げた(被告人天井定美に対する昭和五一年一一月三〇日付起訴状記載の公訴事実第一および被告人柳沢義孝に対する同五二年二月二八日付起訴状記載の公訴事実第二)。

第二  被告法人福井市農業協同組合は、前記のとおり信用事業などを行うもの、被告人柳沢義孝は、昭和四九年三月一日から同五一年九月三〇日までの間、被告組合の組合長理事として被告組合を代表し、その業務全般を統括していたものであるが、被告人柳沢は被告組合の専務理事坪川均、常務理事柴田利一および参事伴岩男らと共謀のうえ、被告組合の業務に関し、

一 昭和四九年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における被告組合の実際所得金額は、二億七二七七万六二〇八円、これに対する法人税額は五三九七万三四〇〇円であるのに、前記のとおり、本件土地売買契約を市公社との間で二本立て方式で締結し、覚書分の土地代金一億四〇〇〇万円について当初非課税にする意図で、同四九年九月一二日一般補助金として受入れ、同年一二月二五日付で建設仮勘定に振替えて同勘定を圧縮し、右一億四〇〇〇万円を収益から除外するという経理処理をなしたが、本件土地勘定につき予想外の赤字が出る破目に陥るや、同五〇年一月下旬ころ、同四九年一二月三一日付で右建設仮勘定の圧縮額を四〇〇〇万円減額して、同額を公表経理上の収益に繰り戻し、右経理処理に合わせて判示第一記載のとおり偽りの本件土地売買契約書および覚書を作成するなどして、公表経理上本件土地売却代金を過少に計上し、あるいは架空経費を計上するなどの不正の方法により、その所得の一部を秘匿したうえ、同五〇年二月二七日福井市所在の福井税務署において、同税務署長に対し、同事業年度の所得金額が一億一七六万二八九〇円、これに対する法人税額が一四六四万二〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、納期限である同五〇年二月末日までに右税額だけしか納付せず、もって、不正の行為により同事業年度の法人税三九三三万三二〇〇円を免れ(逋脱所得金額の確定内容は別表(一)の修正損益計算書の、税額計算については同(三)の脱税額計算書の各記載のとおりである。)、

二 昭和五〇年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における被告組合の実際所得金額は、二億四三四九万一四七円、これに対する法人税額は、四七八五万一二〇〇円であるのに、前記のとおり、本件土地売買に関連して同年二月一日に市公社から被告組合本所に開設されていた市公社名義の普通預金口座に入金と同時に市公社名義で、かつ押印済の白紙の払出請求書の交付を受ける形で一億円の支払を受けたので、本来直ちにこれを払出して固定資産処分益として計上処理しなければならないのにそのまま放置し、同年三月上旬ころ、被告人柳沢において、前記のとおり、右追加一億円についても覚書分と同様に脱税することを企て、参事伴岩男、管理係長中山龍夫に命じて同月六日付で被告組合における市公社名義の別段貯金に振替えて架空負債として計上することにより収益から追加一億円分を除外し、あるいは、公表経理上、育苗経費を過大に計上し、政府米保管料収入を除外するなどの不正の方法によりその所得の一部を秘匿したうえ、同五一年三月一日前記福井税務署において、同税務署長に対し、同事業年度の所得金額が八八二二万七九五五円、これに対する法人税額が一二一四万八〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、納期限である同五一年三月一日までに右税額だけしか納付せず、もって、不正の行為により、同事業年度の法人税三五七一万四〇〇円を免れた(逋脱所得金額の確定内容は別表(二)の修正損益計算書の、税額計算については、同(四)の脱税額計算書の各記載のとおりである。)(被告法人福井市農業協同組合、被告人柳沢義孝に対する昭和五二年二月六日付起訴状記載の公訴事実第一の一、二にかかる同五七年二月五日付予備的訴因追加申立書記載の第一の一、二の事実)。

第三  罪となるべき事実の冒頭記載のとおり、昭和五〇年一月二五日ころ、被告人天井定美は、柳沢らの命の下に動いている天谷が、市農協の業務に関し、本件土地譲渡の所得の一部を秘匿し、その法人税を免れようとしている情を知りながら、天谷に対し本件土地の処分益合計二億円にのぼる市農協の脱税に関し、福井税務署に対し支払調書の不提出を約することによりその協力幇助をなし、直ちに岡藤、後藤に対しそれに沿った処理をするよう包括的指示を与えていたものであるところ、

一 昭和五〇年一月二八日ころ、被告人天井の前記指示を受けた後藤から右同様の指示を受けた市公社総務課係長岡崎博臣をして、市公社が買入れた土地の代金の支払先、支払金額などを記載して市公社理事長大武幸夫から福井税務署長に提出しなければならない昭和四九年分不動産などの譲受けの対価の支払調書に、市農協に支払った本件土地代金は前記偽りの土地売買契約書に記載した二億七六五七万三一九二円(埋立て補償金名目の四〇〇〇万円を含む額)である旨記載させ、なお、これに関する右岡崎起案にかかる同日付「給与所得等の源泉徴収票合計表の提出について」と題する決裁伺書(昭和五二年押第六六号の6)に被告人天井の決裁印を得させると共に、右内容の支払調書だけを昭和五〇年二月五日福井税務署長に提出させるなどして、柳沢が同年二月二七日ころ、同税務署長に対し、市農協の昭和四九年度分法人税の確定申告をするに際し、同事業年度における市農協の所得金額は二億七二七七万六二〇八円、これに対する法人税額は五三九七万三四〇〇円であるのに、前記の偽りの土地売買契約書および覚書を作成するなどして公表経理上、土地売却代金を過少に計上し、あるいは架空経費を計上するなどの不正の方法により、その所得の一部を秘匿したうえ、所得額は一億一七六万二八九〇円、これに対する法人税額は一四六四万二〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、納期限である昭和五〇年二月末日までに右税額だけしか納付せず、もつて、不正の行為により市農協の昭和四九事業年度の法人税三九三三万三二〇〇円を逋脱するのを容易にしてこれを幇助し、

二 市公社が前記の別途支払契約をしていた追加一億円を同土地買入代金として昭和五〇年二月一日に支払ったのであるから、市公社が支払った右一億円の支払先などを記載した支払調書を昭和五一年一月末日までに福井税務署長に提出しなければならないにもかかわらず、被告人天井の前記指示を受けていた後藤から右同様の指示を受けた市公社総務課副主幹兼総務係長浜谷喜久男をして、右提出期限までに右支払調書を故意に提出させず、柳沢が同年三月一日ころ、福井税務署長に対し、市農協の昭和五〇年分法人税の確定申告をするのに際し、同事業年度における市農協の所得金額は二億四三四九万一四七円、これに対する法人税額は四七八五万一二〇〇円であるのに、公表経理上、育苗経費を過大に計上し、あるいは土地売却代金収入、政府米保管料収入を除外するなどの不正の方法により、その所得の一部を秘匿したうえ、所得額は八八二二万七九五五円、これに対する法人税額は一二一四万八〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、納期限である同五一年三月一日までに右税額だけしか納付せず、もって、不正の行為により市農協の昭和五〇事業年度の法人税三五七一万四〇〇円を逋脱するのを容易にしてこれを幇助した(被告人天井定美に対する昭和五一年一一月三〇日付起訴状記載の公訴事実第二にかかる同五七年二月五日付予備的訴因追加申立書記載の第二の一、二の事実)。

第四  被告人柳沢は、判示第一、第二記載のとおり、市農協の専務理事であった坪川均らと共謀のうえ、市農協の業務に関し、昭和四九年の事業年度において、市農協の所有にかかる本件土地を市公社に売却した土地代金につき、偽りの土地売買契約書および覚書を作成するなどの不正な方法により所得の一部を秘匿し、市農協の同事業年度の法人税六二四九万七七〇〇円を不正に免れたことなどを公訴事実とする法人税法違反等被告事件につき、市農協とともに同五二年二月二八日公訴提起されていたところ、市農協の副組合長理事であった坂本秀之および右坪川が福井地方裁判所から証人として喚問されていることを聞き、自己の右被告事件のため虚偽の証言をさせようと企て、

一 昭和五二年一二月五日正午過ぎころ、福井市順化一丁目二四番一号所在の飲食店「佐佳枝亭」において、右坂本秀之に対し、同人が前記被告事件の証人として尋問を受ける際には、真実は、本件土地売買契約の前日である昭和四九年二月二六日開催された市農協の理事会において、右坂本が、右契約の際に作成する覚書分の一億四〇〇〇万円につき、福井市から同農協会館の建設資金として助成してもらうということで課税の対象にならないことになっている旨説明したのであって、これが代替資産的な要素があるということで税金がかからないだろうと解釈している旨説明したとの事実がないにもかかわらず、右覚書分については、売却した右土地が農協会館に変ったのであるから代替資産にあたるということで税金がかからないだろうと解釈していたと右理事会において右坂本が説明したように虚偽の証言をするように依頼し、右坂本にその決意をさせて偽証を教唆し、その結果、同人をして同五二年一二月五日福井市春山一丁目一番一号所在の福井地方裁判所一号法廷において、証人として宣誓のうえ、同日午後一時から証言をした際「私は昭和四九年二月二六日の市農協の理事会において、覚書分はいわゆる代替資産的な要素があるということで税金がかからんだろうと解釈しておりますと説明した」旨の虚偽の陳述をさせ、もって、右坂本に偽証をさせ、

二 同五三年二月六日ころおよび同年四月一四日ころの二回にわたり、いずれも福井市宝永四丁目五番一五号所在の旅館「神明」において、前記坪川均に対し、同人が前記被告事件の証人として尋問を受ける際には、真実は、右坪川が市農協の天谷甚兵衛開発課長から、本件土地売買契約の際作成した覚書分の一億四〇〇〇万円につき、税法上の代替資産として認められて課税の対象にならないようになった旨聞いた事実がないにもかかわらず、右覚書分の金については福井市役所が税務署と交渉した結果、代替資産として認めてもらい、課税の対象にならないようになった旨右坪川が右天谷から聞いたので、その分の所得は税務署に申告しなくてもよいと思った旨虚偽の証言をするように依頼し、右坪川にその決意をさせて偽証を教唆し、その結果、同人をして同五三年四月一四日および同年五月九日の二回にわたり、いずれも前記福井地方裁判所一号法廷において、証人として宣誓のうえ証言した際、「覚書分については、市役所が税務署と交渉した結果、代替資産として認めてもらい、税金の対象にならないようになった旨を天谷課長から昭和四九年の春か秋か、とにかく昭和四九年度に聞いたので、所得として申告しなくてもよいと思った」旨虚偽の陳述をさせ、もって、坪川に偽証をさせたものである(被告人柳沢義孝に対する昭和五三年七月二七日付起訴状記載の公訴事実)。

(証拠の標目)

以下、被告人天井定美に対する有印公文書偽造、法人税法違反幇助被告事件(当庁昭和五一年(わ)二〇六号)については「天井事件」、被告法人福井市農業協同組合に対する法人税法違反、被告人柳沢義孝に対する法人税法違反、有印公文書偽造各被告事件(当庁昭和五二年(わ)第五三号)については「農協・柳沢事件」、被告人柳沢義孝に対する偽証教唆被告事件(当庁昭和五三年(わ)第一四七号)については「偽証教唆事件」と各標目の冒頭に注記し、関係者の検察官に対する供述調書の作成年月日は、昭和、年、月、日を省略して「51・11・7付」様に記載し、各事件の弁護人の請求証拠番号は弁番号で、その余は検察官請求証拠番号を示す。

被告人らの経歴、被告組合の概要について

(被告人天井定美の経歴について)(天井事件)

一 被告人天井定美の当公判廷(第三六回)における供述

一 被告人天井定美の51・11・30付検察官に対する供述調書(296)

一 福井市土地開発公社事務局作成の福井市土地開発公社諸規程(弁40)

(被告組合の概要について)(農協・柳沢事件)

一 被告組合代表者寺岡一夫の当公判廷(第三二回)における供述

一 押収してある被告組合の総代会資料一綴(昭和五四年押第三一号の1)(197)

(被告人柳沢義孝の経歴について)(農協・柳沢事件、偽証教唆事件)

一 第二五回公判調書中の被告人柳沢義孝の供述部分(農協・柳沢事件)

一 被告人柳沢義孝の検察官(二通、51・11・8付=農協・柳沢事件296、53・7・24付(一)=偽証教唆事件、34)および司法警察員(同五一年七月一四日付=農協・柳沢事件306)に対する各供述調書

犯行に至る経緯、判示第一、第二の一、二について(農協・柳沢事件)

一 第二五回公判調書中の被告人柳沢義孝の供述部分

一 被告人柳沢義孝の51・11・18付(297)、51・11・19付(298)、51・11・23付(299)、51・11・27付(300)51・11・28付(301)、51・11・29付(一)(302)、51・11・29付(二)(303)、51・11・30付(一)(304)、51・11・30付(二)(305)、52・2・11付(三枚綴りで別紙添付のもの、308)、52・2・10付(309)、51・11・8付(二)(316)の検察官に対する各供述調書一二通

一 被告人柳沢義孝の司法警察員に対する各供述調書二通(306、307)

一 天井定美の検察官に対する各供述調書謄本七通(74ないし80)

一 第三回および第四回公判調書中の証人坂本秀之の各供述部分

一 証人坂本秀之の当公判廷(第三〇回)における供述

一 坂本秀之の検察官に対する各供述調書九通(270ないし278)

一 併合中の天井事件及び農協・柳沢事件(以下「併合中の」とのみ表示する。)の第七回および第八回公判調書中の証人坪川均の各供述部分

一 坪川均の51・11・13付(10)、51・11・14付(11)、51・11・18付(12)、51・11・19付(一)、(13)、51・11・19付(二)(14)、51・11・28付(15)、51・11・29付(16)、51・11・30付(17)、51・12・2付(18)の検察官に対する各供述調書九通

一 坪川均の司法警察員に対する各供述調書二通(19、20)

一 併合中の第八回および第九回公判調書中の証人寺岡一夫の各供述部分

一 寺岡一夫の検察官に対する供述調書(21)

一 併合中の第九回公判調書中の証人天谷甚兵衛の供述部分

一 天谷甚兵衛の51・11・10付(24)、51・11・12付(25)、51・11・16付(26)、51・11・27付(27)、51・11・28付(28)、51・11・30付(29)の検察官に対する各供述調書六通

一 証人上田三良の当公判廷(第三一回)における供述

一 上田三良の検察官に対する各供述調書謄本七通(47ないし53)

一 証人伴岩男の当公判廷(第二七回)における供述

一 伴岩男の51・11・13付(39)、51・11・19付(40)、51・11・28付(41)、51・11・29付(42)の検察官に対する各供述調書四通

一 伴岩男作成の上申書(51・11・30付)(43)

一 証人中山龍夫の当公判廷(第二七回、第三一回)における供述

一 中山龍夫の51・11・5付(33)、51・11・11付(34)、51・11・17付(35)、51・11・29付(一)(36)、51・11・29付(二)(37)の検察官に対する各供述調書五通

一 前川一雄(二通、22、23)、小寺伝こと小寺傅(二通、51・11・28付=30、51・11・12付=31)、柴田利一(51・11・14付=32)、中出輝昭(38)、岡田政憲(51・11・29付=44)および深草光夫(45)の検察官に対する各供述調書

一 中野健太郎(二通、54、55)、岡藤昭男(六通、56ないし61)、後藤成雄(六通、63ないし68)、岡崎博臣(四通、69ないし72)、浜谷喜久男(73)、大武幸夫(81)、栃川守夫(二通、82、83)、近藤重功(三通、84ないし86)、渡辺一富(三通、87ないし89)、高村義裕(90)、藤井之夫(91)、および島本正昭(二通、92、93)の検察官に対する各供述調書謄本

一 後藤成雄の検察事務官に対する供述調書謄本(62)

一 検察事務官作成の昭和五二年二月一一日付(46)、同年四月六日付(196)の各報告書二通

一 福井市長島田博道外一名作成の昭和四五年一月二七日付覚書写(弁18)

一 福井市農業協同組合の昭和四九年二月二六日の理事会議事録写(弁18)

一 福井市農業協同組合の昭和五〇年一月二二日の理事会議事録写(弁24)

一 福井市農業協同組合長山田等作成の昭和四九年一月二三日付陳情書写(弁25)

一 昭和四九年九月七日付貸付禀議書(358)

一 押収してある福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付土地売買契約書(売買価額二億三六五七万三一九二円で表紙部分の表示が手書きのもの)一通(昭和五四年押第三一号の56)(349)、福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付覚書(諸経費一億四〇〇〇万円で右表紙部分の表示が手書きのもの)一通(同号の57)(350)、福井市土地開発公社用地第一係備付けの昭和四八年度福井県物産観光センター・中小企業センターの用地買収綴(市公社)一冊(同号の58)(351)、福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付の土地売買契約書(売買価額二億三六五七万三一九二円、埋立補償金四〇〇〇万円で表紙部分の表示がタイプ印字のもの)一通(同号の59)(352)、福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付覚書(諸経費一億円で表紙部分が手書きのもの一通(同号の60)(353)、支払調書合計表(給与不動産)一冊(同号の61)(354)、明里公共用地(代替)関係文書綴一冊(同号の62)(355)、福井市土地開発公社備付けの理事会関係綴(第四回~第一二回、四九、五〇年度)一冊(同号の63)(356)および昭和四九年分源泉徴収等の支払調書合計表(福井市土地開発公社理事長大武幸夫作成名義のもの)一枚(同号の64)(357)

犯行に至る経緯、判示第一、第三の一、二について(天井事件)

一 被告人天井定美の当公判廷(第三六ないし第四〇回、第四二回)における各供述

一 被告人天井定美の51・11・17付(297)、51・11・18付(298)、51・11・24付(299)、51・11・26付(300)51・11・27付(301)、51・11・29付(302)、51・11・30付(二)(303)の検察官に対する各供述調書七通

一 第二二回および第二三回公判調書中の証人柳沢義孝の各供述部分

一 柳沢義孝の51・11・18付(80)、51・11・28付(84)、51・11・29付(二)(86)、53・7・24付(一)(313)の検察官に対する各供述調書謄本四通

一 第二回ないし第四回公判調書中の証人坂本秀之の各供述部分

一 坂本秀之の検察官に対する各供述調書六通(42、43、45ないし48)

一 併合中の第七回および第八回公判調書中の証人坪川均の各供述部分

一 坪川均の51・11・13付(51)、51・11・14付(52)、51・11・18付(53)、51・11・19付(一)(54)、51・11・19付(二)(55)、51・11・28付(56)、51・11・29付(57)、51・11・30付(58)、51・12・2付(59)の検察官に対する各供述調書謄本九通

一 併合中の第八回および第九回公判調書中の証人寺岡一夫の各供述部分

一 寺岡一夫の検察官に対する各供述調書謄本(62)

一 併合中の第九回公判調書中の証人天谷甚兵衛の供述部分

一 天谷甚兵衛の51・11・12付(但し、第四項以下の部分のみ、66)、51・11・27付(68)、51・11・28(69)、51・11・30付(但し第一項のみ、70)の検察官に対する各供述調書謄本四通

一 第一四回および第一五回公判調書中の証人上田三良の各供述部分

一 第一六回および第一七回公判調書中の証人岡藤昭男の各供述部分

一 岡藤昭男の検察官に対する各供述調書五通(10、11、13ないし15)

一 第三二回公判調書中の証人島本正昭の供述部分

一 島本正昭の検察官に対する各供述調書二通(40、41)

一 第一一回公判調書中の証人小寺傅、第一二回公判調書中の証人前川一雄、第一二回公判調書中の証人伴岩男、第一三回公判調書中の証人岡田政憲、第一四回公判調書中の証人中出輝昭、第一六回公判調書中の証人中野健太郎、第一七回および第一八回公判調書中の証人後藤成雄、第一八回および第一九回公判調書中の証人岡崎博臣、第一九回公判調書中の証人浜谷喜久男、第一九回公判調書中の証人大武幸夫、第二〇回公判調書中の証人栃川守夫、第二一回公判調書中の証人近藤重功、第二八回公判調書中の証人小島竜美、第二七回公判調書中の証人山田正邦、第三〇回公判調書中の証人豊住章三、第三〇回公判調書中の証人柴田利一、第三二回公判調書中の証人滝波義隆の各供述部分

一 証人栃川守夫および同高村義裕の当公判廷(第四二回)における各供述

一 藤井之夫の検察官に対する各供述調書二通(38、39)

一 福井市長島田博道外一名作成の昭和四五年一月二七日付覚書写(弁20の1)

一 福井市農業協同組合組合長山田等作成の昭和四九年一月二三日付陳情書写(弁20の4)

一 覚書コピー写(弁38)

一 福井市土地開発公社諸規程(弁40)

一 押収してある福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付土地売買契約書(売買価額二億三六五七万三一九二円で表紙部分の表示が手書きのもの)一通(昭和五二年押第六六号の1)(100)、福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付覚書(諸経費一億四〇〇〇万円で右表紙部分の表示が手書きのもの)一通(同号の2)(101)、福井市土地開発公社用地第一係備付けの昭和四八年度福井県物産観光センター・中小企業センターの用地買収綴(市公社)一冊(同号の3(104)、福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付土地売買契約書(売買価額二億三六五七万三一九二円、埋立補償金四〇〇〇万円で表紙部分の表示がタイプ印字のもの)一通(同号の4)(107)、福井市土地開発公社理事長島田博道外一名作成の昭和四九年二月二七日付覚書(諸経費一億円で表紙部分が手書きのもの)一通(同号の5)(108)、支払調合計表(給与不動産)一冊(同号の6)(111)、明里公共用地(代替)関係文書綴一冊(同号の7)(114)、福井市土地開発公社備付けの理事会関係綴(第四回~第一二回、四九、五〇年度)一冊(同号の8)(117)、昭和四九年分源泉徴収票等の支払調書合計表(福井市土地開発公社理事長大武幸夫作成名義のもの)一枚(同号の9)(312)および大学ノート一冊(同号の37)(461)

判示第二の一、二について(農協・柳沢事件)

一 被告人柳沢義孝の52・2・11付(九枚綴りのもの、310)、52・2・12付(311)、52・2・13付(312)の検察官に対する各供述調書三通

一 第二一回公判調書中の証人伴岩男の供述部分

一 伴岩男の52・2・5付(324)、52・2・18付(166=342)、52・2・19付(325)、52・2・20付(174)、52・2・22付(一)(167)、52・2・22付(二)(110)、52・2・26付(一)(153)、52・2・26付(二)(186)の検察官に対する各供述調書八通

一 第一三回公判調書中の証人植木正義の供述部分

一 証人植木正義の当公判廷(第二八回)における供述

一 植木正義作成の上申書(97)

一 第一四回公判調書中の証人山田実夫の供述部分

一 証人山田実夫の当公判廷(第二八回)における供述

一 山田実夫の検察官に対する各供述調書三通(106=326、107=327、108=328)

一 山田実夫外一名作成の上申書二通(104、105)

一 第一五回公判調書中の証人森下嘉津栄の供述部分

一 森下嘉津栄の検察官に対する各供述調書五通(317、318、126、182=344、172)

一 第一五回公判調書中の証人中山龍夫の供述部分

一 中山龍夫の52・2・19付(320)、52・2・16付(一)(169)、52・2・16付(170)、52・2・17付(171)の検察官に対する各供述調書四通

一 第一六回公判調書中の証人谷中重一の供述部分

一 谷中重一の検察官に対する各供述調書五通(99、150、159、164=341、165)

一 谷中重一作成の「共済推進奨励費の処分法」と題する書面(295)

一 第一七回公判調書中の証人小寺傅の供述部分

一 小寺伝こと小寺傅の52・2・18付(109=329)、52・2・22付(185=346)、52・2・17付(125)、52・2・26付(152=335)、52・2・13付(173)の検察官に対する各供述調書五通

一 第一七回公判調書中の証人柴田利一の供述部分

一 柴田利一の52・2・12付(127)、52・2・20、21付(128=330)の検察官に対する各供述調書二通

一 第一八回公判調書中の証人岡田政憲の供述部分

一 岡田政憲の52・2・26付(151=334)、52・2・2付(158=336)、52・2・8付(163=340)、52・2・19付(184=345)の検察官に対する各供述調書四通

一 第一九回公判調書中の証人坂井敏夫の供述部分

一 坂井敏夫の検察官に対する各供述調書三通(136=331、137=332、138=333)

一 第一九回公判調書中の証人川上幸好の供述部分

一 川上幸好の検察官に対する各供述調書四通(129、160=338、161=338、162=339)

一 第二〇回公判調書中の証人坪川均の供述部分

一 坪川均の52・2・23付(154)、52・2・21付(155)、52・2・22付(一)(168)、52・2・22付(二)(175)の検察官に対する各供述調書四通

一 第二〇回公判調書中の証人前川一雄の供述部分

一 前川一雄の52・2・21付検察官に対する供述部分(176=343)

一 天谷甚兵衛の52・2・4付(118)、52・2・ 付(119)の検察官に対する各供述調書二通

一 天谷甚兵衛外一名作成の上申書(115)

一 稲葉邦雄(二通、96、111)、野坂長生(112)、桧鼻進(113)、坪内誠(114)、西野笑美子(120)、東正男(122)、山田新平(124)、安井賢二(130)、吉峰賢淳(131)、森下真一(132)、中西猛(133)、迎野駿爾(134)、井上英之(135)、大久保由希雄(139)、石塚親章(140)、山脇儀平(142)、松浦惣左エ門(143)児玉忠(二通、144、145)、斉藤敬二(二通、146、147)、鷲田武保(148)、山田時恵(149)、新屋久二(二通、156、157)の検察官に対する各供述調書

一 収税官吏大蔵事務官の東正男に対する質問てん末書(123)

一 収税官吏大蔵事務官作成の昭和五一年一二月二日付証明書(一)、(二)二通(94、95)

一 収税官吏大蔵事務官作成の査察事件調査事績報告書五通(177ないし181)

一 収税官吏大蔵事務官作成の青色申告書提出の取消決議書謄本(187)

一 押収してある総代会等資料一冊(昭和五四年押第三一号の1)(197)、税務申告書類綴(昭和四九年度以降No.2)一冊(同号の2)(198)、昭和四六年度分仕訳票綴一冊(同号の3)(199)、昭和四九年度分仕訳票綴一冊(同号の4)(200)、昭和四九年度分仕訳票綴四冊(同号の5)(201)、普通貯金伝票綴一冊(同号の6)(202)、昭和五一年度伝票(当座預金)綴一冊(同号の7)(203)、補助金等伝票(昭和五一年度第五六号と記載されているもの)一冊(同号の8)(204)、昭和四九年度分仕訳票綴三冊(同号の9の1、2)(205)、総勘定伝票綴一冊(同号の10)(206)、固定資産元帳(器具、備品<1>)(同号の11)(207)、四九年度No.1総勘定元帳一冊(同号の12)(208)、昭和四九年度支出伺(共済費用)一冊(同号の13)(209)、昭和四九年度支出伺(信用雑費用)一冊(同号の14)(210)、昭和四九年度支出伺(購買費用)一冊(同号の15)(211)、昭和四九年度支出伺(販売費用)一冊(同号の16)(212)、農協会館落成式費用メモ二枚(同号の17)(213)、伝票綴(表紙に表題の記載がないもの)一冊(同号の18)(214)、昭和五〇年度購買未払金借方明細書綴(各支所)一冊(同号の19)(215)、昭和五〇年度勘定日計表(未払費用)一冊(同号の20)(216)、伝票綴(表紙部分に昭和五〇年度、第一号、848・953・369・311・392と記載されているもの)一冊(同号の21)(217)、伝票綴(表紙部分に昭和五〇年度第一号厚生費と記載されているもの=同号の22の1、表紙部分に昭和五〇年度第一号、820・822・823と記載されているもの=同号の22の2)二冊(同号の22の1、2)(218)、昭和四八年度決算関係、昭和四九年度計画関係綴一冊(同号の23)(219)、昭和四八年度育苗センター等勘定綴一冊(同号の24)(220)、昭和四九年度決算関係、昭和五〇年度計画関係綴一冊(同号の25)(221)、昭和四九年度育苗センター会計等綴一冊(同号の26)(222)、昭和四九年度育苗会計センター支出伺綴二冊(同号の27)(223)、昭和五〇年度育苗センター苗代金明細綴一冊(同号の28)(224)、昭和五〇年度育苗センター会計等勘定綴一冊(同号の29)(225)昭和五〇年度育苗会計センター支出伺綴三冊(同号の30)(226)、昭和五〇年度決算資料綴一冊(同号の31)(227)、昭和五〇年度仮決算資料綴一冊(同号の32)(228)、当座勘定受払通知書綴一冊(同号の33(229)、残高照合表一冊(同号の34)(230)、固定資産元帳(表題に「固定資産除却昭和四五年より」と記載されているもの)一冊(同号の35)(231)、固定資産元帳(表題に「器具、備品<2>」と記載されているもの)一冊(同号の36)(232)、固定資産元帳(表題に「建物、同付属建物」と記載されているもの)一冊(同号の37)(233)、東部ライスセンター機械工事関係書類一袋(同号の38ないし48)(234)、〔右書類袋中には工事発注伺一枚(同号の38)、「福井市農協東部ライスセンター機械工事契約について(伺い)」と題する起案書一枚(同号の39)、工事請負契約書(請負額一億四七四五万円のもの)一通(同号の40)、工事請負契約書(請負額九七〇万円のもの)一通(同号の41)、仮工事請負契約書一通(同号の42)、請負(請負金額三七五万円のもの)一通(同号の43)、工事請負契約書(請負額一億四七四五万円のもの)写一通(同号の44)、工事請負契約書(請負額九七〇万円のもの)写一通(同号の45)、総括工事費明細書二通(同号の46)、建設供給条件通知書一枚(同号の47)、工事請負カード及び請求明細書各一枚(同号の48)が入れられている。〕、注文書一通(同号の49)、(235)、昭和五〇年度総勘定元帳(No.2)一冊(同号の50)(236)、領収書一枚(同号の51)(237)、定期預金利息計算書(利息合計額三万六四〇六円のもの)一枚(同号の52の1)(238)、定期貯金利息計算書(利息合計額八五二円のもの)一枚(同号の52の2)(238)、預り証および封筒各一枚(同号の53)(239)、固定資産元帳(表題に「土地・機械装置・無形固定」と記載されているもの)一冊(同号の54)(240)および昭和五〇年度減価償却計算書綴一冊(同号の55)(241)

判示第三の一、二について(天井事件)

一 農協・柳沢事件の第一三回公判調書中の証人植木正義(418)、同第一四回公判調書中の証人山田実夫(421)同第一五回公判調書中の証人中山龍夫(424)、同第一五回公判調書中の証人森下嘉津栄(425)、同第一六回公判調書中の証人谷中重一(415)、同第一七回公判調書中の証人柴田利一(420)、同第一七回公判調書中の証人小寺傅(419)、同第一八回公判調書中の証人岡田政憲(422)、同第一九回公判調書中の証人坂井敏夫(423)、同第一九回公判調書中の証人川上幸好(417)、同第二〇回公判調書中の証人前川一雄(416)、同第二〇回公判調書中の証人坪川均(426)、同第二一回公判調書中の証人伴岩男(414)の各供述部分(謄本)

一 稲葉邦雄(二通、318、333)、谷中重一(七通、320、321、372、381、386、387、405)、植木正義(322)、伴岩男(八通、52・2・5付=323、52・2・19付=324、52・2・22付(一)、(二)=389、332、52・2・26付(一)、(二)=375 408、52・2・18付=325、52・2・20付=377、52・2・17付(一)、(二)=390、397、52・2・23付=376、山田実夫(四通、328ないし330、363)、小寺傅(五通、52・2・18付=331、52・2・17付=347、52・2・13付=395、52・2・22付=407)、野坂長生(334)、桧鼻進(335)、坪内誠(336)、森下嘉津栄(五通、338、339、348、394、404)、天谷甚兵衛(二通、52・2・4付=340、52・2・21付=341)、西野笑美子(342)、中山龍夫(四通、343、391ないし393)、東正男(344)、山田新平(346)、柴田利一(二通、349、350)、川上幸好(四通、351、382ないし384)、安井賢二(352)、吉峰賢淳(353)、森下真一(354)、中西猛(355)、迎野駿爾(356)、井上英之(357)、坂井敏夫(三通、358ないし360)、大久保由希雄(361)、石塚親章(362)、山脇儀平(364)松浦惣左エ門(365)、児玉忠(二通、366、367)、斉藤敬二(二通、368、369)、鷲田武保(370)、山田時恵(371)、岡田政憲(四通、373、380、385、406)、新屋久二(二通、378、379)、前川一雄(398)の検察官に対する各供述調書謄本

一 収税官吏大蔵事務官の東正男に対する質問てん末書謄本(345)

一 植木正義作成の上申書謄(319)

一 山田実夫外一名作成の各上申書謄本二通(326、327)

一 天谷甚兵衛作成の上申書謄本(337)

一 収税官吏大蔵事務官作成の各査察事件調査事績報告書謄本五通(399ないし403)

一 収税官吏大蔵事務官作成の青色申告書提出の取消決議書謄本(409)

一 収税官吏大蔵事務官作成の昭和五一年一二月二日付(一)、(二)証明書謄本二通(316、317)

一 押収してある総代会等資料一冊(昭和五二年押第六六号の10)(427)、税務申告書類綴(昭和四九年度以降No.2)一冊(同号の11)(428)、昭和四六年度分仕訳票綴一冊(同号の12)(429)、昭和四九年度分仕訳票綴一冊(同号の13)(430)、昭和四九年度分仕訳票綴四冊(同号の14の1ないし4)(431)、普通貯金伝票綴一冊(同号の15)(432)、昭和五一年度伝票(当座預金)綴一冊(同号の16)(433)、補助金等伝票(昭和五一年度第五、六号と記載のもの)一冊(同号の17)(434)、昭和四九年分仕訳票綴三冊(同号の18の1、2)(435)、総勘定伝票綴一冊(同号の19)(436)、固定資産元帳(器具、備品<1>)(同号の20)(473)、四九年度No.1総勘定元帳一冊(同号の21)(438)、昭和四九年度支出伺(共済費用)一冊(同号の22)(439)、昭和四九年度支出伺(信用雑費用)一冊(同号の23)(440)、昭和四九年度支出伺(購買費用)一冊(同号の24)(441)、昭和四九年度支出伺(販売費用)一冊(同号の25)(442)、農協会館落成式費用メモ二枚(同号の26)(443)、伝票綴(表紙に表題の記載がないもの)一冊(同号の27)(444)、昭和五〇年度購買未払金借方明細書綴(各支所)一冊(同号の28)(445)、昭和五〇年度勘定日計表(未払費用)一冊(同号の29)(446)、伝票綴(表紙部分に昭和五〇年度、第一号、848、953、369 311、392と記載されているもの)一冊(同号の30)(447)、伝票綴(表紙部分に昭和五〇年度第一号厚生費と記載されているもの=同号の31の1、表紙部分に昭和五〇年度第一号、820・822・823と記載されているもの=同号の31の2)二冊(同号の31の1、2)(448)、昭和四八年度決算関係、昭和四九年度計画関係綴一冊(同号の32)(449)、昭和四八年度育苗センター等勘定綴一冊(同号の33)(450)、昭和四九年度決算関係、昭和五〇年度計画関係綴一冊(同号の34)(451)、昭和四九年度育苗センター会計等綴一冊(同号の35)(452)および昭和四九年度育苗会計センター支出伺綴二冊(同号の36)(453)

判示第四の一、二について(偽証教唆事件)

一 第一回公判調書中の被告人柳沢義孝の供述部分

一 被告人柳沢義孝の53・7・24付(一)(34)、53・7・24付(二)(35)、53・7・25付(36)検察官に対する各供述調書三通

一 坪川均の53・6・26付(一)(6)、53・6・26付(二)(7)、53・6・30付(8)検察官に対する各供述調書謄本三通

一 坂本秀之の53・7・22付(一)(10)、53・7・22付(二)(11)検察官に対する各供述調書謄本二通

一 竹内薫(17)、寺岡一夫(53・6・17付=18)、天谷甚兵衛(二通、53・6・10付=19、53・6・17付=20)、前川一雄(53・6・21付=21)、柴田利一(二通、53・6・19付=22、53・7・23付=23)小寺傅(53・6・18付=24)、伴岩男(53・6・19付=25)、中山龍夫(53・6・23付=26)、上田三良(53・6・15付=27)、岡藤昭男(53・7・20付=28)、長谷川宣雄(53・7・16付=19)の検察官に対する各供述調書謄本

一 村田信夫(30)および伊与博子(31)の検察事務官に対する各供述調書謄本

一 検察官桐生哲雄作成の昭和五二年二月二八日付起訴状謄本(33)

一 捜査関係事項照会に対する回答書五通(12ないし16)

判示第四の一について(偽証教唆事件)

一 農協・柳沢事件の第三回および第四回公判調書(謄本)中の証人坂本秀之の各供述部分(3、4)

一 坪川均の53・7・21付検察官に対する供述調書謄本(9)

判示第四の二について(偽証教唆事件)

一 農協・柳沢事件(なの天井事件に併合)の第七回および第八回公判調書(謄本)中の証人坪川均の各供述部分(1、2)

一 坪川均の53・6・23付検察官に対する供述調書謄本(5)

(争点に対する判断)

第一被告人天井定美の判示第一、第三の一、二の各事実について

一 はじめに

被告人天井定美は、捜査段階においては、最終的に判示第一、第三の一、二の各事実を認め、判示認定に沿う供述をしていたが、当公判廷に至るや冒頭よりいずれも右自白を覆し、客観的証拠によって明らかな外形的事実はほぼこれを認めているが、その余の核心的部分については終始一貫して否認していることは検察官が論告において指摘しているとおりである。本件における争点は複雑、かつ多岐にわたるので、先ず、被告人天井の検察官に対する各供述調書の任意性、信用性につき、右調書に共通する一般的事項を指摘し、以下順次その主要な争点につき検討を加えることとする。

なお、以下の記述においては、左の例による略語を使用する場合がある。又、公判調書の供述部分として証拠になるものも、当公判廷における供述又は証言として摘示し、氏名については最初に掲げたものの繰り返しのときはその姓のみ記載することがある。

1 被告人天井の51・11・17付検面調書(297)=被告人天井定美の検察官に対する昭和五一年一一月一七日付供述調書(検察官請求証拠番号297)

2 坪川の53・11・13付検面調書(謄)(51)=坪川均の検察官に対する昭和五一年一一月一三日付供述調書謄本(検察官請求証拠番号51)

3 被告人柳沢の51・7・14付員面調書(306)=被告人柳沢の司法警察員に対する昭和五一年七月一四日付供述調書(検察官請求証拠番号306)

4 上田証言<15>=第一五回公判調書中の証人上田三良の供述部分

5 天井供述<36>=被告人天井定美の当公判廷(第三六回)における供述

6 予算査定メモ写(弁)37=予算査定メモ写(弁護人請求証拠番号37)

二 被告人天井の検察官に対する各供述調書の任意性、信用性について

1 弁護人の主張および被告人天井の弁解の各概要につき

被告人天井の弁護人らは、同被告人の捜査段階における自白供述は、長期勾留により疲れ果てていた同被告人を強要して他の関係者の捜査供述と符合させてこれを引き出したものであって、任意性に疑いがある旨主張し、被告人天井も公判において、その自白調書が作成された経緯につき、同被告人の51・11・17付(297)、51・11・18付(298)、51・11・24付(299)の各検面調書についてはおおよそ自己の記憶に基づいて供述し、これがそのまま調書に記載されたが、昭和五一年一一月二六日以降の調書は、取調検察官が全部勝手に書いたというわけではないが、被告人の記憶にない事実を頭越しに押し付け、否認を続けるといつまでも勾留すると脅かされ、調書の内容が事実に反する旨指摘して訂正を申立てたが聞き入れられず、右取調の状況から自らの記憶に基づいた供述がそのまま録取してもらえないものと判断し、署名、指印を拒否したところ、かえって右検察官から署名、指印がない方が信用性がある旨強くいわれたのでやむなく署名、指印したものであるなどと供述している。

2 当裁判所の判断

よって、検討するに、

(一) 被告人天井は、判示のとおり、昭和三四年に福井市に奉職して以来、商工課長、商工部長、市長公室長、財政部長そして企業管理者と順調に福井市幹部職員として昇進し、長年市政の枢要の地位にあって深く行政に参画してきたものであるから、社会的な知識、経験共に豊かであって、仮に検察官の押し付けなどがあったからといってそれに屈して市政の信用、更には自己の名誉、刑責にもかかわる事実を、しかも虚偽と信じつつ検察官の言うがまま供述するなどということは、よほど特段の事情がなければあり得ないと考えられるところ、本件では証拠上有特段の事情は認められず、又いやしくも法律専門家である検察官が供述者の署名、指印のない調書の方が署名、指印のあるものより信用性があるなどと揚言し、他方被疑者がそれに惑わされて不本意な自白調書に署名・指印したということも、それ自体荒唐無稽に類するほど不自然、かつ不合理であって到底措信し得ないこと、

(二) 取調を担当した倉田靖司の41回証言によれば、被告人天井は逮捕後は事実を全面否認し、或いはあいまいな供述をし、しばらくこう着状態が続いたものの、取調が進むにつれて軟化し、検察官の知らない新しい事実を小出しに供述し、昭和五一年一一月二六日に至り、突如従前の供述態度を一変させて、前日の大橋弁護人との接見後、いろいろと考えるところが出て来て真実を申し上げる気になったと前置したうえ、遂に自ら積極的に、かつほぼ全面的に事件の全容を率直に自白するに至ったこと、殊に同月二九日午後六時三〇分ころ検察官が取調結果の録取に取りかかるにあたり、同被告人に対し、「どうして否認を続けていたのか。否認を通せば、処分保留のまま釈放されると思っていたのか」と尋ねたところ、同被告人は、右手か左手の一方で握りこぶしをつくり、それを机のへりのところに当て、更にその握りこぶしの上に自分の額を押し当て、肩を揺すりながら、半ばべそをかくような状態で、検察官に対し繰り返し繰り返し、「許して下さい」という心底から湧き出た衝撃的な言葉を口にしていたことが認められるところ、この間被告人天井は逮捕直後の昭和五一年一一月一〇日に選任した大橋茹弁護士と接見を重ね、そのうちにはかなりの時間に及ぶものもあるが、同弁護士に対し検察官の取調方法の不当を訴え出ていた事跡は全く見当らないこと(大橋証言<33>)

(三) 被告人天井の前記昭和五一年一一月二六日以降の自白内容は自己の体験した事実を真率に供述した場合に認められる具体性を有するとともに、殊更市農協関係者や下僚の負うべき責任を政治的ないし道義的見地から自己において一切合切引き受けようとした不自然な箇所はなく、関係各証拠、特に坂本秀之、坪川均、天谷甚兵衛、上田三良、岡藤昭男および後藤成雄の捜査供述ないし公判証言又は右各証拠によって認められる客観的な事実関係とよく合致して、特に矛盾する点がないこと

(四) 取調検察官に対し、前記の如き深刻な思案・反省に基づく真摯な供述態度をもって臨むようになったものの、その後においても、なお、豊住県総務部長に対する居丈高とも感ぜられる強引、かつ執拗な折衝態度についてはそのトーンをかなり弱めており、その51・11・29付検面調書(302)第八項において後藤市公社総務課長から偽造後の土地売買契約書、覚書を見せられた事実を、又同調書第九項においては、昭和五一年ころ、同人から追加一億円に関する支払調書不提出の指示が仰がれた事実をそれぞれ否認しており、このことは同被告人が前記供述態度後もひたすら絶望的な諦念に陥っていたわけではなく、自ら主張すべきところは、あくまで主張し貫く姿勢を堅持していたことを、又他方取調検察官においても極めて重大な微憑事実についても、右姿勢を容認尊重し、否認供述を脱落せしめないことはもとより、その微妙な供述のニュアンスをいたずらに増幅・着色するような挙に出ていなかったことを十分窺わしめるものであること、

以上の諸点を総合して考察すると、被告人天井の捜査段階殊に昭和五一年一一月二六日以降の自白には任意性に欠けるところはなく、全体として大筋において十分信用できるものと判断した。他方その公判供述は、右捜査供述および(三)摘示の各証拠などと比照すれば、誠に不自然、かつ不合理な点が多く、全体として自己の負うべき責任を挙げて故人や下僚に転嫁するため、事実を歪曲して強弁する傾向が顕著に看取できるから、到底これをそのまま措信するわけにはいかないところである。

三 被告人天井の二本立て方式による本件土地売買契約の承認について(判示第一、第三の一、二の事実の前提事実=犯行に至る経緯第一の四)

1 弁護人の主張および被告人天井の弁解の各概要

(一) 被告人天井は、本件土地売買契約について、事前に上田市公社事務局長から市農協が覚書分の脱税を企図し、その方策として二本立て契約方式を希求しているので、それによることの可否についての報告ないし相談を受けたような事実はなく、従って、右二本立て契約について事前に了承を与えておらない。

(二) 被告人天井は、昭和四九年二月初めころ、同年一月二九日付起案、同年二月二日付の市公社用地第一係主事山田正邦作成の本件土地売買契約締結に関する「公共用地の先行取得について」と題する決裁伺書(昭和五二年押第六六号の3)に決裁印を押捺したが、その当時は昭和四九年度当初予算の財政部長査定で多忙であったうえ、本件土地買収の概要は大体承知していたが、具体的には上田とその部下職員らに任せていたから、右決裁についても市公社や市の財政課の職員の決裁が手順を踏んでなされていることを確認したのみで、その内容を仔細に検討することなく決裁印を押した。

(三) 上田三良の当公判廷における証言は信用性がない。すなわち、同人は、市公社の事務担当の最高責任者としての責任を被告人天井に転嫁するため、検察官に迎合した供述に終始し、とりわけ、市公社において過去に二本立の契約が相当回数あった事実を否定し、その事実がないにもかかわらず、上田自身が持ち回りで決裁を受けた旨述べ、右決裁終了後、前記山田の手で一部訂正がなされているのにこれを否定するなど重要な点で事実と異なる供述をなしている。

以上の諸点を勘案すれば同人の供述は全体として信用性がないというべきである。

2 当裁判所の判断

(一) 被告人の自供調書およびその裏付証拠の各概要

ところで、被告人天井の右二本立て契約承認の点に関し、前記認定に沿う直接証拠としては、被告人天井の51・11・29付検面調書(302)があり、その中に「昭和四九年一月頃、上田局長が私に明里公共用地買収の交渉について報告に来た時、上田から『福井市農協は契約を二本立てにして欲しいと強く希望している。一つは契約書にして、これには農協が地主から買取った値段の二億四〇〇〇万弱を盛り込み、もう一つは覚書にして農協会館建設補助金と云う形で一億四〇〇〇万円盛り込んで欲しいと云っている。此の一億四〇〇〇万円の内容は殆んどが、売却利益だが、約五〇〇〇万円は経費と云う事だ。農協は二本立てにする理由として地元対策と税対策の二つを挙げている。自分としては、公社が補助金を交付することは出来ないから諸経費に相当する金額を建設資金として支払うと云う文句にしてくれと主張し、その線で妥協して来たがどうしようか』という相談を受けました」「第一の地主対策と云うのは、それまでに農協と地主との間で明里に会館を建てる、建てないと云う議論があり、地元の人たちが農協のやり方に反感を持っていたので契約を一本の契約書ですると農協としては、地元の人達から金儲けをする為、地面を取り上げたと云われる恐れがあったので、その様な非難を招かない様にしようと云う事でした。地元と農協との間のトラブルは以前から聞き知っていたので、上田から地元対策と云われた時、その意味は良く分りました。二番目の税対策と云うのは、此の一億四〇〇〇万円も土地代金ですから本来なら税務署に申告して税金を納めるべきものですが、経理をごまかして利益に計上せず、脱税する為の対策という意味である事は常識で分かりました。だからこそ、覚書には諸経費とか建設資金と云う言葉を使い、売買代金でない様な表現を選んだのだと思います。」「上田から、今申した様な相談を受けた時私は、『農協の希望に添うような契約書と覚書の二本立にしてやれ』と指示しました。」旨の各供述記載がある。そして、上田三良証言<14>には、同人が被告人天井に対し、右二本立の契約の締結につき相談した状況については、「私、その当時のことを復元はできませんが、大体の要点と致しましては、二億二〇〇〇万円は地元から農協が買うときの四一〇〇坪の土地代金だと。その二億二〇〇〇万円については、一割の追加金として農協が払って、いわゆるその地元へいった金としましては、二億四〇〇〇万円だと。五〇〇〇万円については、これは登記料とか、あるいはその利息発生の借入金の利息分だとかそういうことで五〇〇〇万円を言うているんだと。で、当初から一億というようなことで上積みというようなことも、建築資金ということで、上積みにしてほしいということで、一億言うておられましたんですが、それは何か農協のほうの市会議員さんのほうと市の幹部のほうとで何かいろいろ話があって一億円というものが出ておりましたと。ところが、そういうことでそれなら精いっぱい安くしたほうがいいんじゃないかということで、私としてはいくらかでも下げてほしいというようなことを言いましたら、農協のほうとしては九〇〇〇万円にしてやろうということを言われたんで、そういうことで一億四〇〇〇万円になりましたと。一億四〇〇〇万円と二億二〇〇〇万円については、ひとつ書類を二つにしてくれと。一つは、売買契約書でございますが、一つについては、覚書というようなことで建設資金というようなことで作ってくれんかというようなことで言われましたと。その建設資金については、一応内容としては経費が五〇〇〇万円ほどございますけれどもこれは地元の、いわゆるその土地を高く売ったというようなことになりますと困るというようなことと、もう一つは、何か農協のほうでは税法上いいほうに取り扱うというようなこと言うておりますけれども、いわば税金を免れるというような方法で別にしてくれと言うているんじやないかと説明しました」旨、そして、右説明に対する被告人天井の返答については、「『一応二億四〇〇〇万円ではいくらになるんかな』と言われたもんですから、『四一〇〇坪に対しては六万円ほどになります』ということを言いました。すると、『三億八〇〇〇万円ではいくらになるかな』というようなことでしたので、これは私としては『坪九万円ほどになります』というような話致しまして、『それで、どうしましようか』ということで私お聞きしましたら、『それで売ってくれるなら仕方ないんじやないかと。そういうような書類作ってやらな仕方ないんじやないか』と言われたと思います」旨、右了解を得てから契約書等の原案を作成し、これらを被告人天井に見せた状況については、「私は、そして二つのいわゆるその売買契約書と覚書の原案を作りまして、そしてそれを天井部長のところへ持ってあがりまして確か鉛筆書きだったと思いますがその原案をもってそして行きまして、こういうことで農協と再度もう一遍話してこようと思いますがということで行きまして天井さんの御了解いただいたもんですから改めて農協へ行きましたわけなんです」旨、前記決裁伺書については上田が被告人天井の部屋へ直接持って行き「『この前の明里の要するに農協の土地について一応こういうような向こうも了解できましたもんで買うことにしたいと思いますが決裁もってあがりました。印鑑いただきたいと思います』と説明したところ、被告人天井から『ちやんとなっているんやな』ということを言われ、『はい』ということで判子もらったと思います」旨の各証言があり、これらは前記天井の51・11・29付検面調書(302)の供述内容を充分に裏付けるものである。

(二) ところで、関係各証拠によれば、福井市においては、昭和四七年一〇月三〇日庁議において、県中小企業課の「もし適当でないならば別の土地の推薦を求めるとの含みで、県所有地である幾久グラウンドに県観光物産センターを建設したいが、市の意向はどうか」との打診について論議され、幾久グラウンドは不適当であるから、市農協が市に対し売却の意向を有している東安居地区の市農協所有地(本件土地)を斡旋協力すべしということになり、その旨の回答をしたが、その後、県の方から右の件について何らの具体的対応がなかったこともあって、山際喜一助役、小島竜美財政部長、被告人天井(当時市長公室長)ら市幹部職員は本件土地を市公社をして先行取得させることで意見が一致し、同四八年三月ころ市公社理事会において、とりあえずパークアンドライド方式の郊外駐車場用地の取得を目的に明里用地買収費三億五〇〇〇万円が昭和四八年度当初予算に計上され、同年六月ころ被告人天井の指示を受けた市企画調整課長栃川守夫と市公社事務局長上田三良が市農協に対し、右使途目的による買収を申し入れたところ、市に譲渡することには異論はないが、その使途目的について地元発展につながらないなどの理由で反対され、同年一〇月三一日の市の庁議においては、市公社が明里用地を購入し、それと県所有の幾久グラウンドと交換することも議論になっており、そのころ市農協の副組合長坂本秀之が、被告人天井に対し県も中小企業センター用地として本件土地を求めているが、市農協としては日頃から市に何かと世話になっていることゆえ、市以外のものには譲渡するつもりがない旨意思表明し、次いで同年一二月八日開催の市農協臨時総代会で農協会館建設費として八億円の概算予算が承認され、同月二一日の市農協理事会において昭和四七年秋に購入していた社の用地に農協会館を建設し、明里の土地は市公社へ売却処分することが決定されたこと、そこで、同月下旬ころ右決定を受け、再度坂本が、被告人天井に対し本件土地を市が買受けてくれるように要請し、被告人天井がこれを了承したことで、以後両者間で本格的な売買交渉が開始されることとなり、被告人天井は改めて上田三良に市農協との売買交渉を指示したこと、本件の如き大規模な用地買収は、年間多数の買収を扱う市公社でも稀な事例であり、従って、上田は、市農協との交渉経過を逐一被告人天井に報告してその指示を仰いでいたこと、被告人天井は上田に対し売買契約調印の時期についてまで指示を与えたほか、右契約締結後同四九年三月下旬ころに至っても土地売買契約書第一条に記載されている「福井県の依頼により」という文言に見合うような本件土地の購入委託文書を県から貰っておくようにとの細かい注意をしていること、以上の各事実が認められ、右一連の事実経過にかんがみると、本件土地の買収については被告人天井が事実上終始最高責任者としてその衝に当たっていたものであり、他方市農協側でもそのように目しつつ、対応していたことが明らかであるから、一介の事務局長に過ぎぬ上田が市農協側から売渡代金としてその取得原価以外に約一億円に近い多額の農協会館建設資金充当予定分を上積みした額を提示されたうえ、地主対策と税金対策上、売買代金総額の約三七%に達する一億四〇〇〇万円を契約書とは別個の覚書に上げる二本立て方式によることまで強く要請された以上、その最終判断を最高責任者と考えていた被告人天井に仰いだことは極めて当然のことであり、かつごく自然な成り行きとして受け取れるのであって、これを否定する趣旨の被告人天井の初期の捜査段階および公判における供述は誠に不自然、かつ不合理であって、到底措信し難く、右最終判断を仰いだ際の状況を捜査段階のみならず、かっての上司であり、かつその事実を否認する被告人天井の面前においても一貫して述べている上田証言には、自己の責任を転嫁して同被告人を陥れるために虚構をねつ造しているような不自然な箇所はなく、自己の経験した事実を率直に供述した場合に認められる具体性・迫真性を有し、弁護人の厳しい反対尋問にもかかわらず、その大綱において動揺の事跡を窺うことができないばかりでなく、関係各証拠によって認められる客観的事実関係とも何ら矛盾していないのであって、右上田証言は十分信用することができる。弁護人が右証言中で客観的事実と明らかに齟齬するとして指摘する諸点のうち、市公社の土地買収が二本立て契約でなされる事例の多寡に言及する点については、なるほど山田正邦証言<27>、小島竜美証言<28>によれば、土地買収の円滑な遂行を図るため、一部地主(売主)の要望を容れて二本立て契約をなした事例があったことが認められ、それは恐らく主に売主側の税金対策上の考慮に基づくものではあるが、買主側にも表面上の売買代金をなるべく低く押さえることにより、周辺土地価格への不当な上昇波及を防止できるというメリットもあってのことと推察するに難くないけれども、上田証言によれば、上田が被告人天井に指示を仰いだ根幹の理由は、従前二本立て契約の事例が稀有であったからではなく、先ず通常の方式に従った土地売買契約書一本の草案を持参して市農協の天谷甚兵衛開発課長に会って折衝を開始したところ、同人から課税を潜脱する方法として一億四〇〇〇万円という多額の金額を農協会館建設資金の補助金名目にして土地代金から外し、本来の土地売買契約書とは別途の覚書に上げて欲しい旨強く要請され、あくまでこれに賛成することができず、あからさまに制度上許されない補助金名目を使用・表現することは斥けたものの、それ以上の妥協をみなかったためであることが十分窺えるから、この点に関する弁護人の所論は誤った前提に立つものとして正鵠を失しており、次に、持ち回り決裁に関し、弁護人の言及する点については、たしかに山田証言<27>によれば、同人は前出決裁伺書の決裁手続が持ち回りではなかったような趣旨の供述をしているけれども、持ち回りの通常の意義・解釈は、多数の決裁手続に関与する者が一堂に集合して協議のうえ決裁することなく、書類のみが右の者の間に回されて順次閲覧の上、その閲覧ないし決裁済の印を押すことであり、その意味において官庁の大多数の決裁文書は持ち回りで処理されているといえるけれども、ただ上田証言では判示の如く同人自身が被告人天井のほか、山際助役、島田市長の三名についてのみ右決裁伺書を持ち回って、その決裁を受けたといっているのに過ぎず、果して然らば、右山田証言と雖もかかる事実まで絶対に否定する趣旨とは解されがたいから、この点に関する弁護人の所論も失当であり、最後に決裁手続終了後における決裁伺書などの数字訂正に関する弁護人の所論については、判示のとおり、実質にかかわるものではなく、永田分に絡む単なる計数上の表示訂正の域を出ないし、そもそも永田分が二本立て契約のうちの契約書分から除かれるという点については、決裁伺書起案前の折衝の最終段階で既に合意されていた事柄であることを併せ考えれば、上田証言のこの点に関する部分は、右合意をした当事者の一方であったが故の、思い込みによる単なる記憶違いと認められ、取り立ててあげつらうべき程のことではないから、この点に関する弁護人の所論も重視できない。ひつきようするに弁護人の指摘する諸点は、いずれも上田証言の信用性に影響を及ぼすほどのものではないというべきである。

(三) 以上の次第で、(犯行に至る経緯)第一の四で判示したとおり、結局被告人天井は二本立て方式による本件土地の売買契約を要請してきた市農協の真意が脱税にほかならないことを知悉しながら、契約を締結するためにはそれを容認するのもやむを得ないと判断して、上田にその承認を与えたことが明らかである。

四 被告人天井の公文書偽造の犯意などについて(判示第一、犯行に至る経緯第四の三)

1 弁護人の主張および被告人天井の弁解の各概要

(一) 被告人天井は、柳沢らと共謀して本件土地売買契約書および覚書を偽造したことはない。右偽造は市公社の事務局長岡藤昭男、総務課長後藤成雄が市農協の開発課長天谷甚兵衛と共謀してなしたもので、被告人天井がこれに加担した事実はない。すなわち、被告人天井は、昭和五〇年一月下旬ころ昭和五〇年度当初予算案に対する部長査定で繁忙を極めているとき、財政部長室で天谷甚兵衛、岡藤昭男、後藤成雄の来訪を受け、その際天谷が「農協の経理の都合上、覚書の一億四〇〇〇万円の中の四〇〇〇万円が埋立て補償費である旨を明確にしたい」と言ったが、右依頼が、土地代金の総額に増額をもたらすような重要なことではなかったので、それほど重大視せず、事務的に出来ることであれば、その依頼に応じてもよいと考え、ごく一般的な助言を与える趣旨で岡藤に対し「よく検討して出来るなら、そうしてやれ」と返答したことはあるものの、この際誰からも「契約書と覚書の金額を変えたうえ、改めてそれらを作り直したい」などとの申し出を受けたようなことは毛頭なかったのである。

(二) 天谷および岡藤の各検面調書並びに同人らおよび後藤の当公判廷における各証言はいずれも信用性を欠如しているが、とりわけ、岡藤の捜査供述および公判証言、後藤の公判証言は自らの責任を被告人天井に転嫁する意図の下になされていると認められるので、証拠として許容されないものである。

2 当裁判所の判断

(一) 被告人天井の自供調書およびその裏付証拠の各概要

ところで、被告人天井にかかる公文書偽造の事実に関し、判示認定に沿う直接証拠としては、被告人天井の51・11・26付(300)、51・11・29付(302)各検面調書がある。すなわち、同人の51・11・26付検面調書(300)には「昨日弁護人が面会に来た後、色々と考えるところがあり、本当の事を申し上げる気になりました。昭和五〇年一月末か二月初め頃、財政部長室に岡藤局長、後藤課長それに農協の天谷甚兵衛の三名がやって来た時、岡藤と天谷の二人から『農協の経理の上で、明里の土地に赤が出る為、覚書で貰った一億四〇〇〇万円の中の四〇〇〇万円を、埋立費用として契約書の方に移し変えさせて貰いたい。その様に書き変えさせて貰えないだろうか』と相談を受けました。それを聞いて、私はそもそも契約書の方の金額は二億三六〇〇万円位になっており、覚書の方が一億四〇〇〇万円になっているのを、日付とか当事者の名前やそのほかの文章は変えず、金額の部分だけ契約書の方を四〇〇〇万円増し、覚書の方を四〇〇〇万円減らしたものに作り直し、約一年前に作成された本物の契約書並びに覚書を差し替えたいという相談に来ていることが分かりました。又同時にこれは農協の方が一億円だけ脱税する為、その様な細工をしなければならないのだという事も分りましたので、農協の希望に添う様にしてやるより仕方がないと思い、岡藤らに『出来るなら、そうしてやれ』といって承諾してやりました」旨、51・11・29付検面調書(302)には「(五〇年一月二三日の理事会の直ぐ後のことで)一月末か二月初めの事でした。丁度部長査定と市長査定の間位の時期で財政部長の私は非常に忙しく、自分の部屋に戻るのは昼休みの時間だけ位でしたから、そんな時間帯の事でした。岡藤局長が後藤総務課長と福井市農協の天谷甚兵衛という人を連れて来たので私の部屋の応接セットの長い椅子の方に三人をかけさせ、話を聞いてやりました。先ず、岡藤局長が『農協の方から明里の土地の契約書と覚書の事について話があるんやけど、いっぺん聞いてやって下さい』といい、その後は殆んど天谷一人がしゃべりました。天谷は『明里の用地について赤が出て来たので覚書に書いてある一億四〇〇〇万円の中の四〇〇〇万円を、埋立費用として契約書の方に上げさせて貰いたい。その様に契約書と覚書を作り直して頂けんでしょうか』といい」「又、天谷の頼みの一つである契約書と覚書の作り直しというのは、天谷は細かな方法までいいませんでしたが、話の内容から判断して日付とか当事者の名前は一切変更せず死んだ島田博道の名前と既に組合長を辞めた山田等の名義で契約書と覚書を勝手に作り直す事である事は良く分かりました。本物の契約書、覚書の金額の部分だけ訂正するとか、紙を貼って別の数字を記入しておくという様な事は全く考えられませんでした。と申しますのも、天谷の話から農協としては、明里の土地の収支がうまく行かないので、具体的な方法は知りませんが、裏金として処理しておいた一億四〇〇〇万円の中の四〇〇〇万を表に出し、その分だけ脱税はあきらめるけれど、残りの一億と今度の一億はなんとか脱税したい。だから契約書と覚書を書き替えてくれというものですから、税務署から調べられた時契約書を見せろといわれても直ぐおかしいと思われる様なものでは役に立たないから、金額の部分だけでなく、全部を作り替える必要がある事は、当然の事だったのです」「農協としては、今も一寸申しました様に、税務署の人から調査を受けて契約書を見せろといわれたら直ぐ見せる必要がある事は明らかでした。又覚書の方も監査とか県の検査の時などに見せろといわれれば直ぐに出して見せなければならず、そういう時の為にきちんと経理に合った文章が必要なのだと感じました」「此の様に天谷から契約書と覚書の作り直しと二億円だけ税務署に教えない事を頼まれた時、私は農協が二億円分だけ税金を免れたいから、その為に協力して欲しいといっているのだという事を承知しながら、自分が脱税する訳ではないし、又合計金額が変わる訳でもないので、つい軽い気持で、岡藤と後藤の二人に一言『そうしてやれ』と言ってしまったのです。なお、付け加えて申しますと、天谷は四〇〇〇万円を埋立費用という名目で契約書の方に移したいと言っておりましたが、四〇〇〇坪一寸の土地に埋立費用が四〇〇〇万もかかるはずがなく、ただ名目に過ぎない事は良く分かっておりました。天谷ら三名との話は、ほんの十分かそこらで済みました」旨の各供述記載がある。そして天谷甚兵衛の51・11・27付検面調書(謄)(68)には「私は財政部長の部屋で天井部長に対し、契約書と覚書の書替をしてくれるよう一生懸命説明をしました」「天井部長は契約書と覚書の件を了承して下さった」旨、同人の51・11・28付検面調書(謄)(69)には「昭和五〇年一月下旬頃、前にお話しましたように契約書と覚書の書替えを頼みに行きました」「天井部長がその時『農協が困っているんならできるだけそういうふうにしてやらなきやならんな』と言ってほぼ私の要求を呑んでくれたような感じを受けました」旨、岡藤昭男の51・11・5付検面調書(10)には「私が土地開発公社事務局長をしていた昭和五〇年一月頃福井市農業協同組合の開発課長の天谷甚兵衛さんから昭和四九年二月二七日に開発公社が福井市農協から買った福井市明里町の土地の売買契約書とその覚書の内容について書替えて欲しいと依頼を受け、開発公社の後藤課長と常務理事の天井定美と相談のうえ契約書の内容と覚書の内容を書替えたことがあります。これは明里町の土地を二億三六五七万三一九二円で購入した契約内容と一億四〇〇〇万円の農協会館建設資金を支払うという覚書の内容を農協会館建設資金については四〇〇〇万円減らして一億円とし、その代わりその四〇〇〇万円を埋立補償として契約金額に書れるという書替えをしたのです。私としては常務理事の天井さんがそのように書替えるようにとのことでしたので後藤課長に書替えをして貰った訳です。契約当時は理事長は島田博道でしたが、書替当時は理事長が大武幸夫にかわっていましたので契約の当事者である死んだ理事長の判子を使って書替えることはよくないとは判っていましたが天井理事が書替えるようにとのことでしたので書替えをした訳です」旨、同人の51・11・14付検面調書(13)には「私は(天井に対し)、『実は農協の天谷さんが来られて、明里用地の売買契約書と覚書の内容を書替えて欲しいと言っているのですがどうですか』と言いました。私は天谷課長に『天谷さん説明してくんねえの』と言いましたところ、天谷課長は説明を始めたのです。その説明内容について全部は覚えてないのですが、覚書の内容の建設資金一億四〇〇〇万円を一億円にして、四〇〇〇万円は土地売買契約書の内容に土地の埋立補償費として上げて欲しいという書替内容の説明をしました。それから書替える理由について天谷課長は『土地の方に大分費用がかかって赤字が出た。総会の決算報告の資料を作らないかんので、書替えて欲しいのです。そして一億円については表に出さない処理をして欲しいのです』と言いました。私はこのことを聞いて、約二億三六〇〇万円を土地代として会計処理を農協の方でしていたところ、土地の諸経費についてそれ以上かかったので、赤字になってしまい、土地を売ったのに赤字になったと総会で報告することは都合が悪いことから、建設資金名目のうち四〇〇〇万円を土地代金に含めて処理したいのだなということが判りました。そして、建設資金としての一億円を表に出さない処理をして欲しいというのは、農協が一億円については税対策上裏金にしたい、つまり、課税対象にしないように処理して欲しいという意味であると思いました。天井さんも天谷課長さんの話を聞き、同じように思っておられると思います」「天谷課長の説明が終った後、天井さんは『ああそうか。それならそうしてあげねえの』と言って私と後藤課長に対し、農協の要求通り処理するよう指示されました。つまり昭和四九年二月二七日付の土地売買契約書と覚書を農協側の要求通り書替え、更に建設資金としての一億円について課税対象とならないよう処理してくれということだった訳です。私としては天井さんが島田市長名義の契約書を書替えるよう指示されたことについて、これは困ったことになったと思いました。後藤課長も困った様子で私に『財政部長は農協のことやで、してやらなどうもならんのやろ』と言い、私も『どうもならんな。よわったな』と言った覚えがあります」旨の各供述記載があり、天谷証言<9>には、「実は、昭和四九年度の決算を組む段階で、明里の土地は、二億三六〇〇万円で売買契約された。それで、決算を今してもらうと、いろんな経費がいつたりなんかして六〇〇万円程度の赤字が出てしまうんだと。だから、一億四〇〇〇万円の覚書の四〇〇〇万円だけを、実は埋立補償費という名前で、売買契約書の方へ入れてもらいたいというお願いをしたわけなんです。言葉は、そのとおりもう少し、ていねいにお願いしていると思います」「(検察官の『入れてもらいたいと言って、だから契約書と覚書を作り変えて欲しいということも』との問いに対し)はい、お願いしました」旨、岡藤証言<16>には、「私が部屋を空きましてすぐ天谷さんに『どうぞ』というふうなことで私がさけび声を出しまして、私の次に天谷さんその次に後藤課長と応接セットに順次腰掛けを致しまして、そのとき天井さんは『何かな』というふうなことで応接セットの前のほうへ座られて、『実は農協のほうから覚書とか契約書そういうものについて書替えなどを求められていますが、ちょっと農協の内容などについて天谷さんいろいろ言っていますが、天井さんちょっと聞いていただけませんか』というふうに私が紹介をし、お願を致しました」「その書替えの理由というのは、ともかく覚書の金額を土地代のほうへ持っていってほしいというふうな意向で、何かいろいろ話してたように思います」「その金額を、明らかに私が自信を持ってお話できるのは、財政部長室で天井財政部長さんが『それじゃ、天谷さんの言うとおりしてあげなさい』というふうにご指示になられて、天谷課長が『部長どうもありがとうございました』というふうにお礼を言われて部長室を出て、私と後藤課長は公社へ帰りました。そして、公社で後藤課長から『実は天井財政部長室で話のあったあの問題については、四〇〇〇万円を覚書のほうから土地代のほうへ持ってって下さるようにして下さればいいんだ』とこういうふうに私に既に決まった額の報告と承認を求められたことは確かでございます」「(その際の岡藤の気持ちとして)できもせんことを、これようねえことをせいと言われるんやけど、どうもならんなと思いました」「今更もう死なれた島田市長の決裁も得られないような金額訂正をしようというふうに言われるのはこれはしかし無理だと、どうもならんなという思いでした」「後藤課長は、ちょうど天井財政部長室から出まして私と放送会館の廊下を歩きしなに私は『いややけどどうもならんな』ということを語りかけて、後藤課長は、『天井財政部長も農協のことやしどうもならなんだんやろ。言うこときかんでいやとは言われなんだんやろ』というふうに話合いながら私と公社へ帰ったことを記憶しておりますので、やはり、私と同じような気持ちで、その書替えということに対して臨んでいたんじゃないかと私は思っております」旨、後藤証言<17>には「(天谷は被告人天井に対し)農協の決算に赤字が六〇〇万から七〇〇万出たから、それでは具合が悪いから覚書の四〇〇〇万円を契約書の四〇〇〇万円に入れてほしいというふうに言いました。それは組合員に決算報告するのに土地を売って赤字になるんでは申し訳ないし、説明もできんからということだったかと思います」「(検察官の『検察庁の調書では四〇〇〇万円表へ出さんと税務署へ出す書類はつじつまが合わんので四〇〇〇万円だけ契約書の中へ入れて欲しいんやと、契約書と覚書を直してもらえんかと、それに一億円と後の一億円は税務署に出さんと裏で処理したいんやと、そのことでお願いに来たんやと、そういう趣旨のことを天谷課長が説明したということで述べているんですが』との問に対し)それはあります。そういうことも言ったかと思います」「(検察官の『そうすると、検察庁で調べを受けたときに述べたことは記憶に従って正しいことを述べたんですね』との問に対し)はい」「(天井部長は)契約書の書替えにつきましては、農協の言うとおりにしてあげなさいと言われました」旨の各証言があり、これらは前記被告人天井の51・11・26付(300)、51・11・29付(302)各検面調書の自白内容を充分に裏付けるのに足りるものである。

(二) ところで関係各証拠、殊に柳沢義孝の53・7・24付(一)(313)、51・11・18付(80)各検面調書(謄)および坪川均の51・11・13付(51)、51・11・28付(56)、51・11・29付(57)各検面調書(謄)並びに小寺傅証言<11>、岡田政憲証言<13>および岡崎博臣証言<18>、<19>などを総合すると、判示認定の如く、昭和五〇年一月下旬ころ、市農協管理課において昭和四九年度の決算事務手続をしていたところ、本件土地売却に関して、当初の本件土地売買契約書に計上された二億三六五七万三一九二円のみを土地代金として経理処理するときには土地取得原価との関係でその収支が六〇九万五八〇円の赤字となり、取得原価より安く市公社に売ったことになる不合理が判明したが、右赤字が発生した理由は、根源的には、逋脱目的から本件土地にかかる公表経理上の土地勘定の収益の中に本来計上すべき覚書分一億四〇〇〇万円を計上しなかったところにあることはいうまでもないところであるが、直接的には右操作を前提としながらも当初右土地勘定は、収支のバランスがとれる計算をたてていたところ、予定されていた右土地原価のうちの地主協力費が一〇九万五八〇円超過したことと、予定外の費用として五〇〇万円の永田弥作に対する和解金の支出を余儀なくされたためであった。このことを市農協管理課係長中山龍夫からの報告で知った計算課長岡田政憲、企画監査課長小寺傅らは右赤字収支のまま決算案を組み総代会に上程するときには、旧地主を中心とする組合員らから相当な時価の土地を格安の値段で提供を受けておきながら、それを転売して赤字になった理由について厳しく追求を受けることは必至であり、又それが発端となって税務調査が開始され、その結果覚書分一億四〇〇〇万円を脱税すべく、不正な圧縮処理をするなどして簿外にしていたことも発覚するおそれがあると思量し、中山らを含めて協議の末、覚書分一億四〇〇〇万円のうち切りのよい四〇〇〇万円を公表決算上土地代金として計上することにより適当な利益が出る決算案を組むのが穏当であるとの結論に達した。小寺は、右協議後抜かりなく税務調査に備えるため、改変しようとする右経理処理に即した偽りの証憑書類を用意しておく必要があると考え、その方法として当初の覚書の金額については四〇〇〇万円減額した一億円に、又同土地売買契約書については四〇〇〇万円を加えた二億七六五七万三一九二円にそれぞれ変更し、右変更に応じた金額で従前の作成年月日、作成名義人による土地売買契約書および覚書を作り変えて、これを従前の土地売買契約書および覚書と差し換えることを想到し、組合長である被告人柳沢らに右事情をつぶさに説明して同人から右経理処理の改変と、それに合わせた土地売買契約書と覚書の偽造をなすことについての決裁を得たこと、その後小寺は、天谷に対し前記経理処理を改変せざるを得なくなった経過を説明したうえ、市公社との土地売買契約書と覚書の作り変えについての交渉を依頼したところ、天谷はこれを了解して市公社の事務局長岡藤昭男、同総務課長後藤成雄に対し、前記赤字収支に陥った経理事情を説明し従前の土地売買契約書と覚書の作り変え偽造方の協力を求めた。同人らは、従前の契約当事者の一方である市公社理事長島田博道は既に死亡していることでもあり、天谷の右依頼は所詮無理な願いであると拒絶したものの、明里用地問題については、これまで被告人天井が最高責任者として関与していたから、その最終的裁断を仰ぐことが適当であると判断し、天谷を伴って被告人天井に会い、主として天谷から依頼の趣旨などの説明と市公社の協力方の懇請に及んだことが認められる。右認定にかかる天谷が被告人天井に対し依頼に及んだ経緯とその目的などにかんがみると、天谷が同被告人に明里用地売買に関する赤字収支発生の事情を説明したうえ、覚書に計上されている一億四〇〇〇万円から四〇〇〇万円減額し、その四〇〇〇万円は土地売買契約書に加算計上し、これに符合するように従前の覚書と土地売買契約書を改めて作り変えて欲しい旨依頼したことは極く自然、かつ当然な成り行きとして受け取られるのであって、これを否定し、単に「覚書の分だけ、その一億四〇〇〇万円のうちの四〇〇〇万円を埋立補償費である旨その内訳をより明確にして欲しい」との依頼にとどまったという趣旨の被告人天井の初期の捜査段階における供述は誠に不自然、かつ不合理であって、到底措信し難く、(一)掲記の被告人天井の自供調書およびその各裏付証拠には充分な信用性を認めることができるのである。もっとも右各裏付証拠といえども、その供述内容の明確性・率直性に差異が認められ、おおまかにいえば、公判段階におけるものは捜査段階におけるものより、ややあいまいになり、控え目で後退したものになっていることは否めないけれども、それは時の経過とかっての上司などに当る被告人天井の面前供述であることを考えれば、やむを得ないこととして了解可能であって、むしろそれにもかかわらず、かつ弁護人の反対尋問にもよく堪えてその大綱において捜査供述を一変・動揺させた顕著な事跡を窺うことができないことに着目すべきであり、又前記各裏付証拠のすべてについて、各供述者が卑劣にも自己の責任を転嫁して被告人天井を陥れるために、真実を歪曲し、虚構をねつ造しているような不自然な箇所はなく、実際に自己の経験した事実を虚心に供述した場合に認められる具体性と迫真性を有していることを認めるに十分である。そして、右十分な信用性があることを肯認し得る各裏付証拠によれば、天谷の右依頼に対し被告人天井が、その生の具体的な返答の言葉はともかく、これを了承したうえ、岡藤および後藤に対し市公社において右依頼の趣旨に応じた措置を市農協の為に講じてやるようにとの指示を与えたことが明らかである。そもそも被告人天井は、既述のごとく、本件土地売買契約を締結するに際し、当時の市公社事務局長であった上田からの報告により、市農協から脱税目的による二本立て方式による契約の締結を求められている事実を知りながら安易にその要求に応じ、右契約締結をした最高責任者であったところ、天谷からの依頼の趣旨は、ひつきよう実質的にはあくまでも所期の脱税額の減額を目指すところの、当初の二本立て方式によって締結された契約内容の枠内における組み変えにとどまり、従前の脱税路線を外れるものでないことはもとより、むしろ最終ゴール地点の短縮化を図り、完走を期したものであったから、既に市農協の前記要求をのんでしまっている被告人天井としては、その当時よもや事が露見し、かかる重大な事態になろうとは到底予想もしていなかったので、天谷の依頼を拒絶する充分な理由に乏しかったと考えられ、同被告人が全く難色を示すことなく、全面的に天谷に承認を与えたことには、まさにその下地として十分な経緯と事情があったからこそといえるのである。そして、判示の如く現に事態はまさに天谷依頼の趣旨に沿う進展をみているのであって、市公社、市農協双方が相協力して土地売買契約書と覚書の作り変えによる偽造を遂げるとともに、市農協では昭和四九年一二月三一日に遡って「(借方)建設仮勘定四〇〇〇万円、(貸方)仮受金四〇〇〇万円」「(借方)仮受金四〇〇〇万円、(貸方)土地六〇九万五八〇円、固定資産処分益三三九〇万九四二〇円」という修正仕訳をなし(昭和五二年押第六六号の18の2)、これによって、公表の明里用地勘定で出た六〇九万五八〇円の赤字を、建設仮勘定で圧縮した一億四〇〇〇万円のうちから四〇〇〇万円を公表に引き戻して、逆に処分益三三九〇万九四二〇円を計上し、なお覚書分の残一億円は収益から除外したまま裏金として温存したものである。ところで、岡藤、後藤の両名は、前述の如く自分達で天谷依頼にかかる契約書などの作り変えなどにつき決断を下し得なかったからこそ、わざわざ被告人天井の裁断と指示を仰ぎに赴いたものであり、前記の如きその後の事態の展開・推移と照らせば、当然その場において同人から積極の裁断を得たものと考える方が合理的である。もし、被告人天井の指示などが得られず、自分達でほしいままに契約書などの作り変えなどの措置を講ずるくらいであれば、そもそも最初から同人の許へ赴くこともなく、天谷の依頼を受けるや、直ちに独断専行したはずであったからである。なお、前述した事態の進展の過程における被告人天井の密接な関与を物語る決定的な一齣として、後藤証言<18>により認められる以下の如き事実、すなわち昭和五〇年二月二〇日ころ後藤は、市農協から偽造にかかる土地売買契約書(昭和五二年押第六六号の3、符箋番号2)と覚書(同、符箋番号3)を岡藤事務局長に見せたうえ、一人で市役所の財政部長室に被告人天井を訪ね、同人の眼前で右各文書を開けて見せ、変更箇所を示して偽造完了を報告したところ、同人は「そうか」と言って了承確認したことを挙げることができるのである。この点に関しては、既述のとおり、被告人天井は、公判においてはもとより捜査の自供段階においても否認を貫き通しているが、天谷依頼を軽率に承認したことを悔いるものとしてそこまで認めることは立場上、いかにも忍び難いところであったものと推察するに難くなく、右否認供述はたやすく措信し難いところであり、岡藤証言<17>中、同供述に符合する部分(「被告人天井に対し、後藤課長は書き直した文書は見せていないと思う」との供述)は、具体的根拠に基づかない推測的供述であるから、これまた信用し難いのである。かえって、後藤個人としては有力な圧力団体を背景とした天谷依頼を承諾せざるを得なかった被告人天井の立場にある程度理解を示しつつも心情的にはあくまで右依頼を容れることには消極的であったことは、前記被告人天井の指示があって市公社へ帰る途次に岡藤との間で交わしたところの、しみじみとした会話からも容易に窺えるところであり、かつ、その後においても、後藤には昭和四九年度分はもとより昭和五〇年度分にかかる各支払調書の不提出操作についても、一々被告人天井に対し念を押しながら慎重に事を進めている状況も認められるのであって、以上の諸点を踏まえると、後藤が、右偽造の完了後被告人天井の指示どおり天谷依頼に即した文書処理をなした旨同被告人に報告してその確認を求めるに至ったことも、ごく自然な成り行きとして無理なく受け止めることができるのである。

(三) 以上の次第で、(犯行に至る経緯)第四の三、(罪となるべき事実)第一のとおり、被告人天井について、岡藤、後藤、天谷、小寺、被告人柳沢との順次共謀による本件偽造罪の成立することは証拠上明らかである。

五 被告人天井の法人税法違反幇助の犯意について(判示第三の一、二)

1 弁護人らの主張および被告人天井の弁解の各概要

(一) 被告人天井は、被告人柳沢らが本件土地売買に関し、法人税を免れようとしていたかどうかは知らず、従って、本件法人税法違反幇助の犯意がなかったことはもとより、何らそのための幇助行為に及んだこともない。

(二) 被告人天井は、天谷から本件土地代金の一部である覚書分一億円およびいわゆる追加一億円の合計二億円を税務署に報告しないで欲しいなどとの依頼を受けたことはない。なお、右の点に関する天谷、岡藤の捜査供述および後藤の公判証言は信用性を欠き、とりわけ、岡藤、後藤の供述証拠は、同人らがその責任を被告人天井に転嫁する意図の下に事実を歪曲して述べているものであるから、証拠として許容されないものである。

(三) 被告人天井は、右天谷依頼の後、後藤から前記二億円に関する支払調書の不提出について相談にあずかったことはない。もっとも、右天谷依頼の後、昭和五〇年一月二八日付岡崎博臣起案にかかる昭和四九年分不動産などの譲受けの対価の支払調書添付の「給与所得等の源泉徴収票合計表の提出について」と題する決裁伺書(以下「支払調書決裁伺書」という。昭和五二年押第六六号の6)に決裁印を押してはいるものの、これは他の多くの決裁案件とともに一括して提出されていた関係上、部下を信頼して一一細かく検討を加えずに決裁したものであり、実際のところ、当時同被告人自身は支払調書の意義すら知らなかったのである。

(四) 検察官は論告において、昭和五〇年二月一日市公社が市農協に本件土地代金の追加分として支払ったいわゆる追加一億円は、被告人天井が本件土地を県へ売却処分する折衝過程において売却代金の上積み分として県から引き出した金を源資とする性格不明な政治的加算金であり、市農協においては、それを覚書分の一億円と同様に裏金にし、公表収益に計上しないで脱税を図ろうとしていたところ、被告人天井は、これを十分承知のうえで市公社をして市農協の右追加一億円分に関する支払調書を提出せしめないよう取り計らい、もって市農協の法人税逋脱罪の幇助をなした旨主張するけれども、市公社は、本件土地については、当初より単に市農協と県との間の買収を斡旋ないし仲次ぎしてきたものに過ぎないのであって、右追加一億円の支払についても形式はともあれ、実質は県から市農協に対する適正な買収代金の枠内における追加支払を市公社が立替え払いしたというものであって、市公社としては、それはあくまでも右斡旋業務の一環を出ないものであるとの安易な認識から事務処理手続に厳格さを欠いた結果、契約書を作成しなかったり、果ては支払調書の提出を忘れるなどルーズな処理をなしたにすぎないのである。なお、ここで追加一億円の性格およびその支払の経緯について敷衍するのに、昭和四九年二月五日ころの同年度当初予算中農林部関係予算に対する市長査定の場において、市農協から同年一月二四日受付にかかる同年一月二三日付農協会館建設助成金一億円の増額陳情書((弁)20の4、以下「50・1・23付助成金増額陳情書」と略称することがある。)が提出されたところ、当時の島田市長が、昭和四五年一月二七日付合併覚書((弁)20の1)に基づく農協会館に対する建設補助金については、既に市は昭和四八年三月に市議会で議決された同年度から一〇年年賦で交付される総額一億円にのぼる補助金で手当て済みであるから、更に右趣旨の補助金は増額できないけれども、本件土地の県への売買譲渡の斡旋過程で右陳情にかかる一億円を上乗せした譲渡価格を県に提示し、これに対し県が右一億円を含めた同価格を適正な土地代金であると判断して、その価格で購入し、右一億円を土地代として市公社を介して市農協に支払うなり、或いは土地代はあくまで坪九万円とし、別途県から補助金の形で一億円を市農協に交付するなり、県の方で自由にいずれかを選択するのに任せて始末をつけよという趣旨の決定を下し、これを受けて被告人天井が県と交渉した結果、県は後者の形、すなわち別途補助金で一億円を市農協に支払うのではなく、右前者の形、すなわち陳情にかかる一億円を加えた四億八〇〇〇万円でも土地代としては適正な価格であるからその価格で購入し、右一億円をあくまで土地代として市公社を介して市農協に支払うことを承諾し、昭和四九年九月二四日市公社理事長大武幸夫と福井県総務部長豊住章三の名義で覚書(昭和五二年押第六六号の3、符箋番号8)が結ばれ、県は右代金を昭和五〇年度予算で正式契約のうえ支払う予定でいたところ、その後、農協会館建設費の支払に窮しているとの理由から市農協が右追加一億円の支払を急いだため、やむなく市公社の方で昭和五〇年一月二三日開催された理事会の議決を経たうえ、同年二月一日県のために右一億円の立替払をしたのであって、以上要するに追加一億円の性格は、決して政治的加算金など不明朗なものではなく、市農協の50・1・23付助成金増額陳情が前記市長決定に基づき県と交渉した末、県が補助金という形ではなく、あくまで土地代金の単価引き上げを受け入れる形でその実現をみることになり、県のため市公社が立替えて市農協に支払ったものであって、この間被告人天井や市公社職員は県から市農協に対する右土地代一億円の支払に介在し、単なる斡旋ないし仲次業務をしたにすぎないのであって、市農協が県から受取った一億円について脱税のためいかなる経理操作を弄しておろうとそれは全く関知するところではなく、そこに脱税幇助行為をなす余地がないことは明らかである。

2 当裁判所の判断

(一) 被告人天井の自供調書およびその裏付証拠の各概要

ところで、被告人天井の法人税法違反幇助の事実に関し、判示認定に沿う直接証拠としては、同人の51・11・26付(300)、51・11・29付(302)、51・11・30付(二)(303)各検面調書が存在するところ、その各記載内容の中で前記公文書偽造に関する部分は、同時に法人税法違反幇助に対する証拠にもなる関係にあるが、右部分については既に掲記しているのでこれを省略し、以下専ら被告人天井の法人税法違反幇助に関する部分を摘示するにとどめる。すなわち、同人の51・11・29付検面調書(302)には天谷依頼の状況につき「(天谷は契約書などの作り直しに加えて)『覚書中の一億は会館建設資金として処理し、今度の一億は………として処理するので、前の一億と今度の一億は公社の方でも税務署に云わん様にして欲しいのです。』と云いました。今調書に『………』と云う風に書かれた部分については、天谷がどんな言葉を使ったのか思い出せないのですが、いずれにせよ私の記憶ではその言葉を聞くだけで農協は最後の一億を税務署に申告しないなと感じさせる言葉でありました。尚『今度の一億円』と云うのは、一月二三日の理事会で予算がついた一億の事である事は聞いただけで良く分かりました。又天谷が『税務署に云わん様にして欲しい』と云うのは、税務署に対し、毎年春になると、他に支払った金額の報告をする義務があるので、公社から税務署にその報告をする時、教えないで欲しいと云う意味の頼みである事は良く分かりました。その報告の事を支払調書と云う事は、実は今年((注)、昭和五一年)になってから、初めて知ったのですが、此の制度の事は財政部長になってから誰かから聞いて知っておりました」「此の様に天谷から契約書と覚書の作り直しと二億円だけ税務署に教えない事を頼まれた時、私は農協が二億円分だけ税金を免れたいからその為に協力して欲しいと云っているのだと云う事を承知しながら、自分が脱税する訳ではないし、又合計金額が変わるわけでもないので、つい軽い気持で、岡藤と後藤の二人に一言『そうしてやれ』と云ってしまったのでした。」旨、支払調書決裁伺書に対する決裁印の押捺については「天谷から契約書、覚書の偽造等を頼まれ、岡藤らに天谷の云うとおりにしてやれと云う指示をしてから何日か後、岡崎総務係長が決裁伺書を持って来て、『農協の天谷さんが来た時の件ですが、此の様に四〇〇〇万円だけ上げておきました』と云うので、税務署に対する報告の件だと分かりましたから決裁印を押しました。昭和五一年領第四三八号符四七支払調書合計票綴((注)当庁昭和五二年押第六六号の6)中、五〇年一月二八日付決裁伺書を示す。これが、その時の伺書に間違いありままん。一覧表の中で農協に対する支払いが、『』と書いてあり、私の指示どおりになっております」旨、51・11・30付(二)(303)調書には「(『支払調書についても岡藤、後藤両名が農協の希望どおり処理するであろうと思っていたのか』との検察官の問に対し)そのとおりです」旨の各供述記載があり、そして、天谷甚兵衛の51・11・27付検面調書(謄)(68)には「そして、前にお話しました他に天井部長に対し『税金のこともよろしくお願いします』という趣旨のことを言いました。この意味は、契約した段階では一億四〇〇〇万円について覚書とし、課税対象から外していたものの、本件の経理上赤字が出たので、一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円を埋立補償費として土地売買契約書に折込むようにして貰うのですから、一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円は税金がかかってもいいということになります。ですから、今まで課税対象にしなかった一億四〇〇〇万円が契約書の変更により一億円に変わったので四〇〇〇万円については支払調書を税務署に出して貰うようにという意味で言ったのです」「私が天井部長の前で『税金のこともよろしくお願いします』と言ったのですから、天井部長は契約書と覚書の書替えの件を了承して下さった他、税金の件についても了承していただき、部下の人達に対し、農協の支払分について四〇〇〇万円支払調書を出すよう指示していただいたと思います。天井部長は、契約をする際にも農協が一億四〇〇〇万円について税を免れたいことから二本立ての契約にすることを認めてくれ、更にその後契約内容の変更を了承してくれ、支払調書も変更どおりにしてくれたのです。つまり一億円については税金を免れたいという農協の要求をこの時点においても認めてくれ、協力してくれた訳です」旨、同人の51・11・28付検面調書(謄)(69)には「昭和五〇年一月下旬頃、前にお話しましたように契約書と覚書の書替えを頼みに行きました。この時税金のことについても『税金のこともよろしくお願いします』と頼んだのです。この意味については前回お話しましたが、前回は覚書分の一億円の税金を免れたい為にお願いしたと言いましたが、実は一億円だけではなく昭和四九年一二月頃坪川専務から聞いた追加一億円分についても税金を免れたいというつもりで『税金のことをよろしくお願いします』と言ったのです。(「あなたは天井部長に対し『一億円と後の一億円とは税務署へ出さんと裏で処理したいのでお願いする』と言ったことはありませんでしたか」との検察官の問に対し)そのように金額を言って頼んだ覚えはありませんが、私が『税金のことをよろしくお願いします』と言ったのは別の言葉で言えば今言われた言葉のとおりになります。天井部長は更に一億円追加になっていることは当然知っておられたはずですから、私が税金のことで頼んだことは覚書分の一億円と追加一億円は税金を免れたいので、そのように税務署に対して処理して欲しいと頼んでいると天井部長は判ってくれて、農協の要求どおり了承してくれたものと思います。」旨、岡藤昭男の51・11・14付検面調書(13)には「天谷課長は『土地の方に大分費用がかかって赤字が出た。総会の決算報告の資料を作らないかんので書替えて欲しいのです。そして一億円については表に出さない処理をして欲しいのです』と言いました。私はこのことを聞いて、約二億三六〇〇万円を土地代として会計処理を豊協の方でしていたところ、土地の諸経費についてそれ以上かかったので、赤字になったと総会で報告することは都合が悪いことから建設資金名目のうち四〇〇〇万円を土地代金に含めて処理したいのだなということが判りました。そして、建設資金としての一億円を表に出さない処理をして欲しいというのは農協が一億円については税対策上裏金にしたい、つまり課税対象にしないよう処理して欲しいという意味であると思いました。天井さんも天谷課長の話を聞き、同じように思っておられると思います」「天谷課長の説明が終った後、天井さんは、『ああそうか。それならそうしてあげねえの』と言って私と後藤課長に対し農協の要求どおり処理するよう指示されました」旨、同人の51・11・28付検面調書(14)には「前に私は天谷さんが天井部長に契約書などの書替を依頼した後『一億円については表に出さない処理をして欲しいのです』と言ったと言いましたが、多分天谷さんは『県から貰える一億円についても表に出さないようにして欲しい』と併せて言われたように思います。(「天谷は『税金のこともよろしくお願いします』とか『一億円と後の一億円とは税務署へ出さんと裏で処理したい』というようなことを言わなかったか」との検察官の問に対し)そのようなことを言われたかどうか覚えがありません。県から貰い農協へ支払う一億円についてその後農協の方から税務署へ支払調書を出さないよう依頼してきたようなことは一度もありませんでした。ですから後の一億円の税務署対策についてもこの時に天谷さんは天井さんに依頼していると思うのです」旨の各供述記載があり、後藤成雄証言<17>、<18>には「(『一億円と後の一億円も税務署へ出さんと裏で処理して欲しいということも天谷課長は天井部長に説明したんですね』との検察官の問に対し)確か言ったかと思います」「(『覚書のほうの一億円というのと後の追加の一億円というのを税務署へ出さんとおいて欲しいというのは、市公社としては支払調書を出す関係があって、その分だけは出さんとおいて欲しいという趣旨なんでしょうか』との検察官の問に対し)結局そういうことです」「(『で、この説明に対して天井部長はどういうふうに答えましたか』との検察官の問に対し)契約書の書替えにつきましては農協の言うとおりにしてあげなさいと言われました」「(『言葉として契約書と覚書の書替えについてということを言うたんでしょうか』との検察官の問に対し)そこまで記憶ありません」「(『農協の言うとおりにしてあげろということですか。言葉として』との検察官の問に対し)言った言葉の文句まではっきり覚えていません。(『しかし、そういう趣旨のことを言うたことは間違いないですね』との検察官の問に対し)はい」旨、覚書分一億円の支払調書については、「何かのついでのときに天井部長にもちょっと聞いたと思いますけれども、契約書どおりでいいんじゃないかということをおっしゃっておられたと思うんです。で、契約書といいますと、私の変な思いかも知れませんけれども覚書と契約書と二本立てということは契約書だけということになれば当然覚書の分は除外されるというように解釈しました」旨、追加一億円の支払調書については「岡藤局長は、『この金は何か雲の上の話のことやから天井部長に聞け』というようなそんな言い方をされたと思います」「(天井部長のところへ行き聞いたところ)やはり前おっしゃったように契約書のことを言われて、契約書どおりでいいんじゃないかというふうにおっしゃったと思います。ですけれども、それについては契約書ございません」「(『で天井さんが言ったというのは、その後の一億円なんかは報告しなくてもよろしいという趣旨のことなんですね』との検察官の問に対し)まあ、そういうふうにとったわけですけれども、それが土地代とか、いや県の立替金だとか、いろいろな何があったもんですから、そこら辺が自分自身でもはっきりしないんで」旨の各証言があり、これらは前記被告人天井の51・11・26付(300)、51・11・29(302)、51・11・30(二)(303)各検面調書の自白内容を十分に裏付けるものであると認められる。

(二) 脱税に関する天谷依頼の内容について

被告人天井は、初期の捜査段階および公判では天谷依頼の内容は覚書分中の四〇〇〇万円の趣旨の明確化にとどまると述べていたが、既に説示したとおり、これは到底容認できず、少なくとも覚書分の残り一億円に対する脱税を抜かりなく完遂すべく、税務調査に備えて従前の土地売買契約書と覚書の作り変えによる偽造方の依頼があったと認めるのが相当であるところ、なおその際合わせて天谷が被告人天井に対し覚書分の残り一億円分はもとより、いわゆる追加一億円分に関しても、税務署に報告しないで欲しいとの脱税協力方の依頼をしたか、どうかについて、被告人天井は右同様初期の捜査段階および公判において全面的に否認しており、この点に関する関係各証拠は、積極証拠たる前掲の分も含め相互に微妙に相異することが看取されるし、又同一人の供述も捜査段階と公判とではある者は大きく、ある者は若干自己矛盾を呈しているので、右の点に関する関係各証拠の信用性については充分慎重な吟味を行うことにし、先ず各供述内容とその変遷の軌跡を追跡・概観すると、(イ)天谷は捜査段階では覚書中の四〇〇〇万円については支払調書を税務署に提出し、残り一億円については税金を免れたい趣旨で「税金のこともよろしくお願いします」旨(前掲の同人の51・11・27付検面調書(謄)(68))、覚書分の一億円だけでなく追加一億円についても税金を免れたい趣旨で「税金のこともよろしくお願いします」旨(前掲の同人の51・11・28付検面調書(謄)(69))、二億円分の脱税依頼を肯定する供述をしながら、公判証言<9>では「無理な書替えをお願いしたうえ、税金のことまでもお願いした記憶はない」旨、全面的に記憶がない旨の供述に一転しており、(ロ)岡藤は捜査段階では「覚書の一億円については表に出さない処理をして欲しい」旨(前掲の同人の51・11・14付検面調書(13))、覚書の一億円のほか「県から貰える一億円についても表に出さないようにして欲しい」旨(前掲の同人の51・11・28付検面調書)、二億円の脱税依頼を肯定する供述をしながら、公判証言<16>、<17>では「(検察官の主尋問に対しては)明確に断言できないけれども、天谷の依頼の趣旨は、覚書の残りの一億円のみならず、県から貰えるはずの一億円についても表に出さない処理をして欲しいというように受け取ったが、(弁護人の反対尋問に対し)検察官から天井の部屋で追加の一億円も申告を出さないでおこうと言ったか((注)言った主語は不明確だが、天谷を指すようにも思える。)と聞かれ、『それを言った覚えもない』と答えたが、後藤が実はそう言っていたと述べていると聞いたうえ、検事から『言ったんだろう』という事で調書になった経過がある。」旨全体として二億円の脱税依頼があったことを肯定するものの、確言はできないなどとあいまいな供述に後退し、(ハ)後藤は捜査段階のみならず、公判においても一貫して「覚書の一億円と後の一億円とは税務署に出さんと裏で処理したいんや」との依頼であった旨の供述を維持していることが明らかである(後藤証言<17>)。そこで、先ず依頼の当の本人である天谷の捜査および公判供述中、脱税依頼に関する部分の信用性につき検討するに、関係各証拠、なかんずく上田三良証言<14>、<15>、小寺傅証言<11>および岡崎博臣証言<18>、<19>などによれば、天谷は、昭和四八年一二月下旬ころ坂本から明里用地に関する経費明細に関する調査を命ぜられ、いわゆる天谷メモを作成したのを皮切りに市公社との売買交渉を指示されて以来、直接の所管担当課長として価格折衝や契約締結などの事務に携わり、坂本、坪川ら常務役員が農協会館建設資金を捻出し、覚書分一億四〇〇〇万円を脱税するため、わざわざ契約を二本立てにしていることを知悉していたが、その後同四九年一二月末ころ坪川から市公社幹部との話合いで市公社が県に本件土地を一億円高く売り、その上乗せ分が市公社から市農協に支払われることになり、右追加一億円の果実で永田弥作との示談に要した費用の穴埋めをする考えであることを打ち明けられ、これまでの経緯からして常勤役員らが右追加一億円についても簿外資金化を目論んでいることを察知したこと、そして、翌五〇年一月に至り前記のように本件土地売買の収支に関し六〇〇万円余の赤字が出そうになったため、覚書分から四〇〇〇万円を土地代金として公表の収益に計上し、それに合わせて契約書などの作り変えを案出した小寺から右経理事情の説明を受けたうえ、契約書などの作り変えについて市公社と交渉するように指示されたが、その際右依頼の目的がひつきよう脱税を図った覚書分一億四〇〇〇万円から四〇〇〇万円を収益に計上し、なお残りの一億円についての脱税を維持すべく、辻褄合わせの工作を講ずることにあると了解し得たこと、ところで、天谷自身は、昭和四三、四四年ころ日本道路公団に自己の所有地を売却した際、公団から支払調書の写を受け取ったことがあったので、法令上土地売買に際し、税務署長に対し買主が支払った代金額などを報告する支払調書を提出するように義務づけられていることを知っていたこと、そこで天谷は、被告人天井に会う二、三日前の昭和五〇年一月二三日ころ後藤、岡崎と面談した際、契約書などの作り変えと合わせて、覚書の残り一億円については市農協は表に出さないから、市公社の方でも支払調書に出さないで報告しないようにして欲しい旨の依頼をなし、同人らから「税務署から調べられても困るから、そんな事は市公社としてはできない」と拒否されながら、なお「市には絶対迷惑をかけないから」とねばっていたこと、なお昭和五〇年一月二二日市農協の理事会が開催され、柳沢が近く市公社から追加一億円が入金の運びとなっている旨報告したが、天谷は開発課長としてその席に参列し、右報告を聞いていることが認められる。以上認定にかかる天谷が被告人天井に対し依頼に及んだ経緯、その目的、市農協常勤役員が抱いた覚書分の金員や入金が切迫していた追加一億円に対する簿外資金化の不正な思惑に対する認識・配慮および支払調書の仕組みに関する自己の体験に裏打ちされた見識と市農協に対する篤い忠誠心にかんがみると、天谷が被告人天井に明里用地売買に関する赤字収支発生の事情を説明したうえ、覚書に計上されている一億四〇〇〇万円から四〇〇〇万円減額し、その四〇〇〇万円は土地売買契約書に加算計上し、これに符合するように従前の覚書と土地売買契約書を改めて作り変えて欲しい旨依頼すると共に、頭隠して尻隠さずにならぬよう税務調査に対する周到な配慮から、合わせて右偽造工作に直接関連する覚書分の残り一億円分についてはもとよりのこと、入金が切迫している追加一億円についても市公社から税務署に報告しないで欲しい旨依頼に及ぶことは極めて自然、かつ当然の成り行きとして受け取られるのであって、これを全面的に否定する天谷証言<9>は誠に不自然、かつ不合理であるというべきであり、関係各証拠とも符合せず、到底措信するに値しないのである。この点は検討の光を天谷の証人としての立場に照らして考察すれば、より明らかになるのであって、すなわち、天谷の証言は、自己が依頼をしたがために法廷の被告人席に座ることを余儀なくされた被告人天井のみならず、市農協における最高の実権者であった柳沢の面前で、しかも右両者とも強く事実を否認し、罪責を争い、柳沢にいたっては証人に対する偽証教唆にまでのめり込んでいた苛烈な状況の下になされたものであり、従って、天谷としては核心に触れる重要な事柄に関しては、どうしても端的に真実を証言することを躊躇せざるを得なかったことは推察するに余りがあるというべきである。かえって、なお苦悩の跡を色濃く滲ませながら控え目で、しかも持って回った迂遠なところはあるものの、天谷の前記捜査供述にはそれなりの信用性を認めることができるのであって、そこに自己の責任を転嫁して被告人天井らを陥れるために虚構をねつ造しているような不自然な点は認められないのである。次に岡藤の捜査供述および公判供述の信用性について検討すると、既に認定・説示にかかる岡藤、後藤が天谷を伴って被告人天井に会い、その裁断・指示を仰ぐに至った経緯、天谷の依頼目的のほか、関係証拠によって認められる、岡藤自身は昭和四九年一〇月一日市公社事務局長に就任した後、昭和四九年九月二四日付豊住県総務部長との覚書(昭和五二年押第六六号の3、符箋番号8)を含む関係書類を見たうえ、上田三良局長らからの事務引継における説明などから、二本立てによる市農協との明里用地売買契約の締結とその代金支払状況や上層部間の話合いで市農協からの取得価格より一億円高く買ってくれることになった県から、市公社に支払われるあいまいな性格の上乗せ分一億円が更に何らの原因証書なくして市農協に渡されることになっていることなどを知るに及び、不審を抱き、被告人天井に質してみたこともあったが、同被告人は多くを語らなかったのでひそかに二本立てのうちの覚書分同様、政治的配慮に基づく異例の措置であろうと想像をめぐらしていたが、さらに、昭和四九年一二月中ころ、天谷から右一億円を早く県から貰って来て欲しい旨の要請を受けた際、かねがね筑田透常務理事から県との一億円は、天井が一人でやっているようなので、同人の言うことを聞いて処理するようにとの指示を受けていたため、被告人天井にその旨依頼したこと、ところが、その件は高村県管財課長から拒絶されたので、被告人天井に報告したところ、同人は「こんなもん、市長に分ったらどうもならんな」とたいそう困惑した様子を示したので、岡藤の内心にこの金については市長の十分な了解が得られていないのではなかろうかとの疑いがよぎったこと、昭和五〇年一月二三日市公社第五回理事会が開催され、右一億円を同年二月一日市農協に支払うための支出を含む補正予算案が可決されたが、それより前、岡崎博臣総務課係長らは被告人天井より右一億円を補正予算に計上するようにとの指示を受けたので、岡藤に対しその旨報告したこと、岡藤は前記のように県から早期支払を拒絶されたので、市公社の公金でもって支払いするためにわざわざ補正予算を組むのであろうと推測していたが、右理事会で自ら右一億円の支出について事情説明をなしていること(昭和五二年押第六六号の8)、以上の事実から岡藤は二本立てのうちの覚書分と追加一億円についてはそれぞれ明確に区別して認識していたうえ、その不明朗な性格に対し相当な関心を抱いていたが、それに関する一切の処理は、挙げて被告人天井の指示による姿勢をとっていたことが明らかであることなどにかんがみると、岡藤は天谷の依頼の趣旨・内容を相当注意深く聞いたはずであり、従って、誤りなくそれを把握し得たものと考えられるほか、いかに岡藤自身も共犯者としての責任を免れることが出来なかった立場にあったものとはいえ、その捜査・公判供述のいずれにも自己の責任を被告人天井に転嫁するため、殊更事実を歪曲し、虚構をねつ造しているような不自然さはもとより、いたずらに被告人天井らにとって不利益な事実のみを増幅・強調しているような意図的な偏倚も見出し難いことをも総合すれば、岡藤の捜査・公判供述は合計二億円に及ぶ天谷の脱税協力依頼の存在に関しても十分信用できるものというべきである。もっとも既に摘示したところからも窺えるのであるが、同人の公判供述は全体としてあいまいさが目立ち、前後一貫性を欠くところがあり、苦渋の色を示しつつもいささか自己保身に傾いており、率直性に乏しいとの憾みがあることは否定し難いが、他面強硬に否認する、かっての事実上の最高幹部たる被告人天井の面前であることに日時の経過を併せ考慮すれば、けだし後退化・あいまい化は免れ難かつたろうし、局長就任後三か月後余にして心ならずも本件の重大な発端をなした事件の渦中に巻き込まれたことによる精神の動揺も大きかったことは推察に余りがあるので、前記の欠点も、その証言の全体としての信用性に対し決定的なマイナス要因とはなっておらないとみるべきである。最後に後藤の公判供述の信用性につき検討を加えるのに、既に認定・説示にかかる岡藤・後藤が天谷を伴って被告人天井に会い、その裁断・指示を仰ぐに至った経緯、天谷の依頼目的のほか、関係証拠によれば、後藤自身は、昭和四九年四月一日市公社総務課長に就任し、同年九月ころは覚書分一億四〇〇〇万円の支出手続に関与したものであるが、土地売買契約書、覚書を見たうえ、上田三良事務局長の説明を受け、本件土地売買は二本立て契約方式によってはいるが、それは市農協が覚書分一億四〇〇〇万円の裏金化による脱税を図る意図からなされたものであることを察知したこと、その後同月下旬ころ豊住県総務部長との間で覚書を交換する決裁伺書(昭和五二年押第六六号の3、符箋番号7)を回覧したので、上田に市公社は市農協に対し更に一億円支払うのかと質してみたが、同人は「天井部長がそうせいといわれるのだ」と答えるのみで、その金の性質についての説明を受けなかったこと、昭和五〇年一月ころ坪川から右覚書に記載してある一億円の早期支払を求められ、これを断ったことがあり、更に同月二〇日付で福井県に対し同年二月一日付で市は市農協に右一億円を支払うので右覚書の趣旨に基づく利子加算の通知を出す決裁伺書(昭和五二年押第六六号の3)を回覧していること、昭和五〇年一月二三日市公社第五回理事会が開催され、右一億円を同年二月一日市農協に支払うための支出を含む補正予算案が可決されたが、後藤は岡崎博臣総務係長と共に被告人天井に命ぜられ、右補正予算案の作成に関与すると共に、右理事会に出席し、岡藤の右一億円の支出に関する事情説明や被告人天井の補足説明を聞いていること(昭和五二年押第六六号の8)が認められ、以上の事実関係から後藤は二本立てのうちの覚書分と追加一億円についてはそれぞれ明確に区別して認識していたうえ、それらについて市農協が脱税を企図しているという動きを感知していたことなどにかんがみると、一度天谷の依頼を拒否している後藤として更に実際の事務執行者の立場からも被告人天井に対する天谷の依頼の趣旨・内容は深甚の注意を払って聞いていたはずであり、従って、誤りなくそれを把握し得たものと考えられるほか、いかに後藤自身も共犯者としての責任を免れえない立場にあったとはいえ、その供述内容には自己の責任を被告人天井に転嫁するため、殊更事実を歪曲し、虚構をねつ造しているような不自然さはもとより、いたずらに被告人天井らにとって不利益な事実のみを増幅・強調しているような意図的な偏倚も見出し難いことをも総合すれば、後藤の公判供述は、合計二億円に及ぶ天谷の脱税協力依頼の存在についても十分信用できるものというべきである。もっとも同人は、全体として控え目に述べているほか、二本立て契約や文書の作り変えが脱税につながるとは全然考え及ばなかったというように不自然な供述もなしているが、かっての事実上の最高幹部たる被告人天井の面前であることのほか、日時の経過をも併せ考慮すれば、その程度の後退はけだしやむを得ないと受け取められ、その信用性に影響を及ぼさないこと明らかである。そして、右措信し得る各裏付証拠とこれに符合する(一)掲記の被告人天井の各自供調書を総合すれば、天谷の右依頼に対し被告人天井がこれを了承したうえ岡藤および後藤に対し市公社において右依頼の趣旨に応じた措置を市農協の為に講じてやるようにとの指示を与えたことが明らかである。そもそも被告人天井が覚書分の残り一億円の脱税協力方について天谷の依頼を拒絶する理由に乏しかった事由については四の2の(二)で述べたところと同断であり、追加一億円についても、それは被告人天井と柳沢らが画策して捻出することに成功した政治的加算金以外の何物でもなく、市長、筑田透常務理事はもとより、岡藤、後藤、岡崎ら事務幹部職員に至るまでその金員の性格や支出の必要性などについて十分な理解が出来ず、そのため加藤業務課長は昭和五〇年一月二三日開催の市公社第五回理事会において追加一億円について本所所管課長として説明すべきところ、それをなし得なかったため、岡藤がその説明に当ったものの、その内容たるや二本立て契約により市農協に支払った代金も県に対する立替金であるというなど誠に牽強付会的なものであったこと、被告人天井は大武市長に対しても右一億円について充分な説明をしておらないのみか、右一億円支出に関する昭和四九年度補正予算案作成の際岡崎に対し、「農協会館の建設資金で、あとで県から入って来るから一時立替払いするんや。市公社の腹は痛まないから」と説明し、同人から開発公社は公拡法によって土地開発公社に組識変えになった結果、市公社の目的は用地の取得と造成に限られ、建設資金とか補助金という名目では支払できない旨言われる始末であり、同被告人としては右一億円は前記政治的加算金であり、二本立て契約による覚書分同様、柳沢らが裏金として処理することは十分推知していたので追加一億円の脱税協力方についての天谷の依頼を拒絶する理由などさらさらなかったわけであり、全く難色を示すことなく全面的に天谷の依頼に応じたのには、正にその下地として充分な経緯と事情があったらばこそといえるのである。そして、判示の如く現にその後事態は天谷依頼の趣旨にそって展開していったのである。すなわち、後藤証言<17>、岡崎証言<18>、<19>および被告人天井の51・11・29付検面調書(302)によれば、昭和四九年度分の支払調書に覚書分の残り一億円の市農協に対する支払を書き上げないで、福井税務署長にその報告をしない処理をなすことについては昭和五〇年一月頃、追加一億円について昭和五〇年度分の支払調書に右同様の処理をなすことについては昭和五一年一月頃、後藤は前記のとおり被告人天井から既に右各一億円について天谷の税務署に報告しないで欲しいとの依頼に応ずるようにとの包括的指示を受けていたものの、なお事が事だけに念を押す形で、その度ごとに事前に被告人天井から直接「契約どおりでいいんじゃないか」との返答を得たうえ、前記のとおりの事務処理をなしていること、ことに岡崎は昭和四九年度分の支払調書提出の決裁を受ける際、自ら被告人天井に対し、支払調書決裁伺書(昭和五二年押第六六号の6「支払調書合計表(給与不動産)」中の昭和五〇年一月二八日付岡崎起案にかかるもので、後藤の指示を受け、当初の明里用地代金二億三六五七万三一九二円の下に四〇〇〇万円と書き加えたもの)を提示し、被告人天井もこれを了解して決裁印を押したことが明らかである。これに反する被告人天井の弁解供述は前掲証拠と対比して信用できない。

(三) 以上の次第で被告人天井にかかる法人税法違反幇助罪の成立することは証拠上明らかであるところ、追加一億円の所得帰属年度は、後記第三の一の4の(三)説示の如き理由により昭和五〇年度と解するのが相当であり、従って、その逋脱は正犯者たる柳沢に対する昭和五〇年度法人税法違反罪の内容をなすものとして認定・処断されることに従い、被告人天井についても、主位的訴因ではなく昭和五七年二月五日付申立にかかる予備的訴因の成立を認めたが、被告人天井の幇助行為そのものは自然的・社会的見解上一個であると判断したものである。

六 追加一億円について

既に五の2の(二)で若干言及・説示しているところであるが、被告人天井や弁護人らが主張する市公社の本件土地売買に対する根本的立場ないし姿勢およびそこから当然由来する追加一億円の性格並びに右主張の有力な根拠として援用されている主要な証拠資料の価値評価などにつき、改めてここでまとめて判断を加えることにする。

1 先ず被告人天井らは、市公社は県と市農協との間の明里用地売買の斡旋者に過ぎないというけれども、関係各証拠によれば、市農協の方では昭和四八年一二月二一日開催された市農協の理事会において明里用地は市公社に対し売却することが決定されたこと、他方市公社の方では同年三月二七日市公社理事会においてパークアンドライド方式の郊外駐車場用地取得を含みとする明里用地買収費として三億五〇〇〇万円を計上することなどを内容とする昭和四八年度当初予算案が可決され、その後右取得目的は放棄され、それに代る特定の取得目的は未定であったものの、県所有の幾久グラウンドとの交換を図るなど、多目的な代替用地として先行取得し、これにより都市整備を推進するとの政策方針は依然として維持されていたこと、昭和四九年二月二七日市農協と市公社との間で本件土地売買契約が成立したが、それに至る折衝過程において、右代金額を含む契約内容などを定めることについて、事実上であっても県の意向ないし要望が徴され、それが酌まれた事跡は全く認められないこと、単なる斡旋であれば、少なくとも右契約上の所有権移転登記は市農協より県に対しなされるのが筋合であると考えられるのに、実際は同年三月五日市に対しなされていること、右契約後柳沢、坪川らは右譲渡代金額が安きに過ぎたと不満を抱き昭和四五年一月二七日福井市長島田博道と福井市農協合併対策委員長山田等との間で交わされた合併覚書((弁)20の1)を盾に取り、市公社から更に一億円引き出そうと企図し、その手段として市公社をして明里用地の取得を希望している県に対し右代金額に一億円上乗せした価格で転売するように仕向け、その上乗せ分を市公社から回してもらうことを考案し、これを市公社との契約代金額の決定に当り、右覚書の趣旨をくんだ約九〇〇〇万円の上積みを認めてくれたうえ、それを含む一億四〇〇〇万円を本来の土地売買契約書とは別の覚書に計上し、その分の逋脱を図ることまで容認してくれるなど市農協に好意的姿勢を示していた被告人天井に持ち掛けたところ、同人は市農協が県に対し根回しさえしてくれるならという事で右提案を受け入れたこと、根回しの結果前向きの感触を得たという柳沢の報告を受けた被告人天井は、県管財課長高村義裕、県総務部長豊住章三らとかなり執拗かつ高姿勢で折衝した末、県に対し転売代金として市公社の取得価格に一億円上乗せした価格をのせることにこぎつけることができ、昭和四九年九月二四日覚書を交わしたうえ、昭和五〇年六月二八日市公社と県公社との間に約定の金利などを含む五億五七六九万一〇七一円で売買契約が成立したこと、その間被告人天井は柳沢らから上乗せ分一億円の早期支払を求められ、やむなく補正予算措置を講じたうえ、昭和五〇年二月一日市公社は市農協に一億円を支払ったこと、他方県が明里用地を購入するに至った経緯として、公式には先ず昭和四九年二月一〇日の県知事査定において、総務部管財課を主管課とし、取得目的を定めない普通財産として取得することが決定され、同年三月二三日明里用地買収費として三億九六〇〇万円が計上されている昭和四九年度当初予算が可決成立し、その後市公社との明里用地の買収交渉に入ったこと、その間、黙示的にもせよ、県から市公社に対し市農協との明里用地買収の代理・代行を委任した事実はもとより、買収の斡旋・媒介を委託したこともなく、その他県の方に市農協からの直接取得を妨げる障碍事由があるなどの理由により迂回手段を講じて終極的に取得目的を達するため、形式的に市公社を介在せしめ、あたかも市公社から買った如く装って、右事由の潜脱を図ったような事跡も見出し得ないこと、現に被告人天井は市農協との契約締結後、県から日付を契約日以前に遡及させた本件土地に対する購入(取得)委託文書を取得しようと図ったが、昭和四九年九月ころ、日付白地の売却依頼文書(昭和五二年押第六六号の3「用地買収綴」中の符箋番号5、福井県知事中川平太夫より福井市土地開発公社理事長島田博道宛昭和四九年二月二八日村「福井都市計画西部第一土地区画整理事業70・71・72街区の土地購入について」と題する書面)しか貰えなかったので、やむなく右日付を契約の翌日である昭和四九年二月二八日と補充したこと、以上の事実関係が明らかであり、それによれば、形式的には勿論、実体的にも市公社は明里用地に関し市農協、県とのいずれの売買契約についても、れっきとした契約当事者であって、単なる斡旋者と目すべき余地は全く存しないというべきところ、ただ豊住らは、被告人天井から市公社へ支払う代金のうち一億円相当分が事実上終極的には市公社の懐に留まらず市農協へ流入することは知らされていたのであるから、右一億円分の金の流れだけを取り上げると一見いかにも市公社は県と市農協との中間に介在してその授受の橋渡し役を演じているように見えるだけに過ぎず、ひつきよう被告人天井は、右一億円の政治的加算金という不明朗な性格に対するベールとして、表現・体裁を整えて、前記のように主張しているものと解されるのである。翻って考察するに、法令・定款上明らかに公有地の先行取得をその存立目的とする市公社が多額の公金を使用して事もあろうに不動産仲介業者のように、不動産の斡旋業務を、しかも対象物件について、一旦は自己名義の所有権移転登記まで経由させる形式をとって行い、中間に自己を介在せしめることによる転売差益(いわゆる土地転がしによる利益にほかならない。)を挙げて当初の地主(売主)に与えるようなことが、まともになされ得るはずがないことは、ここで多言を要しないところであって、げに、いみじくも岡藤に洩らした被告人天井の「こんなもん、市長に分ったらどうもならんな」という短い言葉にそれが含蓄されて余りがあるというべきである。

2 次に被告人天井は、追加一億円は昭和四九年一月二三日付陳情書に対する島田市長裁定に基づく県に対する売買斡旋の過程で、県が補助金の交付は出来ないものの、代金を一億円上乗せすることで右陳情に応えたもので、不明朗な政治加算金というようなものではない旨主張するが、既に(犯行に至る経緯)第一の三で詳細に判示したとおり右陳情書を作成した坪川の真意は、決して文面に表れているような正規の助成金一億円の増額陳情にあったのではなく、二本立て契約方式をとり、覚書分の脱税を図ることにあったが、右陳情書が市に提出された後は坪川の真意とは掛け離れ、市農林部局関係職員によって文面どおりのものとして取扱われていったこと、昭和四九年二月五日ころ開かれた昭和四九年度当初予算に対する市長査定の場で、島田市長は、県に対する売買斡旋の過程で右陳情の解決処理を図る趣旨の裁定を下したという事実はなかったが、被告人天井から、この件は明里の土地代金の中で考えることにしましょうというとりなし風の発言があったため、最早補助金の形で予算化することはできないという島田市長の発言にもかかわらず、右陳情の件はあいまいなまま懸案事項となったこと、もっとも被告人天井といえども、その際既に右陳情に対し県に対する転売差益で応えてゆこうとまでの深謀遠慮をめぐらしたうえ、県に対する売渡代金の中から陳情分を捻出していくという趣旨を含めて右発言に及んだものとは認められず、漠然と右陳情分一億円は市農協に対し支払う坪九万円の買収代金の中に盛り込んでいることを表現したものと解されるが、部長査定のころ既にそのことを同人から聞かされていた企画調整課長栃川守夫を除いてその場において右発言を的確に把握理解し得たものはいなかったこと(なお、市長事務引継書のうち農林部農政課の分の写((弁)35)によると小島竜美も理解者であるかのようであるが、同人は右書面に関し自己矛盾の公判証言に及んでいるので、同人を理解者と断定するのは控えることにする。)、「大学ノート」(昭和五二年押第六六号の37、(弁)32)に栃川が記入した「農林部、市農協センターの助成、約束の分一億について各年に一〇〇〇万円、四八年度は未執行か、開発会社の土地買収の中で助成」なる記載部分も被告人天井の主張を支持するに足りるものではなく、栃川守夫証言<20>、<42>に徴すると、単に市公社の市農協に対する買収の中で助成済みであるという栃川の認識を現したものに過ぎないこと、「予算査定メモ写」((弁)37)に市長査定に出席していた収入役小島竜美が記入した「一億補助を倍額にしてほしい(一〇年分割)、増額分については研究」なる記載部分も、陳情の件については文字どおり一定の結論が出なかったことを示すものであることは小島証言<28>に徴し明らかであること、昭和四九年三月二四日島田市長が死去し、大武幸夫が新市長に当選して事務引継を受けた際、被告人天井から明里用地問題に関し、市農協から出ている農協会館建設補助金の増額陳情の件は解決済みであって今後問題になることはないという説明を受けており、「市長事務引継書のうち農林部農政課の分の写」((弁)35)に小島が記入した「市補助一億円と更に農協の土地買収の中で更に一億円すなわち二億円を補助することになる」という記載部分も、既に言及したところであるが、小島の自己矛盾の公判証言および右文言自体に徴すると、到底被告人天井の主張を支持するに足りるものとはいえないこと、「市長事務引継事項」((弁)22)に秘書課長山本務が記入した「一億円→二億円」なる記載部分も、さほど大して意味のあるものとは認められないことは山本証言<31>により明らかであること、被告人天井が意図的に坪川陳情分一億円を市農協に対し支払った三億七六五七万三一九二円の中に盛り込んでいたことは同被告人自らその意向を栃川に伝えているうえ(栃川証言<42>)、県との売買価格折衝の際高村に四億八〇〇〇万円という要求価格の根拠を説明する中で数額まで挙げて、明示している事実(これは高村証言<42>により確認し得るところであるが、同証言は詳細かつ具体的であり、又、臨場感と迫真性に富み関係各証拠とも符合しているうえ、同人は被告人天井とは特に利害関係を有しない立場にあることをも併せ考慮すると、その証言価値は極めて高いのである。)から十分これを窺うことができること、被告人天井は当公判廷における被告人質問や最終陳述の中で「倉田検事から、あまりにも事実無根の取調べを受けるので、昭和五一年一一月二三日ころ私は重大な証拠となる昭和四九年九月における豊住県総務部長と市公社の大武幸夫理事長との覚書の原稿のコピーされているものを見たことがあることを思い出し、倉田検事に告げました。倉田検事は市公社から一一月二四日その覚書原稿のコピーを手に入れ、私に見せながら、『天井さん、こんなもの今ごろになってあるといってどうにもならん。これでは事件になりませんわ』といいました。私は、その言葉を聞いてその晩やっと眠れたことをはっきりと覚えています」と述べておるので、そこに出てくる覚書コピー写((弁)38)について検討すると、上田証言<14>、<15>、豊住証言<30>、島本正昭証言<32>、被告人天井の51・11・27付検面調書(301)、覚書(昭和五二年押第六六号の3の「用地買収綴」中の符箋番号8)、昭和四九年九月二〇日付起案、同月二四日決裁起案者山田正邦作成の「覚書の交換について」と題する決裁伺書(同「用地買収綴」中の符箋番号7)によれば、被告人天井と豊住との折衝が合意に達した後、藤井之夫県管財課長補佐らが覚書の原案(以下、これを「第一次原案」という。)を作成したが、第一次原案には市公社が市農協に支払う上積みの一億円の性格について触れられていなかったこと、ところが藤井から第一次原案を受け取った市公社の上田事務局長が、これを被告人天井の閲覧に供したところ、同人から右上積みの一億円を農協会館建設補助金と表記せよとの指示を受けたので、藤井に対しその旨申し入れ、同人はこれを受け入れた結果、前記(弁)38の如き「乙((注)市公社を指す。)が福井市農協会館建設補助金として支出予定の一億円」と表現された覚書原案(以下、これを「第二次原案」という。)ができたこと、ところが、右第二次原案につき県内部で決裁手続中、豊住が当該部分が右の如くなっていることに気付き、補助金が制度的なものである以上、全然筋違いであると判断し、藤井に対し第一次原案とほぼ同様の「今後支払予定の一億円」という表現に訂正するよう指示を与えた。かくて、覚書は、昭和五二年押第六六号の3の「用地買収綴」中の符箋番号8の如く「第二条乙((注)市公社理事長大武幸夫を指す。)が甲((注)県総務部長豊住章三を指す。)に対し売渡す価額は次によって算定した価額とする。1街区面積一三九六一・三二m2の価額は、乙が福井市農業協同組合にすでに支払った三億八一四二万二四五四円および今後支払予定の一億円を含めた四億八一四二万二四五四円とする」という記載になったこと、それにもかかわらず、被告人天井は真実を供述するといって自白するに至った段階の昭和五一年一一月二七日においても、検察官に対し、「昭和四九年九月下旬ころ、私は覚書の決裁が回って来たので、その時、初めて覚書の文章を読み、決裁した。その様なわけで私は覚書の起案の過程には関与しておりません」と虚偽の供述をしていたこと、以上の事実が認められ、右認定事実および右認定に供した証拠を含む関係各証拠によれば(弁)38は被告人天井にとって有利な証拠資料ではなく、かえって不利なものといわざるを得ないこと、昭和四五年一月二七日付合併覚書を盾に取った市農協の要求を受けた被告人天井が無批判にこれを受け容れ、高村らにそのままぶつけ、売買代金の上乗せに成功したが、市公社が市農協に一億円を追加支払する名目に窮したので、昭和四九年九月二七日付覚書中の「農協会館の建設資金」という表現に擬し、亡島田市長が既にその交付を不可と決定している農協会館建設補助金なる名目を付けて追加一億円の性格を粉飾しようと図ったが、専門行政官たる豊住にチェックされ、その企図があえなくも潰えたことが明らかであること、坪川の51・11・19付(二)(55)、51・11・30付(58)各検面調書(謄)および坂本の51・11・11付(42)、51・11・14付(46)各検面調書(謄)によれば、被告人天井は、昭和五一年七月二八日ころ電話で、坂本に対しては「問題の一億円は、あんたの方から一億円の補助金増額陳情書を出して来たので、市長査定に持ち上げたところ、一般会計からは出せんから、あの土地を県へ適正価格で処分すれば、一億円程度の果実が出るだろうから、その果実を農協へ出したらよいと島田市長からの指示で出したことにしておいて欲しい。このことについては、市長査定の後ころ、私からあんたに話をしてあり、あんたの方でもそれを知っていたことにして欲しい」旨、坪川に対しては「今日の新聞に渡辺県議の談話が出ており、その中に坂本さんの言われたことで、あの一億円については知らんと言っておられるようですが、そんなもんじゃござんせんのやざ。これは農協から出された陳情書に基づいて市長査定の時持ち上げて、市長の意思で、県へ売り渡すとき一億円上乗せして交渉せいと言われて、おいこつな目におうて、もろうて来てあげたもんやざ。農協の役員さんがめんめんこんこんに云うてもらうと困るんや。迷惑するのは役所やざ。あんたの方で幹部の意思統一をしておいて欲しいんや」旨それぞれ依頼して証拠隠滅工作をなすよう働き掛け、これに応じて坪川は「確認事項」と題する事実関係を歪曲したメモを作成し、坪川、坂本、柳沢、前川、柴田ら市農協常勤役員間で意思統一を図った事実が認められること、以上の諸点を総合して考察すれば、追加一億円は、被告人天井と柳沢、坪川との共謀による昭昭四九年二月二七日付売買契約で定められた売買代金に対する一種の政治的加算金にほかならず、被告人天井のこれに反する主張はすべて理由がない。この点に関しては、被告人天井の51・11・27付検面調書(301)によれば同人は検察官に対し「私は今日迄明里の土地代として、公社から農協に払った最後の一億円は、四九年二月四、五日ころの市長査定の時に、島田市長と私が話合って、三億八〇〇〇万円に、もう一億上積みしてやろうと決めた為、払ったものだったと申し上げて参りましたが、実は間違いでしたので、訂正します。本当の事を申しますと、四九年一月二三日付の陳情書による会館建設補助金一億円追加の問題は、明里の土地代を坪当り二万円上げて合計三億八〇〇〇万円、もう少し正確にいいますと、三億七六〇〇万円と一寸で解決済みだった。ですから、確か三月の初めには、登記手続もしていたはずである」旨自白しており、この自白が信用できることは既に詳しく説示したところであって、今更贅言を要しないのである。

第二被告人柳沢の公文書偽造の犯意などについて(判示第一)

被告人柳沢および弁護人大槻は、土地売買契約書および覚書を偽造することについて同被告人が承認の決裁をしたこと、偽造された当時これらの文書を提示され閲覧したことを否認し、これらの文書は警察の取調の時点で初めて提示されたものである旨主張するので審按する。

一 被告人柳沢は身柄不拘束のまま昭和五一年七月一二日羽田輝夫警部補の取調を受けたが、曖昧な供述に終始し、同月一四日および翌一五日の二回にわたる小林正雄警部の取調に対し、当初は否認していたものの、同警部の説得に応じ本件文書偽造関係を中心として自白するに至ったこと、ここで特に注目すべきことは同警部作成の二通の員面調書(306、307)に徴すると、右自白内容は矛盾するところがなく、ごく自然で臨場感に溢れており、かつ同被告人が経理に詳しく犀利な機智と抜群の情勢判断力・実行力の持主であることをも併せ考慮すれば、その犯行の動機・目的も充分首肯するに足りる説得力に富んでおり、他方単なる一部自白ではなく、ほぼ全面的・網羅的で核心にふれていること、ところが、被告人柳沢は、本件が関係者に対する全面的強制捜査段階に入り、自らも身柄を拘束されて検察官の取調を受け始めるや、全面否認に転じたが、同人の51・11・27付検面調書(300)によれば、同人は関係証拠により争うべくもない客観的事実すらこれを否認していることが認められるのであって、すなわち同人は明里の土地に関し、その収支が赤字になったので、どうしようかという相談を受けたこともないと述べているが、右相談があったこと自体は証拠上明らかな事実であって、かかる明白な事実すら敢えて否定しようとする同人の供述態度は余りに不自然であるとみられること、更に同人は小寺傅企画監査課長が五一年の警察の取調を受けた後、坪川専務がいた役員室へ来て、警察では覚書分から四〇〇〇万円を土地代に組み入れることについて柳沢組合長には相談したというように供述してきたと報告するものですから、私は「そんな馬鹿なことがあるか、聞いたことがない」と激しく怒鳴ってやったが、小寺は「そうでしたか。言っていなかったですか」と言うのみであった旨述べているが、当時の状勢にかんがみ、かかる小寺傅とのやりとりがあったことは容易に首肯できるところではあるが、右やりとりは当然被告人柳沢自身が警察の取調を受けた前記昭和五一年七月一二日以前のことであると推測され、してみれば、右取調に対しても当初全面否認していた同被告人が、小寺傅の報告を不本意なものと受取って厳しく叱責したことは当然であると考えられるが、むしろここで強く印象的な事柄は、ワンマン的存在であった同被告人の怒りを込めた発言に対し右小寺がその発言内容をすんなり認めようともせず、もとより遺憾・謝罪の意を表すこともなく、むしろ同被告人に対し不満・不信の念を抱いたことがありありと看取できること、次に同被告人は51・11・30付(二)検面調書(305)において「今回問題となっている契約書・覚書は税務署の人に見せたんではないかと思っていた。昭和四九年度の確定申告について税務署の調査に対し覚書も見せたと思っていたから、税務署の人から何も言われなかったので、一億四〇〇〇万円を収益に上げなくても通ったものと思っていた。小寺が警察で取調を受けた後、覚書分の一億四〇〇〇万円を一億円と四〇〇〇万円に分けることなどについては、私や坪川の了解をとっていると供述してきたと言うので、私は叱りつけたが、その際坪川専務は小寺の話を知っていたようで、私に『組合長聞いたんじゃないか』と言ってきました。私は『聞いていない』と言ったところ、坪川は『ほうかなー』と言っていた。だから私は席を外していたのではないかと思った」旨述べているが、右供述のうち、前段の「契約書・覚書を税務署員に見せたと思っていた云々」が全く措信できないものであることは極めて明白であり、流石に公判段階ではかかる供述は維持されておらず、後段の如き小寺・坪川とのやりとりがあったことは十分信用できるとしても既に右小寺とのやりとりに関し言及しているところではあるが、注目すべき点は、坪川専務も被告人柳沢に反論し、あくまでその主張に同ずる色を示さなかったことであって、総じて同被告人の検察官に対する弁解供述は終始説得力を欠くものであったと認められ、公判段階ではますます支離滅裂な混乱した否認供述をなしているのである。他方、小寺傅を中核とする関係者の関係各証拠を総合すれば、以下の如き事実関係を優に肯認できる。すなわち、

(一) (被告組合部内における当初の土地売買契約書および覚書偽造などの必要性の発生)

1 昭和五〇年一月下旬ころ、被告組合管理課において、昭和四九年度(被告組合の事業年度は一月一日から一二月三一日まで)の決算手続をしていたところ、明里用地売却に関し、昭和四九年二月二七日付売買契約書に計上していた二億三六五七万三一九二円のみを土地売買代金として経理処理するときは、旧地主である組合員に支払った土地代金などとの関係において、その収支が六〇九万五八〇円の赤字となる不合理な点が判明したが、その因って来たる事由として明里用地の売却代金は、公表経理上、二億三六五七万三一九二円のみとされたが、右経理処理を一貫するためには、そもそも右売却代金額の根拠が旧地主に対する土地買受代金と協力費の合計額にあったのであるから、公表経理上の明里用地の土地勘定としては、収益として右売却代金額を、費用として買受代金および協力費の合計額(売却代金額と一致する。)のみを掲げ、収支同額として計上し、その余の費用として実際支出した借入金利子、登記手数料などの利子および費用は、土地勘定とは別に一般経費として計上しなければならなかったことが明らかである。そこで管理課において、右方針に従って土地勘定の損益計算をしたところ、収益は土地売却代金二億三六五七万三一九二円、永田弥作関係分未収金四八四万九二六二円(永田分の売買契約は昭和四九年一二月一七日成立)で、合計二億四一四二万二四五四円であり、費用は同四六年二月一六日付購入契約に基づく土地買受代金二億一九四七万四九五四円(永田分も含む)、昭和四九年二月二〇日旧地主へ追加支払をした協力費二三〇三万八〇八〇円、同年一二月七日支払った永田弥作との和解金五〇〇万円、以上合計二億四七五一万三〇三四円であり、差し引き六〇九万五八〇円の赤字となるが、それは第一に旧地主に対し約定の売買代金の積み増しに応じ、本来旧地主の負担すべき固定資産税、都市計画税、譲渡所得税を協力費の名目で追加支払し、(借方)土地二三〇三万八〇八〇円(貸方)支所仮勘定二三〇三万八〇八〇円の経理処理をしたこと、第二に、永田弥作との和解で五〇〇万円の支出を余儀なくされたためであった。右永田との和解金五〇〇万円は現金で支払われ、(借方)建設仮勘定一〇〇万円(貸方)現金一〇〇万円、(借方)建設仮勘定四〇〇万円(貸方)現金四〇〇万円として一旦処理済みであったにもかかわらず(昭和五四年押第三一号の9の1)、ここで同額を土地勘定の中で計算したことは、後記のとおり簿外にしていた一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円を公表に引き戻して収益として計上し、赤字を穴埋めする過程で、理事会の正式承認を得ないで支払った右五〇〇万円も、併せて処理してしまう意図であったものと推測される。

2 そこで中山龍夫管理係長は、その旨岡田政憲計算課長に報告し、更に小寺傳企画監査課長にも同様な報告を行ない、右三者間で協議したところ、明里用地勘定につき赤字収支のまま決算を組み、これを被告組合総代会に上程するときには、旧地主を中心とする組合員らから、農協会館建設用地にあてるというから仕方なく坪当たり約五万円という安い価格で手離したのに赤字にするとは何事だとの執行部批判の声が起こることは必至であり、又、そのような事態に立ち至れば、当時の土地価格の上昇傾向にかんがみ、転売して赤字になることはおよそ不可解であるとして税務当局が調査を開始するやも知れず、そうなれば、公表経理上、土地売却代金収入の一部である一億四〇〇〇万円を収益から除外を企てていたことまで根こそぎ発覚してしまうということもおもんばかって既に圧縮処理などで簿外にしていた当初の覚書記載分の一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円を公表経理に浮上させて土地売却代金(収益)に引き戻さなければならないという結論に達し、公表経理に引き戻す金額については、当時の地価高騰状況も勘案し、むしろある程度の利益額を出した方が適当であること、切りのよい金額とすること、常勤役員らが一億円程度は簿外にして農協会館建設資金に充当することを強く望んでいたことなどの事情から、四〇〇〇万円と決定した。

3 小寺は、右協議を終えた後、単に右経理処理をなすにとどまらず、当初の土地売買契約書および覚書を右経理処理に即した新たな土地売買契約書、覚書と差し換えるべきことまでも考えついた。すなわち、被告組合では、毎年確定申告の後、福井税務署から調査を受け、大口取引については会計伝票類のみならず、証憑書類の提示を求められるので、単に経理処理を改めるだけでは不十分であり、土地売買契約書、覚書そのものの改変を要するところ、金額欄を変えるにしても、従前の金額の上に線を引いて抹消したり、或いは従前の金額の上に紙を貼るなどして変更した金額を記入するなどの方法を用いると、改変した事実や改変前の金額まで知られることになり、税務署の調査官をして、取引の実体と合致していないかも知れないとの疑念を抱かせることになってしまうので、結局それを未然に防止する万全の方法として、土地売買契約書については金額四〇〇〇万円増額して二億七六五七万三一九二円に、覚書については金額を四〇〇〇万円減額して一億円にそれぞれ変更し、かつ作成年月日、作成名義人については従前のままとし、もって、全く新しい別個の土表売買契約書および覚書を作成し、これと当初の土表売買契約書、覚書とを差し換えることにした。

(二) (被告人柳沢の本件公文書偽造の犯意発生および偽造指示状況)

1 小寺は、昭和五〇年一月二〇日ころ、右協議結果を柳沢ら常勤役員に報告し、同人らの指示を仰ぐため単身役員室に赴き、被告人柳沢、坪川専務理事の両名に対し「決算のため締めてみたら、明里の土地勘定で永田弥作との和解金の関係などで六〇〇万円ばかり赤字が出ることが判りました。それで、建設仮勘定に圧縮してある覚書の一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円を利益に繰り入れたらどうかと思いますが、どうしましょうか。それに、契約書と覚書も市公社の方に頼んで差し換えねばなりませんが、よろしいでしょうか」と報告してその承認方決裁を求めた。これに対し被告人柳沢は、坪川と協議のうえ、当時土地価額が上昇していた折柄、組合員から坪当たり五万円ばかりの安い値段で買っている以上、本来赤字になる理由がないのに赤字勘定のまま決算報告すれば当然執行部批判が噴出し、事態が混乱することが予想されたことから、この際右経理処理をなすのもやむを得ず、またこれをなしても、なお一億円を引き続き建設仮勘定の中で圧縮したまま収益から除外することになるが、右収益除外をあくまで貫徹するためには、経理処理の変更に合わせて従前の土地売買契約書および覚書も改変して改変後のものと従前のものを差し換えなければ首尾一貫しないことになるとの判断に達したので、小寺に対し、「やむを得ないで、仕方ないやろ」と答えた。そこで小寺は、「ではそのようにさせてもらいます」と言って同室を退去した。

ここにおいて、被告人柳沢の右口頭の承認決裁により、(1)簿外にされていた一億四〇〇〇万円のうちの四〇〇〇万円を公表経理に引き戻して土地売却代金収入として収益に計上すること、反面、残りの一億円は依然として建設仮勘定の中に圧縮して簿外にしたままにし、収益からの除外を貫徹すること、(2)公文書である土地売買契約書および覚書の偽造をなすこと、以上二点にわたる最終方針が決定せられ、その旨の指示がなされ、以後直接右指示を受けた小寺を介し、被告組合幹部事務職員らは右方針に従うこととなった。

2 小寺は被告人柳沢の右決裁を受けた後、直ちに中山、岡田らに対しその旨を伝達し、次いで、そのころ天谷甚兵衛開発課長に対し前記経理処理をせざるを得なくなった経過を説明したうえ、「そこで契約書の方を四〇〇〇万円増やし、覚書の方を同額減らして作り変えをしてもらわなあかんと組合長とも相談して来たんや。何とかうまくしてもらえるよう市公社に頼んでみてくれ。四〇〇〇万円は埋立補償費とでもしてもらってくれ」などといって市公社との契約書などの作り変え方を依頼し、その承諾を得た。

(三) (天谷と天井との折衝状況)

1 そこで天谷開発課長は、昭和五〇年一月二三日ころ当時福井放送会館三階にあった市公社へ赴き、市公社の後藤成雄総務課長、岡崎博臣総務係長の両名に対し「実は、市公社に売却した明里の土地の件だが、あの土地売買契約書のままでは、経理上、赤字となってしまうので、覚書の一億四〇〇〇万円のうちから四〇〇〇万円だけを埋立補償費として土地売買契約書の方に入れて欲しい。覚書の方に残る一億円については、農協は表に出さないから、公社の方でも税務署へ支払調書を出さないで欲しい。土地売買契約書と覚書はそのように作り変えて欲しい」旨依頼した。天谷が当面の懸案事項である契約書などの作り変えに加えて支払調書不提出操作の点についてまで市公社側に依頼した理由は、既に昭和四九年二月二六日付明里用地売買契約締結の際、市公社側が被告組合の要求を受け入れて二本立て方式をとり、被告組合の土地売却代金収入のうちから一億四〇〇〇万円を覚書分に計上し、その分を収益から除外することにより被告組合の脱税に協力することを合意していたものであったところ、右金額のうち四〇〇〇万円を収益に繰り入れる経理処理をなさざるを得なくなった事情が生じ、それに伴い右経理処理に即した形で契約書などを作り変えねばならず、更に例年の福井税務署に対する支払調書の提出が切迫していたので、所期の脱税目的を達成する具体的方策として最終の簿外分にかかる支払調書の不提出方を改めて念押しする必要性があったことと、市公社事務局長が同年一〇月一日付で当初の契約締結の事情を知悉していた上田から岡藤へ異動したため、被告組合の要望を明確化するためであった。右依頼を受けた後藤、岡崎の両名は、右用件が既に契約が終了し、代金も支払済みの契約書などの作り変えを伴う脱税の協力依頼であったことから「そういうことは、絶対市公社では出来ない。もし税務署から調べられても困るから」とはっきり拒否したが、天谷は「市には絶対迷惑を掛けない」と言って、その日はそのまま引き下がった。

2 それから同月二五日ころ天谷は、再び市公社を訪ね、岡藤事務局長およびその場に同席した後藤に対し前同様の依頼をした。両名は明里用地問題については、被告人天井が深くかかわっていると認識していたから、同人の指示を仰ぐこととし「自分らではどうにもならんから天井部長へ相談に行こう」と言って天谷とともに市役所内の財政部長室に被告人天井を訪ねた。右三名は財政部長室に入ると、先ず岡藤が被告人天井に対し天谷を紹介し、次いで、天谷は被告人天井に対し「明里の件ですが、四九年度の決算を組む段階で、いろんな経費の関係から六〇〇万円ばかり赤字が出てしまうことが判ったんです。この土地が値上がりしているときに、土地を売って赤字になるんでは、組合員に決算報告もできません。それで覚書の一億四〇〇〇万円の中から四〇〇〇万円だけ減らして、その四〇〇〇万円を埋立補償費という名目で表に出したいのです。そのために、契約書と覚書を作り変えてもらいたい。それに、覚書の方に残る一億円と後の一億円は、税務署には出さず裏で処理したいのでお願いしたい」旨説明し、土地売買契約書、覚書の作り変えおよび脱税協力方の依頼をした。右の二億円を税務署に出さず裏で処理したいのでお願いするとは、市農協としては収益から除外するので、市公社としてもそれに対応する支払調書を税務署に提出しないようにして欲しいという要請が包含されている意味であった。右依頼を受けた天井は、岡藤、後藤の両名に対し、「農協も困っているようだから、そうしてあげねえの」と言い、市農協の要望にかなった処理をするよう指示を与えた。かくて公文書である当初の土地売買契約書および覚書の作り変え、すなわち公文書偽造に関し、被告人柳沢、小寺と共謀関係に立つ天谷との間で、更に天井、岡藤、後藤が順次共謀を遂げることにより、被告人柳沢を頂点とする被告組合側と天井を頂点とする市公社側の間の共謀関係が成立したものであり、これに加えて、天井は、市農協による残りの一億円および追加の一億円の脱税に関し、その情を知りながら、これを幇助する包括的指示を下した。

その後、岡藤、後藤の両名は、市公社への帰途、互に「困ったことだが、やれちゅうものはやらなどうもならん」と述べ合って、上司である天井の指示があった以上、下僚としては不本意ながら市農協に加担するのもやむなしとの心情を吐露し合ったものである。

(四) (本件公文書偽造の実行および覚書の偽造の実行状況)

1 (土地売買契約書および覚書の偽造の実行状況)

天谷依頼の日から二、三日したころ後藤成雄市公社総務課長は、当初の土地売買契約書、覚書を参照しながら、作り変え用の土地売買契約書・覚書の原稿を起案し、これを岡藤昭男市公社事務局長に見せてその了解を得た後、市役所総務課へ各二部ずつのタイプを依頼した。タイプが完成し、市公社へ送付されて来たのは、昭和五〇年二月一五日ころのことであった。右土地売買契約書・覚書は、天谷依頼すなわち被告組合の要望にかなったものであり、いずれも作成名義人は従前と同一にし、金額のみを書き改めたものであった。すなわち、土地売買契約書は、従前「第二条物件の売買価格は金二億三六五七万三一九二円とし、物件の所有権移転登記完了後一〇日以内に支払うものとする」と記載されていたところ、これを「第二条物件の売買価格は金二億三六五七万三一九二円とし、埋立補償費金四〇〇〇万円とともに、物件の所有権移転登記完了後一〇日以内に支払うものとする」と書き改められ、覚書は、従前「第一条………(省略)………金一億四〇〇〇万円を乙が建設を予定している農協会館の建設資金として昭和四九年九月一日に支払うものとする」と記載されていたところ、これを「第一条………(省略)………金一億円を乙が建設を予定している農協会館の建設資金として昭和四九年九月一日に支払うものとする」と書き改められたものであった。そこで、同月二〇日ころ、先ず、後藤が総務課長の責任において管理していた「福井市土地開発公社」「理事長島田博道」と刻した各ゴム印と職印(福井市土地開発公社の角印および福井市土地開発公社理事長の丸印)を用いて、右作り変え用の土地売買契約書、覚書の当事者欄に押捺し、次いで、山田正邦用地第一係主事をして市農協開発管財課宛に「契約書が出来上がったから取りに来てくれ」と電話連絡をさせた。そして、被告組合側は、右電話を受けた開発課員中出輝昭が市公社へ赴き、これらを持ち帰り、当時天谷開発課長が不在であったことから、中出が天谷に代わって、森下嘉津栄管理課長の了解の上で、管理課長の責任において管理されていた「組合長理事山田等」と刻したゴム印、職印を四通の文書に押捺した。

ところで、作成名義人である市公社理事長島田博道は昭和四九年三月二四日死去しており、被告組合組合長理事山田等は同年二月末日限りでその地位を退いていたものであったから、右各文書は何ら作成権限のない者によって作成された偽造のものである。かくして被告人柳沢、天井共謀にかかる公文書の偽造が遂げられた。

その後、中出は完成された偽造にかかる土地売買契約書、覚書のうち各一部を不在中の天谷の机の上に置き、残りの各一部を同日のうちに市公社へ送り届けた。

2 (被告人柳沢による右偽造結果の確認状況)

右偽造にかかる土地売買契約書および覚書が完成された昭和五〇年二月二〇日ころの夕方ころ、天谷が外出から戻ったところ、同人の机の上に右各文書が置かれていたので、同人は、中出にこの確認をして前記偽造状況を知った。そして、天谷は、被告人柳沢ら役員の指示による土地売買契約書および覚書の偽造が完成したことを報告するため、右各文書を持参のうえ、役員室へ赴いた。

当時、同室には被告人柳沢、坪川均専務理事、柴田利一常務理事が居合わせたものであり、天谷は、被告人柳沢に対し「一億四〇〇〇万円を一億円と四〇〇〇万円に直していただき、契約書と覚書が出来上りました」と言って、持参した偽造にかかる土地売買契約書および覚書を同人に見せた。被告人柳沢および柴田は、「うまくしてくれたけな」と言いながら右各文書を手に取って見、親しく右偽造結果を見分し、坪川は「ほうか、ほうか」と言って了承した。かくして、被告人柳沢は、自己の指示に即した形で完成した文書偽造の出来映えを確認したものである。

(五) (被告組合部内における本件公文書偽造後の経理処理状況)

昭和五四年押第三一号の5の4、同号の9の2(Ⅰ)(Ⅱ)によれば、昭和四九年一二月二五日付けで(借方)一般補助金一億四〇〇〇万円(貸方)建設仮勘定一億四〇〇〇万円という仕訳により一般補助費として受け入れられていた覚書分の一億四〇〇〇万円全額が建設仮勘定に振替えられていたところ、同月三一日付けで、(ア)「(借方)建設仮勘定四〇〇〇万円(貸方)仮受金四〇〇〇万円」、「(借方)仮受金四〇〇〇万円(貸方)土地六〇九万五八〇円、固定資産処分益三三九〇万九四二〇円」(イ)「(借方)土地五〇〇万円(貸方)建設仮勘定五〇〇万円」(ウ)「(借方)未収金四八四万九二六二円(貸方)土地四八四万九二六二円」という修正仕訳をしていることが認められる。右(ア)は公表の明里用地勘定で六〇九万五八〇円(永田弥作に支払った和解金五〇〇万円を含む。)の赤字が出たのを建設仮勘定で圧縮した一億四〇〇〇万円のうちから四〇〇〇万円を公表に引き戻して逆に処分益三三九〇万九四二〇円を計上したものであり、右(イ)は、永田弥作に支払った和解金を建設仮勘定の増加と仮装していた仕訳(昭和五四年押第三一号の9の1)を明里用地の土地勘定に戻したものであり、右(ウ)は昭和四九年一二月一七日付けで市公社へ売却した永田弥作の土地代金四八四万九二六二円が未収金として残っていることを示したものであるが、なお、ちなみに右(ウ)の未収金は昭和五〇年二月一日入金になり、同年三月六日付け「(借方)普通貯金一億四八四万九二六二円(貸方)別段貯金一億円、未収金四八四万九二六二円」という仕訳(昭和五四年押第三一号の6)により処理済みとなっていることが明らかである。結局覚書分の残り一億円は、依然として被告組合の昭和四九年度分の収益から除外されたままであったわけである。

以上認定にかかる事実関係に徴すれば、被告人柳沢が本件公文書偽造について、最高かつ最終の決裁権者として当初主体的に実行の決裁を下し、その為偽造結果の報告を受けた際もこれを十分確認のうえこれを是認したことが明らかであり、その刑責を免れる余地はないというべきである。

二 弁護人大槻は、天谷供述中に出てくる天谷が市公社へ赴き天井部長のほぼ了承を得たことを小寺に報告した際、小寺が「あのとき坪川専務がうまく電話をかけてくれたかな」と言っていたという右小寺の発言に関し、もし被告人柳沢と坪川専務理事とが市公社と契約書、覚書の差し換えという重要事項について決裁したのであれば、市公社の天井常務理事に対し格別の依頼をしなければならない事項であるから、組合長たる被告人柳沢が自ら電話で依頼するのが通常の儀礼に叶うのであって、もし被告人柳沢に支障があって坪川専務理事が代って電話で依頼することを小寺が知っていたするならば、同人が単身で役員室へ赴き、被告人柳沢、坪川専務理事の両名の決裁を受けたその場で天井常務理事に対し事前に電話で依頼する役割は、坪川が分担するという段取りがつけられているはずであるのに、それを窺わしめる関係供述証拠がどこにも見当らず、また、被告人柳沢らが本件公文書の偽造結果を確認した際の状況に関する天谷供述によると、最初の一億四〇〇〇万円の覚書作成当時から終始関与し、その事情を知悉し、その処理について最大の責任を負うべき立場にあった坪川専務理事がその場に居合わせたとしながら当然右文書に目を通すなり何らかの発言をすべきはずの同理事の行動について何も触れていないのは誠に奇異な感じであることに照らしても、天谷供述は重要な真相の一部を隠匿ないし歪曲している疑いがあり、信用性が欠如していると主張する。

右所論にかんがみ検討するに、天谷甚兵衛の50・11・10付検面調書(24)の第四項に「契約書・覚書の偽造ができたのは、しばらくたった二月二〇日ころでしたが、その間小寺課長と『あれ、うまくなるのか』という話が出ました。契約書、覚書を作り変えることが出来て、うまく差し換えることが出来るかという話です。その際、小寺課長は『あの時、坪川専務がうまく電話をかけてくれたかな』と言っておりました。私はあの時とは、私が契約書、覚書を持って市公社へ出向いた時だと思いました。電話をかけたか、かけないか疑問を持っていたということではなく、かけたけれどもうまく話してくれたかな、という意味であり、電話の相手は天井部長だと思いました」との記載があり、他方同人の51・11・30付検面調書(29)一項にには「市公社に話しに行き、天井部長がほぼ了承されたことを小寺課長に報告した際、小寺課長が『あの時坪川専務がうまく電話をかけてくれたかな』と言っておられましたことからも、組合長ら役員さんは、契約書などの書替えを天井部長にお願いしておられたと思います。また、一介の課長である私が、書替えを天井部長に依頼し、その場でほぼ了承してくれたことについては、予め組合長や役員さん達から天井部長の方へ話をしてくれていたからだと思います」との記載があるところ、右両記載を対比すれば、天谷が小寺の右発言を聞いた機会について相異しており、いずれを措信すべきかは、ここで今俄かに断定し難いが、小寺の前記発言自体かなり曖昧なものであって、その意味するところに関する天谷供述は所詮推測の域を出ないが、小寺発言中の「あのとき」とは、おそらく右推測どおり天谷が契約書、覚書を持って天井常務理事と折衝するため市公社へ出向いた時であろうし、小寺はその際坪川専務理事に対し天谷が右折衝のため市公社へ出向いた事を報告したところ、同理事がその場で電話をかけたことを現認したことがあったため、右体験に基づき右発言に及んだものであろうと推測することも一応可能である。所論は、右発言を目し、右体験に基づかないものとの前提に立つもののように窺えるけれども、それは天谷が現実に受け取った感じとも異なるし、右発言のなされた時機的状況やその発言内容にもそぐわないように考えられる。ところで、坪川専務理事としては、仮に被告人柳沢との間に右電話依頼を分担する取り決めが交わされていなかったとしても、従前の経緯および同理事の性向・地位にかんがみると、自ら進んで右の挙に出ることは十分あり得たことで、そこに特段に不自然、かつ唐突な点を見出すことは出来ない。すなわち、同理事は、独断で伴参事に昭和四九年一月二三日付陳情書を起案させ、これを市公社に提出することにより、すくなくとも売買代金のうちの一億円を覚書による農協会館助成金名目で交付を受け、その逋脱を図った張本人であり、同人をめぐっては、先ず、同人は売買代金額についても、つとに、その低廉を不満とし、市公社との契約締結後、いちはやく同年三月中旬ころ他の役員に相談することなく、天井常務理事に対し、「県の方へ売られる時、部長さんの方で一億円上積みしてもらって、県が応じてくれたら、それを農協へ回すようにしてくれ。契約が終わってから今更そんなお願いをするのは無理かも知れないが、一億円上積みしても、四億七六〇〇万円でまだ安い位や」と要請していること、同年六月中ころ社支所の役員室で同理事は坂本副組合長に対し「明里の地面、市公社へ安う売ったので、もう一億円ほど貰わんならんぞ」と述べたところ、右坂本から「これ以上あんまり頑張らん方がよい」と答えられるや、「そんなことはない。頑張ってもう一億円貰わんならん」と力説強調していたこと、同年九月下旬ころ同理事は、被告人柳沢から「来年もう一億円明里の土地につくので、永田の訴訟問題も示談して早く始末をつけてくれ」との依頼を受け、同年一二月七日永田弥作との示談を成立させたが、その際同理事の判断で理事会の承認を得ないで示談金五〇〇万円を現金で支払っていること、同年一二月中旬ころ同理事は、被告人柳沢と共に右理事会の承認を得ない示談金の支払という失態を取り繕うべく、それぞれ追加一億円の早期支払を要求していること、昭和五〇年一月二〇日ころ小寺企画監査課長が被告人柳沢および同理事に対し了承を求めた明里土地売買収支上の赤字発生の最大の原因は、同理事が責任者となってその衝に当たった永田弥作との示談解決のために支払った五〇〇万円の支出にあり、右赤字の辻褄を合わさなければ、税務署から裏金にした覚書分一億四〇〇〇万円全部が剔抉されるおそれが発生し、もし右裏金処理が発覚すれば、同理事らによる所期の目論見は全く水泡に帰することにならざるを得なかったこと、以上の諸点が明らかであり、それによれば、被告組合の役員の中でも、側面からの独断的な根回し工作に長けた同理事が、天谷の交渉を円滑化するために、事前に天井常務理事に対し電話による口添えの依頼をすることはごく自然な成り行きと受け取られるのであって、所論の如くかかる口添えが、通常の儀礼にかんがみ、組合長たる被告人柳沢がなすべきこととは到底解することは出来ず、かえって昭和四九年二月二六日の被告組合理事会議事録写((弁)18)に記載されているように、覚書による一億四〇〇〇万円の裏金処理は、そもそもその当時の常務理事の責任において実施する旨公言されている事項であり、小寺が持ち出した問題は正に右事項から派生したものであるから、同理事こそ前記口添えの適任者であるともいえる筋合なのである。そして小寺の前記発言に関連する関係証拠は、本件全証拠中、これを見出すことは出来ないけれども、このことは天谷供述の信用性を減殺する事由にはならず、かえって、逆にそれが捜査官の誘導によらない自発的な供述であることを裏付ける証左たりうるものである。次に、天谷供述中、同人が役員室で被告人柳沢らに対し偽造公文書の完成を報告した際の状況に関し、坪川専務理事の言動に全く言及していない点の不自然性を云々する所論は、前記一の(四)の2において認定したとおり、天谷供述によれば(天谷甚兵衛の51・11・12付検面調書(25))、坪川は「ほうか、ほうか」と言っていたことは記憶しているが、手にとったかどうかははっきり覚えていないという風に誠に素直で誇張することなく、同人の言動を述べていることに徴し、その前提を欠くものというほかはない。

総じて、天谷供述は、その供述自体に即してみても被告人柳沢ら上司の刑責が問題とされている言動に言及せざるを得ない部下としての苦衷を滲ませつつ、かなり抑制的な表白であるけれども、それなりに精一杯具体的、かつ自然であって、関係各証拠によって認められる客観的な事実経過および諸状況とも符合して特に矛盾するところがなく、十分措信することが出来るものである。更に、右供述をした際における天谷が置かれていた立場に立って考察すると、同人は当時被告組合開発課長であって、被告人柳沢ら常勤役員の全般的な指揮監督下にあったものであり、しかも、当時被告人柳沢、坪川の両名は、公文書偽造の点につき否認し、天谷から偽造文書を見せられたこともない旨主張していたのであり、天谷としては、右両名の主張に真向から相反する供述をすることは、まさに将来いかなる不利益を被るかも知れない立場に立っていたものである。してみればこのような立場におかれた天谷が、検察官の厳しい追及にあい、心ならずも真実を吐露することは格別、被告人柳沢らに殊更不利益を与える全く有りもしない作為的な虚偽の事実をねつ造して供述することができるわけがないのである。すなわち、天谷が供述したところのものが真実ならば、いかに実権を握る被告人柳沢らとしても無理無体に天谷を不利益に処分することは困難であろうが、仮に全くの嘘言であり、そのため被告人柳沢らが窮地に立たしめられたとすれば、同人らの激憤を買い、その報復を招くことは十分予測されるところであるから、天谷としては、そもそも虚偽供述をなしうる立場ではなかったのである。そうすると、天谷は自ら将来被告人柳沢らの反発・不興を買うことを予測・憂慮しながらも、やむなく真実を供述したものと認むべきである。このように極めて厳しい情況下にありながら、敢えて被告人柳沢らに対し不利益な事実を供述した天谷の心情に思いを至すと、その供述の信用性は高度であると言わなければならない。ちなみに弁護側申請証人植木正義の第二八回公判廷における証言の中から天谷のゆれ動く当時の複雑な苦悩の一端をかいま見ることもさして困難ではないのではないのである。

三 弁護人大槻は、小寺や坪川が、口うるさい被告人柳沢を避けて書類の差し換えを処理したのではないかとの疑いが抱かれる旨主張し、その根拠として何事にも一応の筋を通すというのが被告人柳沢の信条であって、もし小寺の言うように単身で役員室へ赴き被告人柳沢と坪川専務理事とに決裁を受けようとしたら、昭和四九年二月二六日の理事会議事録に記載されているように当時の常勤理事の責任においてやらせていただくと公言されている事項であるから、口うるさい被告人柳沢が単にやむを得ないと言いながら決裁するはずがなく、坪川をはじめ右理事会開催当時の常勤役員の責任において処理するよう要求したはずであるという事由を挙げるのである。

しかし、被告人柳沢は、覚書方式による一億四〇〇〇万円の裏金造りの発案者ではなかったけれども、昭和四九年二月二六日開催の理事会に出席し、坂本副組合長らの提案の真意を十分察知し、これに異議なく承認していること、同年七月一日から常勤の組合長に就任したところ、同年九月一二日市公社は被告組合から一億四一四〇万円を借入れ、被告組合は、同日同額を被告組合本所に開設されていた市公社名義の普通預金口座に入金して貸付けたうえ、その後、同日同口座から一億四〇〇〇万円を一般補助金支払(実質的には売買代金支払)として振替出金し、他方被告組合においては、右一億四〇〇〇万円は、明里用地売買代金の一部であったから、経理処理上、正しくは土地売却代金収入(固定資産処分益)として計上すべきであったところ、故意にそのような処理をせず、税務会計処理上、補助金によって固定資産を収得した場合、いわゆる圧縮記帳が認められている(法人税法四二条ないし四四条)ことを利用し、後に固定資産勘定(本件の場合は農協本所会館建設仮勘定)の圧縮記帳の方法を用い、究極において、同額を課税対象から除外し、法人税を逋脱すべくその前段階の処理として、先ず、同額の補助金の交付を受けたように仮装することを目的として、(借方)普通貯金一億四〇〇〇万円(貸方)一般補助金一億四〇〇〇万円なる仕訳により一億四〇〇〇万円を一般補助金として収益計上しているところ、被告人柳沢は右一億四〇〇〇万円につき、市公社から被告組合に対する一億四一四〇万円の公共用地買収資金の借入申込みに対し、昭和四九年九月七日右貸付禀議の最終決裁をし、禀議書((358)、被告人柳沢の51・11・29付(一)検面調書(302)に添付してあり、金沢国税局が51・9・27押収した「昭和五〇年度証書貸付金償還済カード綴No.2」に綴られているもの)に組合長として決裁印を押捺し、次いで、市公社から一億四〇〇〇万円が支払われた際、右入金についての経理処理についても関与・確認したうえ、昭和四九年九月一二日付の振替仕訳票(昭和五四年押第三一号の5の3、摘要欄に農協会館建設資金と記載されている。)に組合長として決裁印を押捺していること(以上の点に関し、伴岩男の51・11・28付検面調書(41)中に「昭和四九年九月一二日一億四〇〇〇万円を市公社から一般補助金で貰ったという処理をする直前に、私が役員室で当時の柳沢組合長ら役員と一緒にいたところへ、部下の小寺、岡田、森下課長のうちの誰かがやって来て、一般補助金として受入れておきたいという意見を述べた記憶がある。右の一億四〇〇〇万円については、役員さんも私達も本当のところは税金のかからない補助金でない事はよくわかっていたのですが、かねて理事会でこの分については税金のかからないようにする事が了承されていた為か、すんなり決った記憶がある」との記載がある。)昭和四九年九月終りごろ、一億四〇〇〇万円を一般補助金として受入れ処理したことについて岡田政憲計算課長から疑問を呈されながら、右処理をそのまま放置していたこと(岡田政憲の51・11・29付検面調書(44)中の「四九年九月一二日受入れの一億四〇〇〇万円を一般補助金として受入れていた事に気付いた私は、補助金関係の書類の事迄は検討しませんでしたが、私なりに交付者の点について検討した結果、補助金というものは、国、県、市などの公共団体が交付するもので、市公社は補助金を交付出来るものではないのではないかという疑問を生じ、たしか昭和四九年九月終りごろ柳沢組合長にその旨尋ねたところ、組合長は『わかった、わかった』というだけで、それ以上相手にしてくれませんでした」との供述記載による。)、同年一二月二五日被告組合では同日付で前記の一般補助金として受入れた一億四〇〇〇万円を建設仮勘定に振替えて同勘定を圧縮する経理処理、すなわち、(借方)一般補助金一億四〇〇〇万円(貸方)建設仮勘定一億四〇〇〇万円なる仕訳処理を行い、(昭和五四年押第三一号の5の4)、収益から右補助金一億四〇〇〇万円を消し去るとともに建設仮勘定を同額減算したが、かかる不当な圧縮経理処理をなすことについて、被告人柳沢は、これを認識のうえ承認を与えていること(この点については小寺傅の51・11・28付検面調書(30)中の「昭和四九年一二月二五日付で一般補助金一億四〇〇〇万円を建設仮勘定の圧縮(減少)に振替え、同額の所得を減少させていることは、当時より承知していた。固定資産の圧縮処理は、当時管理課の担当事務であり、多分同課の中山君から聞いたと記憶している。この所得を減少させる会計処理は、年末から始まる決算処理の一つとしてされたものであるが、決算に大きな影響を及ぼす数字は、計算課で纒める前に各担当課が夫々役員の事前承認を得る慣例になっていましたから、右の一億四〇〇〇万円の圧縮処理については、当然管理課から事前に役員の承認を受けているはずです。というのは、そのころまでの被告組合の年間申告利益は約七〇〇〇万円か八〇〇〇万円なので、右の一億四〇〇〇万円を利益に計上するかどうかというような事は被告組合にとって誠に大きな問題であるからです」との記載部分、伴岩男の51・11・28付検面調書(41)中の「昭和四九年九月一二日に一旦収益として計上した一般補助金一億四〇〇〇万円を同年一二月二五日付で減少(消滅)させると共に、建設仮勘定の金額を同額減少させる会計処理をしています。これは一億四〇〇〇万円の収益を消滅させると共に、建設仮勘定という固定資産を圧縮して結局一億四〇〇〇万円の利益を隠すことになります。この処理は、当時管理課の中山君から報告を受けた。当時の私達の仕事の処理方法から考えて、役員さんにも中山君から報告しているはずです。固定資産の圧縮処理は、管理課の担当事務ですが、これは計算課に通す前の段階で管理課から私や役員に直接事前の説明なり了解をとることになっていた」との供述記載、被告人柳沢の51・11・28付検面調書(301)中の「私は、課税の対象外になる補助金というものは、国、県および市から交付されるものに限られることは知っていたので、昭和四九年二月二六日の理事会における坂本や坪川の『税金はかからない』という発言の意味は、一億四〇〇〇万円については、市農協の収益として計上せずに税金を支払わないという意味であると思った訳です。従って、当然事務レベルでは一般補助金として受入れると思っておりました。そして年度亦には、この一般補助金を振替えて会館建設費の『かさ』を減らして圧縮するというふうに処理するものと考えておりました」との記載部分、被告人柳沢の51・11・30付(一)検面調書(304)中の「昭和四九年二月二六日の理事会の時点では、一億円が追加して入ってくると決まっていた訳ではない。私としては、当然事務職員が一億四〇〇〇万円については一般補助金で受け入れ、年度末に建設仮勘定に振り替えて建設費を圧縮していると思っていた」との記載部分による。)以上の各事実が明らかであり、それによれば被告人柳沢は、部下事務職員らと共謀のうえ明里用地の売買代金中覚書分の一億四〇〇〇万円の脱税を図るための経理操作を実行推進していたわけであるから、小寺から右脱税が根本から税務官署に発覚するやも図り知れない状態に立ち至ったことを報告されたうえ、その具体的対策を建議されている緊急な折にも拘らず、弁護人所論のごとく今更連合会の副会長に出向しており、被告組合の非常勤副組合長に過ぎない坂本秀之の昭和四九年二月二六日の理事会における発言に拘泥して坪川を始め右理事会開催当時の常勤役員の責任において処理するよう要求するような回避的な態度に出るとは到底考えられないことであり、そもそも被告人柳沢は、同年三月一日被告組合の非常勤の組合長に就任するや、坂本、坪川らの農協会館建設のための裏金捻出路線を忠実に承継したというよりは寧ろ強くこれを推進していたものであり、現に同年三月中ごろには、天川常務理事に対し「明里の土地を坪九万円で売ったが、安すぎた。市から農協会館建設費を三分の一補助してもらう約束があるのだからもう一億円貰いたい」という要求を持ち出していたくらいなのであって、そのような積極的態度から推しても小寺の提案を受容こそすれ他の役員の決裁に委ねることなどあり得るはずがなく、また当時の被告人柳沢の傑出した力量と比肩するものがいない権勢にかんがみると、小寺が問題とした重大事項を弁護人所論のように被告人柳沢を避けては処理できなかったのであって、これはいみじくも前川が52・2・21付検面調書(176)=(343)において、「昭和四九年と五〇年の不正な経理とか決算とかは、柳沢組合長を頂点とする私共常務役員が『含み』のある決算をするべきだという方針でおりましたから、事務職員が、その方針に従って行った事である。毎年、事務局の方で決算案を作ると、総務委員会や理事会にかける前に、常務役員みんなが報告を受け、口頭で決裁しているが、それ以前の時点で個々の問題につき、担当課長とか伴参事らから我々常務役員に相談があり、個別的に承認を与える事があった。そして、こういう相談話は、私や坪川専務らがいて柳沢組合長がいない場合には話にならず、私らがいなくても同組合長さえいて、一言『うん』といえば話が決まるという状態でした」と述べているところからも容易に納得し得るのである。また被告組合の本決算手続システムに即して考察しても、小寺の提案する案件は被告人柳沢を聾桟敷に置いて処理できず、必ずその目に触れざるを得なかったのである。すなわち、本決算に関する事務局原案は、常務役員会、総務委員会(=総務部会、信用・購買・指導・総務以上四つの部会の一つで理事二四名のうち六名から成り、一名は組合長、他五名は非常勤理事)、理事会、総代会にかけて審議され、常務役員会には、組合長、専務、常務二名、参事、計算(後に経理と名称変更)課長、企画管理課長が出席し、計算課長らから詳細な説明がなされるのであって、現に岡田政憲計算課長は昭和五〇年一月下旬ごろ開催された最終決算原案についての常務役員会で昭和四九年九月一二日入金した一億四〇〇〇万円のうちの一億円は建設仮勘定の圧縮によって処理されているという事を説明しているのである(谷中重一証言<16>、同人の52・2・12付検面調書(164)、岡田政憲の51・11・29付検面調書(44))。

四 小寺供述の信用性について

被告人柳沢にかかる本件公文書偽造罪の成否は、究極のところ小寺傅の51・11・12付(31)、51・11・28付(30)各検面調書の信用性如何にかかると言っても過言ではないので、以下その点について検討する。

小寺供述は、具体的かつ詳細であって、臨場感も充溢しており、関係各証拠就中、中山龍夫、坪川均、天谷甚兵衛の各捜査供述によって認められる客観的な事実経過および諸状況とも整合して特に矛盾するところや不自然な点がなく、十分措信することが出来るのである。殊に小寺を含む被告組合事務職員らは、決算における利益調整に関する事項については、事前に役員の決裁指示を仰ぎ、右指示に即した経理処理をなさねばならない立場にあったものであり、又その旨の共通の認識を有していたものであって、特に小寺らが考えた経理処理方針は、従来の明里用地の土地勘定は、公表経理上収支均衡させて処分益を全く出さないようにするとの役員の既定方針を覆し、逆に三三〇〇万円余の処分益を計上することになるものであるから、事前に役員の決裁を全く受けないまま事務職員限りの判断で処理できる些細な事柄ではなかったものである。そうして、契約文書などの作り変えの点についても、右経理処理と表裏一体の関係にあったうえ、既に役員決裁および理事会の承認を経て市公社と取り交わし済みのものを新たな別個のものと作り変えるというものであり、しかも右作り変えについては買主である市公社の了解と協力も得なければならなかったのであるから、右事情からして、これ又事務職員らが役員の決裁を得ないまま勝手になし得る事柄ではなかったものである。従って、右の点からも、小寺が被告人柳沢ら役員の決裁を受けないのに、中山に対し右経理処理方針に沿った処理を指示したり、天谷に対し契約書などの作り変えを依頼することは考えられないのであり、小寺が事前に被告人柳沢の決裁を受けたと供述するところは、十分首肯しうるところであり、その供述には極めて高度の信用性が認められるのである。

五 坪川供述の信用性について

坪川は、当時被告組合専務理事として四名の常勤役員のうちの重要な地位にあったものであり、しかも、既述のとおり、明里用地問題に関しては極めて深いかかわりを有していたうえ、小寺供述による決裁時点でも被告人柳沢と同席していたというのであるから、坪川の供述の価値は相当高いとみなければならないのである。殊に坪川は、被告人柳沢と相呼応して農協会館建設のための裏金捻出工作を強力に推進し、役員の中でも被告人柳沢とは最も息が合った間柄であり、かつ同被告人から深く信頼されていたのであって、当公判廷においても、第七回(昭和五三年四月一四日)および第八回(同年五月九日)の各公判期日に証人として供述したのであるが、その際同被告人から教唆を受けて偽証をし、昭和五四年六月一八日坂本秀之と共にそれぞれ懲役八月、三年間執行猶予に処せられたことも明らかであり、事程左様に同被告人側に立って終始行動していた人物である。

ところで、坪川は身柄不拘束のまま取調べを受けた昭和五一年七月一九日司法警察員に対し本件公文書偽造の事実につきほぼ全面的に自供したものの(同人の51・7・19付員面調書(20))、同年一一月取調べを受けた検察官に対しては、小寺から覚書分中の四〇〇〇万円を土地代金として契約書の方へ繰り入れる相談を受け、被告人柳沢と共にこれを了承したが、なお、その具体的手段として被告人柳沢の真意は不明であるが、自分としては原契約書および覚書を新たに作成して作り変えることまでは全く考えておらず、単に原契約書および覚書中の金額欄に紙を貼って訂正すれば足りると思い、その程度の書き直し位ならやむを得ないとの判断の下に右了承をしたものであると供述するに至り(坪川均の51・11・28付(15)、51・11・29付(16)各検面調書)、その後、本件第七回公判(昭和五三年四月一四日)期日において証言した際、右小寺を伴参事と変更した外は右検察官に対する捜査供述と概ね同趣旨の供述をなし、更に本件第二九回公判兼公判準備期日(昭和五六年七月一六日)において右伴参事を小寺と変更したほかは右第七回公判供述と同旨の証言をしているもので、各供述段階においてその供述内容に若干の変遷があることは認められるものの、昭和五〇年一月ころ、被告人柳沢と共に事務職員から覚書中の四〇〇〇万円を土地代金として契約書の方へ繰り入れる相談を受け、これを了承した点において終始一貫しており、同被告人から偽証を教唆されて証言した際においても右の点に関する限り動揺することがなかったことが明らかである。ところで、前記坪川の地位・立場を考慮すると、すくなくとも、その供述中右終始一貫している点に関する限り高度の信用性を認めざるを得ないのであって、その点すら否認する被告人柳沢の検察官に対する捜査供述および公判供述の不自然性ないし虚偽性は覆うべくもないところである。もっとも、右坪川供述では、小寺が契約書などを作り変える必要がある旨発言した点については欠落しているものの、その点は小寺が相談するに至った経緯とその目的並びに相談後の措置に照らし不自然であって、これを具備する小寺供述を措信すべきことは明らかである。すなわち、小寺供述によれば、被告組合では、毎年法人税確定申告後、福井税務署から調査を受けていたものであり、その際大口取引については証憑書類の提示を求められる恐れがあったから単に四〇〇〇万円を公表経理に戻し、収益として計上する経理処理にとどまらず、契約書などそのものを右経理処理に即した形に整えなければならなかったことは当然のことで、もとより小寺もそのような認識を抱いていたものであり、経理処理方針の変更承認を求めておきながら、契約書などの作り変えの決裁を求めなかったことは到底考えられないことである。もっとも、坪川供述においても、その点、坪川自身も四〇〇〇万円を収益に計上する経理処理をする以上、これに合わせて契約書などを訂正しなければ、税務署の調査で看破されるので、小寺が契約書などを訂正することの決裁を受けに来たものであるとの認識があったことを認めたうえ、そのような認識の下にこれを了解する旨の決裁をしたこと、また同様に被告人柳沢も契約書などの訂正の決裁をしたことを認めていることは既述のとおりである。

六 前川供述の信用性について

弁護人大槻は、前川供述によれば、昭和五一年六月ころ被告人柳沢が小寺を役員室へ呼びつけたうえ、「わしは、覚書の一億四〇〇〇万円のうち四〇〇〇万円を分けて埋立補償費として表に出す事は承知したが、契約書や覚書を作り変えろとまでは指示した覚えがないが、どうか」とやや叱責するような口調で尋ねたところ、小寺は被告人柳沢に向って、「そんなことはありません。私は、契約書や覚書を作り変えることも組合長に説明して承認を受けたからやったのです。承認を受けなければそんなことは致しません」と明確に書替えの点についても被告人柳沢の承認を受けた旨答えて譲らなかったので、被告人柳沢は右小寺の反論に対し、何ら再反論することもなく、黙り込んでしまったというのであるが、この点に関する被告人柳沢の51・11・27付検面調書(300)中の「小寺傅(当時の企画監査課長)が、昭和五一年の警察の取調を受けた後、役員室(坪川専務がいた)へ来て警察では覚書分から四〇〇〇万円を土地代に組み入れることについて組合長に相談のうえでしたと供述してきた旨報告するものですから、私は『そんな馬鹿なことがあるか、聞いたことがない』と激しく怒鳴ってやったのです。小寺は『そうでしたか、言っていなかったですか』と言ったが、警察官に対し供述してきたことが間違っていたとは言わなかった」旨の供述記載と対比すると、前川供述をもって被告人柳沢の供述を排斥できるほどの信用性を認めることはできず、かりに前川供述が事実であったとしても、永い間農協職員として勤務し、役員にもならないで終っていく小寺を責めてみても、既に本件捜査が始まった当時、被告組合組合長であり、統制力の強い性格から組合として事実に関する統一的な確認をしておこうと考え、当初からの経緯をよく知っている坪川専務理事に命じて確認事項を作成させ、その最後を農協側の不手際からいろいろの誤解を受け、市や県の理事者に迷惑をかけたことを申し訳なく思っているとの文の結び、これによって過去の役員らの責任も含めて組合の最高責任者としての責めを負うことを覚悟していた被告人柳沢自身にとって、何の得るところもないと考えて敢えて再反論しなかったとも思われ、このことが遡って被告人柳沢の本件公文書偽造の決裁・指示の存在を立証する情況証拠とはならない旨主張するので、右主張に即しつつ、前川供述の信用性について検討を加える。前川供述、すなわち同人の51・11・13付検面調書(22)によれば、右状況を目撃した前川は、「組合長はこれ迄部下事務職員が自分の考えと違う事を言えば、声を荒げて怒るのですが、この時はそういう態度はしませんでした。組合長が当時小寺室長にどんな事を言ったのか、これ以上思い出せないのですが、とにかく同室長の言い分が間違っているという事は言わず、その時の態度や言葉などの雰囲気では同室長の言い分を認めるものでありました。ところが、同室長を退席させた後、組合長は私達役員に『わしは書類を作り変えろと迄は言っとらんのやけどなあ』と言っておりました。しかし、私としては、これ迄の事務処理のやり方やこの時の組合長と室長との応答からみて、同室長の主張するとおり書類の作り変えについて、室長は事前に組合長の承諾を得ているに違いないと思いました。なお、その際、坪川専務がどのような発言をしたのかとのお尋ねですが、坪川さんの発言内容については、記憶がありません。たしか、その後だったと思うのですが、小寺室長から『組合長の承認を貰った時には坪川専務も一緒にいたが、前川常務はいなかった』と聞いた記憶があります」と極めて自然な感懐ないし認識判断を吐露しており、そこに被告人柳沢に対する偏頗な悪意はもとより、誇張ないし不自然な歪曲の跡を見出すことはできないのである。なお前川供述には現れてこないその際における坪川専務の言動について被告人柳沢は51・11・30付(二)検面調書(305)において「小寺が警察で取調べを受けた後、覚書分の一億四〇〇〇万円を一億円と四〇〇〇万円に分けることなどについては、私や坪川専務の了解をとっていると供述してきたと言うので、私は叱りつけたが、その際坪川専務は、小寺の話を知っていたようで、私に『組合長聞いたんじゃないか』と言ってきました。私は『聞いていない』と言ったところ、坪川は『ほうかなー』と言っていた。だから私は席を外していたのではないかと思う」と述べているのであって、そのような坪川の言動をも勘案すると、いよいよ前川の右感懐ないし認識判断が無理からぬものと受容され、自然で臨場感に溢れる前川供述は、全体として十分信用に値するものと評価できるのである。従って、また前川供述に照らしても、小寺供述の信用性が窺われるわけである。

なお、被告人柳沢が坪川専務理事に命じて作成させた「確認事項」と題する覚書は、所論の如く被告人柳沢の潔い心情を裏付ける資料とは解されず、天井の思惑に乗った証拠隠滅文書にほかならないのである。すなわち、関係各証拠、就中坂本秀之証言<3>、坪川均の51・11・19付(二)(14)、51・11・30付(17)各検面調書、寺岡一夫の51・11・20付検面調書(21)、前川一雄の51・11・23付検面調書(23)、伴岩男の51・11・29付検面調書(42)を総合すれば、昭和五一年七月末ころ、天井から坪川専務理事のもとに、「今日の新聞に渡辺県議の談話が出ているが、その中に坂本さんの言われたことで、あの一億円については知らんと言って居られる様ですが、そんなもんじゃござんせんのやざ。これは農協から出された陳情書に基づいて市長の査定の時もちあげて市長の意思で県へ売り渡す時、一億円上乗せして交渉せいと言われておいこつな目におうて((注)大変苦労をしてという意味である。)もろてきてあげたもんやざ。農協の役員さんがめんめんこんこんに((注)各自が好き時手にという意味である。)言うてもらうと困るんや。迷惑するのは役所やざ。あんたの方で幹部の意思統一をしておいてほしいんや」との電話がかかってきたこと、坪川は、昭和四九年三月中ころ被告人天井に対し県へ売る時一億円上乗せして売ってくれと頼みに行ったことがあるものの、その時の天井との話の中には、昭和四九年一月二三日付陳情書を市長査定にかけたことも、市長が県へ売る時、一億円上乗せして交渉せいと言ったという点も全然出ておらなかったのに、今ごろになってこの陳情書で一億円出たから意思統一を求める天井の意思は、右陳情書を市長査定にもち上げたところ、島田市長が県へ売る時、一億円を上乗せして売る様に指示された結果、この一億円は出たことにして、市農協の幹部もそのことを初めから知っていた様に意思統一をして欲しいということであると判断したうえ、被告人柳沢に天井からの電話の件を伝えたこと、被告人柳沢は坪川に対し一度構想をまとめて書面を作成するように指示したので、坪川は、「確認事項」と題する三箇条の文書を作成したが、その際市農協としては、当初から市公社との間で土地代金として四億八〇〇〇万円の話をしてきた事実はないにもかかわらず、(一)土地総代金四億八〇〇〇万円を目標に話し合いをして来た、と記載し、次に、天井が昭和四九年二月の市長査定の時、後から一億円出ることが決まっていたというので、それに合わせて、(二)取りあえず、同月二七日三億八〇〇〇万円で約束をした、と記載し、同年一二月の時点では、もう一億円出ることが判明していたが、この一億円は別に前からの残り一億円陳情分ではないにもかかわらず、(三)同月永田と和解が成立したので、市に永田の土地の売渡代金と前からの残り一億円陳情分を請求した、と記載したこと、昭和五一年七月三〇日ころ、坪川は、寺岡、坂本、前川、柴田らに対し右『確認事項』と題する書面を交付し、「我々の意思統一をする必要があるんでこういう風に書いた。調べを受けたらこういう風に言って下さい」と言ったところ、寺岡は「うらはもう警察で調べが済んだが」と答えたこと、それに対し、坪川は「今後また調べられるかもわからんから、その時はこの線で言ってくれ」と依頼し、被告人柳沢もその場に居た者らに対し「その線でひとつ頼みます」と言ったこと、寺岡は一応右書面を自宅へ持って帰ったが、この様に事実と違う事が書かれたものを持っていては、後日証拠を隠す為の打ち合わせをしたと疑われると心配し、翌日自宅で焼却したこと、以上の事実が認められるのである。

第三被告組合、被告人柳沢の判示第二の一、二の各事実について

一 昭和四九年分各犯則所得にかかる争点に対する判断(判示第二の一)

1 共済雑収入(別表(一)の被告組合の昭和四九年度分修正損益計算書の勘定科目欄の番号<1>、五九万三〇〇〇円=以下「49-<1>五九万三〇〇〇円」の様に表示する。)

被告人柳沢およびその弁護人大槻は、右収入が公表帳簿に記入されていないことは認めるが、同被告人はその事実を知らなかったから脱税の犯意がない旨主張するところ、被告人柳沢の公判供述中、右主張に沿う部分は後顕各証拠と対比して措信し難く、被告人柳沢の52・2・11付検面調書(310)、第二項中の「私が福井市農協の組合長に就任してからもいちいちその金額を聞いてまではいませんが、従来と同じように共済連から現金で推進奨励費が組合に支給され、これを正規に計上しないまま、職員の一杯飲む費用にあてられているだろうという事位は分かっていましたが、大した金額でもないだろうし、従来からの慣習なので黙認しておりました」との供述記載によれば、被告人柳沢は検察官に対し概括的・未必的に脱税の犯意を自白していたことが明らかであり、右自白の信用性は関係各証拠、就中伴岩男証言<21>同人の52・2・5付(324)(第三項)、51・2・19付(325)(第三項)各検面調書、植木正義証言<13>、谷中重一証言<16>および坪川均証言<20>などにより充分これが裏付けられており、従って、被告人柳沢の本件係争分にかかる脱税の故意は証拠上優にこれを肯認でき、弁護人らの前記主張は採用に由ない。

なお、被告組合の弁護人金井は本件係争分につき要するに、本件共済雑収入は、被告組合が共済連の意向に沿って共済活動の第一線に従事する職員の慰労費として受領し、同慰労費として支出されたものであり、公表経理に計上しなかったのは、単に被告組合内部の、いわば家庭の事情によるだけのことであって、決して脱税の犯意のもとに行われた行為ではない旨主張するけれども(同弁護人作成の弁論要旨第二の一)、前叙の如き認定・判断にかんがみると、該主張の理由なきこと明らかである。

2 購買手数料(49-<2>、三四七万六八七九円)

被告人柳沢および弁護人大槻は、農業近代化資金の関係上、従前から慣行的に売上の繰延べが行われていたもので、当期だけに限って行われた売上の除外ではないところ、被告人柳沢はそのような慣行的経理処理がなされている事実を知らなかったから脱税の犯意がない旨主張するところ、山田実夫の52・2・12付検面調書(106)によれば、被告組合においては、合併以来その金額に多少はあるものの、農機具や農舎などの売買に際し、買主の農家に対し、福井県から農業近代化資金制度に基づく利子補給を得させる目的をもって、右制度が禁止している事前着工に抵触しないように装うため、既に販売した品物の引渡しも完了しているのに利子補給の県決定がなされるまで、売上げの繰延べをしてきたこと、監査の結果度々かかる措置が適正を欠くものとして指摘されていたことが認められ、もとより期間損益を適正に配分するための税務会計上の費用収益対応の原則に則って考察すれば、右認定にかかる農機具・農舎・自動車に関する売上げの繰延べ措置は、いかに被告組合において長年慣行的に実施されていたものとはいえ、不当であって是認できないことはいうまでもなく、被告人柳沢の52・2・11付検面調書(310)中の「被告組合においては、農機具、農舎について従来より農業近代化資金の利子補給枠の関係上、自動車については県および中央会での監査で未収金が多いと注意を受けるので、いずれも売上げの繰延べをしており、これを認識し、承認していた」との供述記載によれば、被告人柳沢は検察官に対し脱税の犯意を自白していたことが明らかであり、右自白の信憑性は関係各証拠、就中、小寺傅証言<17>、同人の52・2・18付検面調書(109)、山田実夫の52・2・12付(106)、52・2・16付(107)各検面調書および山田実夫、金井敏明作成の同月一〇日付「売上の繰延べについて」と題する上申書(104)などにより充分これを補強されており、従って、被告人柳沢の本件係争分にかかる脱税の故意は証拠上優にこれを肯認できるのであって、弁護人らの前記主張は採用できない。

なお、弁護人金井は、本件係争分につき、要するに、農機具・農舎・自動車などの売上げの繰延べなどは、被告組合の当該事務担当者がいずれも一定の理由のもとに翌期には必ず計上するので問題はないと考えて行った処理であって、脱税の犯意のもとに行われた行為ではない旨主張するけれども(同弁護人作成の弁論要旨第二の二)、前叙認定・判断にかんがみると、該主張の理由なきこと明らかである。

3 雑収入(49-<3>、一七一万五七五〇円)

被告人柳沢および弁護人大槻は、右収入が公表帳簿に記入されていないことは認めるが、同被告人はその事実を知らなかったから脱税の犯意がない旨主張するところ、関係証拠によれば、右雑収入一七一万五七五〇円の内訳は(一)被告組合が福井ヰセキ株式会社から受領した東下野ライスセンターの機械不良による損害賠償金一〇〇万円と(二)被告組合が福井県共済農業協同組合連合会(以下、「共済連」と略称することがある。)および福井県信用農業協同組合連合会(以下、「信連」と略称することがある。)から受領した広告塔設置に伴う助成金七一万五七五〇円(共済連分は四六万五七五〇円、信連分は二五万円)であるので、先ず、右(一)の一〇〇万円分について検討するに、前川一雄の52・2・21付検面調書(176)(第六項)中の「四九年秋、柳沢組合長以下、坪川専務、柴田常務、それに私の常務役員は、当時社支所二階の一部屋を役員室として共同で使っておりました。そしてある日、四人が揃っていた時、柴田常務が『実は、福井ヰセキから東下野ライセンの弁償として一〇〇万円貰って来たが、各部落の盛(もり)も近い事だから、春の市長選挙のお礼として組合員一人あたり酒一合あてという事で、この一〇〇万円を各支所に現金で配ろうと思うが、どうだろう』といって提案しました。そこで、此の提案に対し、柳沢組合長以下私達常務役員は、それがよかろうといって、一人の反対もなく賛成したのでありました。ですから、私達は組合の収益として入った一〇〇万円を組合長の個人的な金として、それも選挙違反の金として使う事に決めてしまったわけであります」との供述記載、小寺傅の52・2・17付検面調書(125)、森下嘉津栄の52・2・16付検面調書(126)などを総合すれば、昭和四九年一〇月三一日ころ、被告組合の管理課長森下嘉津栄は、柴田利一常務の指示を受け、福井ヰセキ株式会社が被告組合に対し支払った損害賠償金一〇〇万円を仮受金勘定名目で受け入れる処理をし、同日ころ更に組合長たる被告人柳沢を含む常務役員の間で右の如く受け入れた一〇〇万円を被告人柳沢のための選挙運動の事後報酬として組合員に供与することが決定され、そのとおり実施されたことが認められる。被告人柳沢の52・2・12付検面調書(311)、柴田利一証言<17>、同人の52・2・20、21付検面調書(128)および被告人柳沢の公判供述中、右認定に沿わない趣旨の部分は前顕各証拠と比照して措信し難いところである。以上によれば、被告人柳沢の本件係争にかかる雑収入一〇〇万円分にかかる脱税の故意は証拠上優にこれを肯認できるのであって、弁護人らの前記主張は採用の限りでない。

次に前記(二)の助成金七一万五七五〇円分について審究するに、中山龍夫証言<15>、同人の52・2・19付検面調書(320)、森下嘉津栄の52・2・21付(一)検面調書(318)(第二項)、西野笑美子の52・2・4付検面調書(120)を総合すれば、被告組合では国・県・市など系統外から補助金の交付を受けた時には、益金勘定の中の一般補助金という科目に計上仕訳して、それから圧縮経理をしていたが、農協五連など系統内から助成金の交付を受けた時は、一旦益金勘定に計上することなく、直接固定資産をその分だけ圧縮する記帳処理をしていたが、これは被告組合の組合長や常務役員の指示を受けたり、あるいはその相談を経た上でなされたものではなく、管理係長中山龍夫においてゆとりのある決算を組むために実施していたものであることが認められる。以上の認定に照らせば、被告人柳沢の52・2・12付検面調書(311)中の「私は経済連などから貰った助成金は、当然収益に計上すべきもので、固定資産の価額から差引いていわゆる圧縮をする事は違法であると思っていた。事務当局者は例によって予定よりあまりかけ離れた利益を計上する事をさけ、含みをもたせた決算をしたいという私達の方針に従ってやってくれたものと思いますが、事前に相談のなかったことは間違いなく、今回私が取調べを受ける迄かかる経理処理がなされていることは知らなかった」との供述記載内容は信用できるものというべきである。その他本件全証拠を検討しても、前記助成金七一万五七五〇円分について検察官が主張する坪川均、柴田利一、伴岩男との脱税共謀の事実はもとより、概括的であるにせよ、被告人柳沢の脱税の故意の存在を認めるには必らずしも証拠が十分でないから、この点に関する弁護人らの主張は理由があり、この助成金七一万五七五〇円の雑収入分は、被告組合の昭和四九年度の逋脱所得に算入されるべきではないことに帰する。

なお、弁護人金井は、本件係争分中、先ず福井ヰセキ株式会社から損害賠償金一〇〇万円を雑収入に計上しなかったことについて被告人柳沢には脱税の犯意がなく、次に共済連、信連から受入れた助成金七一万五七五〇円を雑収入として計上しなかったのは、単なる経理処理上のミスに過ぎず、脱税の意図に発したものではない旨主張するところ(同弁護人の弁論要旨第二の三)、前叙認定・判断にかんがみると、該主張の前段部分は理由がないが、その後段部分は理由付けは異なるけれども、ひつきよう理由があることに帰するものである。

4 固定資産処分益(49-<4>一億円、50-<15>一億円)

被告人柳沢および弁護人大槻は、覚書中の一億円につき、被告人柳沢の脱税の犯意を否認するほか、弁護人大槻はこの分については租税特別措置法第六五条の四第一項第四号所定の所得の特別控除(五〇〇万円)の適用があり、追加一億円については昭和四九年度中において市公社の理事会の議決を経ていなかったものであるから、債権が確定しているとはいえず、同年度の収入ではない旨主張するので審按する。

(一) 先ず、関係各証拠、就中以下挙示する間接事実の認定に供した各情況証拠を総合すれば、覚書中の一億円の脱税につき被告人柳沢は坪川均らと共謀してこれを実行したことが明らかであるが、以下その主要な間接事実を列挙する。

(1) 昭和四九年二月二六日被告組合の理事会において、被告組合が市公社との間で本件明里用地の代金総額三億七六五七万三一九二円の売買契約を締結するに際し、脱税を主目的として代金合計二億三六五七万三一九二円の土地売買契約書((弁)19はその写)と諸経費一億四〇〇〇万円の支払など、附帯事項に関する覚書((弁)20はその写)の二本立て方式によることが承認されたのであるが、被告人柳沢はその当時非常勤理事として出席し、右事情を充分理解したうえ、理事の一人として賛成していたこと。この事実に関する被告人柳沢の51・11・18付検面調書(297)中の「昭和四九年二月二六日午後一時ころか午後一時半ころ開催された被告組合の理事会において、滝波理事が『覚書の一億四〇〇〇万円に税金がかからんのか』と質問したところ、坪川専務か坂本副組合長が『税金がかからんのや』と答えていた。私は一億四〇〇〇万円という金が正規に国・県・市からきた補助金ではないので、課税の対象外にはならないものであることを知っておりました。なお、そのことは、私が市議会議員になってから間もなく知りました。それで、坪川専務か坂本副組合長かが『税金がかからん』と発言したのは、一億四〇〇〇万円について土地の売買契約書とは別に載っているので、土地代には上げず、税金を払わないという意味だと思った。決算時点において農協の全般の収支が赤字になれば格別、黒字の場合は土地の収益として上げるつもりはないものと判断した。私を含め、ほかの理事達も税金を納めるつもりはないという雰囲気でした。四月一日から不動産取得税の税額が高くなるということで、坂本副組合長も私も早く市公社と契約するという話題も出た。私の口から理事会の内容を言うのは言いにくかったので、前に審議に加わらなかったと言った」との供述記載、被告人柳沢の51・11・28付検面調書(301)中の「課税の対象外になる補助金というものは、国・県および市から交付されるものに限られることは知っていたので、坂本や坪川の『税金はかからない』という発言の意味は、一億四〇〇〇万円については農協の収益として計上せずに税金を支払わないという意味であると思った訳です。従って、当然事務レベルでは一億四〇〇〇万円を一般補助金として受け入れ、年度末に建物建築費の圧縮に振り替える処理をすると考えていた。昭和四九年度の確定申告を昭和五〇年二月に行ったが、私自身は一億四〇〇〇万円について土地代その他の収益として上がっていないことは判っていた」との供述記載、被告人柳沢の51・11・29付(二)検面調書(303)中の「坂本副組合長か坪川専務が『税金がかからない』と発言したのは、露骨に脱税するということが言えないので、そのように言ったものであり、本来一億四〇〇〇万円が正式な補助金ではないこと、従って課税の対象になるということは皆判っていたと思うし、勿論私も知っていた。私は昭和四九年二月二六日の理事会の方針に則りこれ迄やってきた訳です」との供述記載の各内容は具体的で、不自然さがなく、関係証拠とも符合しており、その後入金した一億四〇〇〇万円をめぐる一連の対応措置とも首尾一貫しているので、任意性はもとより信用性も十分これを肯認しうるところであり、右理事会に出席していなかった旨の被告人柳沢の公判供述は関係証拠と明らかに矛盾し、到底措信し難いところである。

(2) 昭和五一年六月一四日被告組合の理事会において被告人柳沢は「過去におきます一億四〇〇〇万円余りの分が税務署で否認されるように努力して参りました。私は率直に申し上げます。一億四〇〇〇万円は五〇年に圧縮してございます。それが正規であれば、おそらく税金はあの時点で三千何百万か、四〇〇〇万円はかかっていると思います。ところが、要するにそれも二千何百万円で済んだわけです。だからあとの一億円はですね。今年それがまいれば、おそらく頬かぶりでいけるという、そういう一つの決算上の自信をつけたのです。これは、まあ率直に申し上げますが、矢張り初めから税金のことを非常に心配したのです」という率直な発言をなし、覚書分一億四〇〇〇万円と追加一億円につき脱税をはかった自己の真情を赤裸々に吐露していることは、被告人柳沢の51・2・11付検面調書(308)により明らかであること。

(3) 被告組合は普通貯金の減額による方法により市公社から支払われた覚書分一億四〇〇〇万円を一般補助金として受け入れた旨の記帳処理をしたのであるが((借方)普通貯金一億四〇〇〇万円、(貸方)一般補助金一億四〇〇〇万円、昭和五四年押第三一号の5の3)、かかる処理をすることにつき被告人柳沢は事前に了承を与えたのであって、この事実は、伴岩男の51・11・28付検面調書(41)(第二項の3)中の「ところで、この一億四〇〇〇万円を公社から一般補助金で貰ったという処理を当時しているはずです。その処理をする直前、私が役員室で当時の柳沢組合長ら役員と一緒にいたところへ部下の小寺、岡田、森下課長のうちの誰かがやって来て、一般補助金として受け入れておきたいという意見を述べた記憶があります。ただ、小寺君らのうち誰だったかについてはっきりした記憶はないのですが、とにかくその三人のうちの誰かだった事は間違いありません。右の一億四〇〇〇万円については、役員さんも私達も本当のところは税金のかからない補助金でない事はよくわかっていたのですが、かねて理事会でこの分については税金のかからないようにする事が了承されていた為か、すんなり決った記憶があります。後の一億円についてはその処理について相当論議したのですが、前の一億四〇〇〇万円については何の論議もしなかったと記憶しているのです。勿論、大きな金額ですから組合長や専務をはじめ役員の了承を得ないで事務担当者が勝手に処理する事はありません」との供述記載部分により明らかであること。

(4) 昭和四九年九月終りころ、被告組合の計算課長岡田政憲は、同月一二日市公社から一億四〇〇〇万円を一般補助金として受け入れていたことを検討し、補助金というものは国・県・市などの公共団体が交付するもので、市公社は補助金を交付できないのではないかという疑問を生じ、被告人柳沢にその旨尋ねたところ、同人は「わかった、わかった」というだけで、それ以上何らの検討を指示することもなかったことは、岡の政憲の51・11・29付検面調書(44)(第四項)により認められること。

(5) 昭和五〇年一月二〇日ころ、前記岡田計算課長は、被告人柳沢の出席する常務役員会で昭和四九年度最終決算原案のうち昭和四九年九月一二日市公社から入金した一億四〇〇〇万円のうちの一億円が建設仮勘定の圧縮になっている旨説明していることが岡田政憲の51・11・29付検面調書(44)(第二項の1)により認められること。

(6) 昭和五一年七月末ころ、警察当局が本件明里の土地問題について追及してきたのに対処するため、被告人柳沢を始め坪川、寺岡、坂本、前川、柴田ら理事らの間で右坪川専務起案にかかる「確認事項」と題する書面の内容どおりの線で意見統一を図っているところ、その内容の大筋が事の真相と合致しないものであり、特にそのうちの「此の問題の話合の経過中、常に我々の頭の中には明里の組合員の感情と税金の事が頭から離れなかった」という部分は、その当時の被告人柳沢ら役員の真情を語るに落ちたものというべきこと(伴岩男の51・11・29付検面調書(42)(第三ないし第五項)中の「三、次に今年の七月末ころ明里用地の問題が警察でも相当調べがなされていたような時、私は組合長や専務から組合の意思を統一する必要があると言われ、確認事項という書面を渡されたことがありました。七月の末ころ、私は組合長に部屋まで来るように言われ、組合長室に行きましたところ、組合長と坪川専務それに常務二人がおられました。それで組合長が皆に『明里の問題が表面化してきて農協の者も相当警察の調べを受けるようになってきた。それぞれの者が思い思いのことを言ってもまずい。経過を纒めておく必要がある。口でいっても纒まらないからな』と言われた後役員間で色々と話が出ました。しかし、口では纒まらなかったことから組合長が専務に『専務、前からの経過をよく知っているようやから、経過の書面を書いてくれ』と言われましたので、専務は『それじゃ原稿をこしらえてみますわ』と言われました。この日はどういう態度で警察の調べにのぞむかは決まりませんでした。四、その二、三日後、また私は組合長室に呼ばれましたので行ってみますと、確か坂本副組合長も来ておられ、組合長も部屋におられました。坪川専務も両常務もおられました。そこで、専務が確認事項という題のメモ書を皆に配りました。この時、本職は領第四三八号符第二三号を示し右写を本調書末尾に添付することにした。今見せて貰いました確認事項と書かれているメモは、その時配られて貰らったものに間違いありません。このメモには、当時私が思っていたことと違う事実が書かれていました。多分、坪川専務が確認事項を読みあげられたと思います。私が事実と違うと思っていたのは、第一項では『二億円位は高く買って欲しかったので土地総代金四億八〇〇〇万円を目標に話し合いをしてきた』というところで、契約をしようとしていたころは四億八〇〇〇万円というような数字は全く出ていませんでした。当初の公社との契約代金は三億八〇〇〇万円位でした。第二項では『市も県との話し合いがにつまっていなかった』というところは、契約当時このような話があったと聞いたことがありませんでした。それに覚書の二本立てにした理由が、経理的処理となっていますが、これは税金を免れる為の処理だというのが本当です。第三項の『一億円陳情の分を請求して市より一億円を受取った』となっているところですが、この陳情分というのが、私の起案した昭和四九年一月に出した陳情書のことだとすれば、事実は違います。つまりそのころ最初の三億八〇〇〇万円位の他に一億円出るという話はなく、私は契約金の中で一億円みて貰うという趣旨で坪川専務から言われて陳情書を書いたのです。五、坪川専務は『大体こういう経過だ』と言われましたが、私としては今お話しましたような事実と違うことが書いてありますので、現実に農協は脱税をしていることでもあるので、このように調べに対しては話をするようにと言うことだなと思いました。だから私は、確認事項が事実と違っていることについては何も言わず、警察の調べがあればこのように言おうと思っていました。幸い警察の調べはありませんでしたが、事実と違うことで農協の見解を統一しようと言われて確認事項を渡されたことは間違いありません」との供述記載部分および同供述調書添付の「確認事項」と題する書面の記載内容「(一)明里の土地は当時(四十八年・四十九年)は坪当り拾参万円ぐらいしていた。しかし公共用地に提供する為に市公社との話し合いの中で坪当り単価は決めなかったけれども、買入価格よりは二億円ぐらいは高く買ってほしかったので、土地総代金四億八千万円を目標に話し合いをして来た。(二)四九年二月二七日土地売買契約と覚書の時点では農協側にも永田の土地問題も解決にいたっていなかったし、市も県との話し合いが煮詰っていなかったので、取りあえず三億八千万円で約束をした。此の約束を農協の都合で契約書と覚書の二本立てとしてもらい経理的処理をした。(三)四九年一二月に永田と和解が成立したので市に永田の土地の売渡代金と前からの残りの一億円陳情分を請求した。そして翌五〇年三月六日に市より一億円と永田分の土地代金を受取る。此の問題の話し合いの経過中、常に我々の頭の中には明里の組合員の感情と税金の事が頭から離れなかった。それで、合併当時市長と農協との覚書もあり、此の土地の譲渡益分(二億円)を市よりの補助金として出してもらう様依頼した事が、いろいろな誤解を受け問題になり、市や県の理事者に迷惑をかけた事になり、誠に申訳ない次第である」による。)

(二) 弁護人大槻は、当初の一億円について租税特別措置法六五条の四第一項四号所定の所得の特別控除の適用がある旨主張するが、同号は公拡法六条一項の協議に基づき地方公共団体、土地開発公社又は政令で定める法人に買い取られる場合と規定しているところ、本件明里の用地の売買については右協議が行なわれておらないことは証拠上明らかであるから、右特別控除の適用がある場合に該当せず、弁護人の右主張は前提を欠き失当である。

(三) 弁護人大槻は、追加一億円については昭和四九年中において市公社の理事会の議決を経ていなかったものであるから債権が確定しているとはいえず、従って同年度の収入ではない旨主張するので検討するのに、関係証拠によれば、昭和五一年六月一日被告組合は追加一億円を含む二億円につき福井税務署に対し昭和四九年分の修正申告をし、法人税四六〇〇万円を納付しているが、右修正申告をする前、被告組合では追加一億円が市公社から現実に入金されたのは昭和五〇年二月一日であったため、それを昭和四九年度の収入とみるべきか、はたまた昭和五〇年度の収入とみるべきかについて疑念が生じ、福井税務署係官の意見を徴したところ、右係官から右追加一億円があくまで昭和四九年二月二七日付売買契約に基づく売買代金の追加支払であるとすれば、右契約の成立時点で債権が確定したものとみるのが相当であり、従って、昭和四九年度の収入とみるべきであるとの見解が示されたので、右見解に依拠して前記修正申告をなしたことが窺えるところ、なお関係各証拠を仔細に吟味すれば、前記売買契約は昭和四九年二月二七日締結され、そのころ売買契約書で約定された売買代金二億三六五七万三一九二円の支払がすみ、同年三月五日被告組合から福井市への売買による所有権移転登記を経由し、更に同年九月一二日覚書で約定された一億四〇〇〇万円が支払われ、ここにおいて前記売買契約は売主・買主双方共契約上の一切の義務を履行した結果完結したものであり、ただ永田弥作所有の土地については、同年一二月七日被告組合は同人に五〇〇万円を支払うことで示談が成立し、同月一七日被告組合は市公社に右土地を代金四八四万九二六二円で売渡す旨契約し、翌昭和五〇年二月一日市公社から前記追加一億円とともに支払われたこと、ところが被告人柳沢らは福井県が本件土地の取得を希望していることに目をつけ、本件明里用地を更に市公社から福井県へ転売することにより市公社が取得する少なくとも一億円の売買差益金を被告組合にまわさしめ、これをもって予定より高騰した農協会館建設資金の一部に充当することとし、なおその際この追加一億円の収入の脱税をも併せ企図し、合併覚書を盾にとって天井に対し強引に働きかけたところ、同人は右のような転売過程で捻出される金であれば、実質的には福井市はもとより市公社としても全く懐が痛むわけではないから右要請に応ずることに決し、右不法な意図があることを察知したものの、出来る限りの便宜を図ってこれに協力し、被告組合に対し、一億円の支払をなすよう画策・推進したが、流石に大武福井市長を始めとする関係者に右支払の不明朗な性格を気付かれ、とかくの非難を受けないように腐心し、そのため市公社は本件明里用地の取引について福井県と被告組合との間の売買に対する単なる斡旋仲介者的立場に立つものに過ぎないよう装うことに努めたが、これは必ずしも成功せず、ただ先ず福井県に対する転売代金を市公社が既に被告組合に支払済みの三億八一四二万二四五四円のほかに被告組合が要求し、かつ所詮同組合に支払われる予定の一億円を加算した四億八一四二万二四五四円とすることの合意を得るに至り、そのころ天井は、坪川均専務理事に対し福井県との折衝が成功したことを告げていること、昭和四九年九月二四日市公社と豊住福井県総務部長間で右合意内容の覚書が取り交わされたこと、右覚書の第二条の一項の文言は、「土地の価額は市公社が被告組合に支払った価額三億八一四二万二四五四円および今後支払い予定の一億円を加算したものとする」となっているが当初右「今後支払い予定の」という部分は「市公社が組合会館建設補助金として支出予定の」という文言になっていたのを、わざわざ同部長の指示で訂正されたといういきさつがあり、右当初の文言は、天井の発案にかかるものであって、市公社事務局長上田三良すら右一億円の性質などについて皆目関知しなかったこと、そのころ天井からの通告により翌年一億円が追加支出される段取りがついたことを知った被告人柳沢は坪川均専務理事にそのことを伝えたうえ、永田弥作との争訴問題を早急に示談で解決するよう督促し、その結果、昭和四九年一二月七日被告組合と係争中の永田弥作との間に示談金五〇〇万円で和解が成立し、同人に対し現金五〇〇万円が支払われたが、その支払について理事会の正式な承認を得ておらなかったため、一〇〇万円と四〇〇万円の二口に分け、いずれも(借方)建設仮勘定(貸方)現金というように仕訳記帳されたこと、被告人柳沢や坪川均専務理事らは理事会の承認を得ないで約定した右示談金の補填財源として追加一億円を予定より繰り上げて支払を受け、その預金利息でもってこれに充てることを考え付き、同月中旬ころ同人らは、市公社の岡藤昭男事務局長や後藤成雄総務課長に対し市公社と福井県の間で交わされた前記の同年九月二四日付覚書があるはずであるから、県からその一億円を早急に貰ってきて欲しい旨申し入れたこと、ところが高村義裕福井県管財課長から県としては今のところ一億円を支出できないと拒絶され、天井は「こんなもん市長に分かったらどうにもならん」と大いに困惑したものの、大武市長に対し「福井市は福井県と被告組合との間を斡旋する立場にあって、財政的な負担もないので、この際福井県にかわって一億円を立替えて被告組合に支出したい」旨申し入れたところ、大武市長は、追加一億円支払の趣旨、それが豊住覚書の形で決着をみるに至った経緯などについて十分な認識と理解がないまま、天井の福井市に対し財政的な負担を加重するものではない旨の説明に安心して右申し入れを了承したこと、かくして、何となく曖昧なまま大武市長の内諾を取り付けることに成功した天井は、直ちに電話で被告人柳沢に対し要望に応ぜられるようになった旨連絡したこと、翌昭和五〇年一月二二日開催された被告組合の理事会において被告人柳沢は市公社から今年中に一億円の補助が出ることになっている旨報告し、そのころ坪川専務理事は伴岩男参事に対し「追加一億円は、高度の政治判断に基づく金である」旨説明していること、なお、筑田透は昭和四九年一〇月一日付で市公社の常務理事に就任したが病気で一週間足らずして入院し、翌年一月からは二日おきに通勤している状態であったから、明里用地問題に関し明確な意見を述べることが出来ず、ために、同人から岡藤昭男市公社事務局長は、追加一億円の件は天井一人でやっているようなので天井の言うことを聞いてやってくれという、言わば天井一任の指示を受けていたものであるが、昭和五〇年一月に入り、岡崎博臣総務係長は、市公社の補正予算査定の資料を作成したうえ、後藤成雄総務課長と共に天井が執務する部屋へ行き、同人に対し「今度の補正予算はこれで宜しいか」と伺いを立てたところ、同人から「市農協へ払う一億円を今度の補正予算に盛り込んで欲しい。後で農協会館の建設資金として県から入ってくるから、一時立替払いするんや。市公社の腹は痛まないから」と言われて昭和四九年補正予算に追加一億円を計上するようにとの指示を受けたものの、岡崎総務係長は「福井市開発公社は、公有地の拡大の推進に関する法律により、公法人たる福井市土地開発公社に組織変えになったため市公社の目的は公有地の取得と造成に限定され、建設資金とか補助金という名目では支出出来ません」と述べたこと、その結果、支出名目は土地代とすることに決定されたうえ、補正予算に右一億円が計上されたこと、同月二二日岡藤事務局長は一億円を土地代として計上して支出することを裏付ける契約書など具体的資料がなかったので天井に尋ねてみたところ、同人は「わしは、これは市長に対しては一億円加える斡旋や、こう言っているんや」と返答したにとどまったこと、同月二三日市公社の第五回理事会が開催され、被告組合に対する追加一億円支払などを含む補正予算案が可決されたが、その席で天井は、追加一億円の件で特に発言を求め「一寸お願いします。局長の方から間違って報告しているわけではありませんが、県へ一億円高く売るんだというような発言があったと思います。しかし、そういう意味ではございませんので御理解願いたいと思います。全く公社は斡旋業務をしたということで一億円高く処理していることではありませんのでこの点だけはひとつ御了承いただきたいと思います」と述べ、市公社が一億円を支払うのではなく、あくまで県が被告組合へ支払うのを、市公社が便宜斡旋するに過ぎないことを強調していること、同月二四日鷹尾紹兼市公社用地係長起案にかかる「福井県観光物産センター建設用地の買収に伴なう一億円の支出について」と題する決裁伺書に基づく一億円の支出が決裁され、同年二月一日被告組合に対し永田弥作分の土地代金四八四万九二六二円と共に支払われたこと、もっとも支払方法としては被告組合からの借入方式をとり、そのため同人一月二二日被告組合の信用部会(委員長は坪川均専務理事)で一億円を市公社へ貸付けることが承認され、同日の理事会でもその承認を受けたこと、一方県では昭和四九年度の補正予算で一般会計から明里用地の分を減額し、その代りに県公社の債務保証を増額する予算措置が講ぜられたこと、被告組合では右二月一日入金された一億円についてそのまま放置されていたが、同年三月初めころ伴岩男理事と中山龍夫管理係長は役員室へ行き被告人柳沢に対しその処理をいかにすべきかを尋ねたところ、同人は「この追加一億円は、永田弥作の示談金の五〇〇万円を作らんならんので、内部貯金としてあっためておけ。名義は市公社名義にしておけ」と指示し、その結果同年三月六日付で市公社名義の別段貯金(架空負債)として処理されたこと、昭和五一年一月ころ後藤成雄総務課長は、天谷甚兵衛被告組合開発管財課長から追加の一億も作り変えた覚書の残り一億円と同様に税務署に報告しないようにとの依頼を受けたので、岡藤事務局長に相談したところ、同人が「この金は、何か雲の上の話のことやから、天井企業管理者に聞け」と言うので天井の意見を徴したところ、右残り一億円の時と同様「契約どおりでいいんじゃないか」と言われたが、これについては何らの契約書もない以上、作り変えた後の二億七〇〇〇万円余の土地売買契約書どおりということ、つまり税務署には報告を要しないという風に理解したうえ、浜谷喜久男総務係長に対し「言われているんやけど、明里用地については支払調書は出さんといてくれ」と指示し、福井税務署に対し追加一億円などにつき昭和五〇年度分の支払調書を提出しなかったこと、被告組合では市公社名義の一億円の別段貯金をその後昭和五一年三月一八日(借方)別段貯金一億円(貸方)当座預金一億円、同月二二日(借方)現金一億円(貸方)一般補助金一億円という風に仕訳処理し、結局追加一億円を一般補助金に振替えたが、市・県で明里用地問題が政治問題化したため、やむなく被告組合は前記作り変えた覚書分の残り一億円と追加一億円を合わせて同年六月一日修正申告し、法人税四六〇〇万円を納付したこと、同月一四日開催された被告組合の理事会で、被告人柳沢は「前の一億円を固定資産の圧縮で頬被りしたのと同じようにしようと思って後の一億円をも別段貯金にしていた」と弁明していることや、同年七月二八-二九日ころ、天井は、坪川専務理事や坂本秀之副組合長に電話で「追加一億円は県へ適正価格で処分すれば一億円程度の果実が出るだろうからその果実を市農協へ渡したらよいという故島田市長の指示に基づき支払ったことにして欲しい。なお、この事については、昭和四九年二月ころ私からあなたに話をしており、あなたの方でもそれを知っていたことにして欲しい」などと依頼していること、以上の事実が認められ、右事実関係にかんがみると、追加一億円は市公社と被告組合との昭和四九年二月二七日付売買契約から派生した後発的附随代金とみることはできず天井と被告人柳沢・坪川均専務理事らの共謀画策による前記契約代金に対する福井県への転売差益金を源資と当て込んだ政治的加算金にほかならないというべきである。ところで法人税法上収益の年度帰属を決定する基準は法定されていないが、各事業年度の所得の金額の計算を定める同法二二条第四項で「第二項に規定する当該事業年度の収益の額及び前項各号に掲げる額は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計算されるものとする」旨規定されていること、収益及び費用の帰属事業年度の特例に関する同法六二条ないし六四条の各規定の内容、および法人税基本通達の関連規定などにかんがみると、法人税法は近代的な会計基準である実現主義を基本としているものの、客観性と確実性という収益実現の要件に対する配慮から、契約当事者に対する拘束力が比較的弱い片務無償契約に基づく債権や違法な課税所得などについてはむしろ現金基準によるのを原則とすると解するのが相当である。右見地に立って本件の追加一億円の帰属年度を考察すると、それが被告組合に現実に入金した年度である昭和五〇年度の収益とみるのが相当であり、従って当裁判所は昭和五七年二月五日付をもって追加された予備的訴因により判決することとする(別表(二)の被告組合の修正損益計算書の勘定科目欄の<15>固定資産処分益の項に計上した。)

検察官は、本件公訴事実の本位的訴因において、追加一億円の収益の帰属年度を昭和四九年度としているところ、その根拠として(イ)市公社と県との間で昭和四九年九月二四日付で豊住覚書が取り交わされ、県から市公社が市農協から明里用地を購入した金額に一億円を上乗せして市公社に支払われることが確実となっていたこと、(ロ)本件明里用地問題は、実質的に天井が取り仕切っていたものであり、理事長(市長)を始めとする常任役員は同人に全てを任せていたこと、(ハ)市公社理事会の構成は、大半が市長、助役ら市の幹部であり、市公社は実質的に市の行政の一翼を担うものであったから、既に市長たる理事長が支払の意思決定をすれば、市公社理事会でこれが覆されることはありえない状況であったこと、(ニ)市公社としては、右(イ)の如く県から追加一億円の補填を受けるので実質的な経済負担は零であり、理事会での補正予算の可決は殆んど間違いない状況であったこと、などの諸点が認められるので、大武市長が昭和四九年一二月ころ右支払いの決裁をした以上支払いは確実であり、この段階で権利確定し被告組合の同年度の所得が発生したものであり、市公社部内における理事会の承認は市公社の内部手続に過ぎないといえる。他方、被告人柳沢は、右(イ)ないし(ニ)の事情を知悉していたうえ、同年同月ころ天井からの支払通知を受けたものであるから、これをもって昭和四九年度の収益が発生した旨の所得の帰属年度についての認識も十分なのである。仮に、被告人柳沢の追加一億円の収益の帰属年度についての認識が昭和五〇年度であったとしても、同人は、追加一億円については天井に請求した当初の昭和四九年一二月から、これを収益から除外する意思を有していたものであるうえ、既に当初の覚書の一億四〇〇〇万円について、一旦一般補助金として受け入れ、その後建設仮勘定を圧縮処理して収益の除外をするなどの脱税目的による偽りその他不正の行為に及び、かつ追加一億円を含む収益を除外した内容の過少申告をしたものであるから、客観的に追加一億円が昭和四九年度の所得である以上同年度の逋脱所得の範ちゅうに含まれることは当然と言わなければならない。以上のとおり検察官は論述する。

そこで、検察官の右所論にかんがみながら更に検討すると、先ず全体として法人税法上収益の計上時期について検察官は権利確定主義に依拠しているけれども、それが必ずしも常に妥当な基準といえない批判があることは暫く措くとしても、前記(イ)の豊住覚書の取り交わしの点は、あくまで市公社と県との間の事実であり、それも代金額決定の折衝を通じて明らかになった天井の強気、かつ強引な態度から正式な売買契約締結に至るまでにこれ以上代金額をつり上げられるのを防ぐことを狙って取り交わされたものに過ぎず、殊に豊住総務部長は天井の希望に背馳するものであることを知悉しておりながら、売買代金として加算される一億円が市公社から農協会館建設補助金として支出予定であることを覚書の文書中に盛り込むことを容認しなかったことは、取りも直さず被告組合からの追加一億円の要求が十分な根拠を欠くものと受け止めていたことの証左と受取るべきであり、前記(ロ)の本件明里用地問題については、天井が全面的に取り仕切っていたという点は、なるほどそのとおりであるが、だからといって同人に政治的加算をする一般的権限はもとより、予算化されていない支出負担行為をする権限など認められていなかったことは明らかであり、前記(ハ)の市公社理事会の構成および議決の成否の可能性などは単なる事実上の見込みの問題に過ぎないのであって、昭和四九年一二月ころ大武理事長は天井から事柄の正確、かつ詳細な説明を受けないまま、単純に県のため一億円を立替支出するものと信じ込まされて補正予算に追加一億円を計上することを内諾したものであり、その内諾をもって支払いの意思決定を目することは出来ず(そもそも予算成立前に支払いの具体的意思決定をするなどありえないことは言をまたないところである。)、他方天井が不用意にも岡藤事務局長にもらした「こんなもん、市長に判ったらどうもならん」との口吻からも窺えるように、何らかの機会に追加一億円支出の不明朗な実体が理事会を構成する大武理事長を始めとする理事らに判明すれば、到底理事会の議決が得られず天井や被告人柳沢らの思惑が忽ち画餅に帰する結果を見るに至ったはずであり、前記(ニ)の大武市長が昭和四九年一二月ころ一億円支払いの決裁をしたとの点は前述の如くこれを肯認し得ず、右決裁は昭和五〇年一月二四日なされたことが明らかであり、以上何れの点からしても昭和四九年一二月の段階で市公社に対する被告組合の追加一億円を請求する権利が確定したとみる余地はないというべきである。ちなみに検察官が収益の帰属年度についての被告人柳沢の認識の点に論及するところは、およそかかる主観的事情は収益の帰属年度を客観的に決定するための法的基準として意味のないものと解されるので、これ以上検討するに値しないというほかはない。

5 育苗センター会計費用(49-<9>、七四万一八〇〇円=否認額、△二七万一九二〇円=認容額)

被告人柳沢および弁護人大槻は、右収入につき被告人柳沢には脱税の犯意がない旨主張するところ、被告人の公判供述中、右主張に沿う部分は後顕各証拠と対比して措信し難く、被告人柳沢の52・2・13付検面調書(312)中の「昭和四九年七月ないし一二月ころ、柴田担当常務から『育苗会計では固定資産に計上すべき資産を買った場合も固定資産に計上せず、また経費に計上するなどして含みをもたせるから承認して貰いたい』旨の要請があったので、承認してやりました」との記載部分によれば、被告人柳沢は検察官に対し脱税の犯意を自白していたことが明らかであり、右自白の信用性は関係各証拠、就中柴田利一(被告組合の常務理事)証言<17>の「昭和四九年度の決算に関し、このような経理処理をしたことは知っているが、含みのある決算方針に従ったというより収益の安定を確保するためであった。これをする事については常務役員に相談する事は要せず、担当課長の権限で出来た事である」との供述記載部分および同人の52・2・20、21付検面調書(128)中の「昭和四九年分の育苗会計に含みがある事は、当時承知していたが、これもいわゆる含みのある決算をするという方針に従っただけです。柳沢さんは、昭和四九年当時私から『固定資産に本来計上しなければならないものを経費に落すから了承して貰いたい旨の承諾を求められた』と供述しているそうですが、なかったとも、あったともはっきりした記憶がない」旨の供述記載、伴岩男(被告組合の参事)証言<21>、および同人の52・2・18付検面調書(166)中の「育苗会計というものは、その年、その年の天候によって、いつ大きな損失が生じるかも分らない性格のものですから、なるべく内部留保出来る時にしておきたいという気持と、また組合員は苗代に全神経をとがらせているので、利益が出れば必ず文句が出るので、それを防止したいという気持からやったのであり、まして脱税する事を第一の目的としてやったわけではありませんので、その点をご理解下さい。また、経理や決算において不正な操作をした原因の一つには福井市農協が始って以来、常務役員からいつも『含みのある決算』あるいは『余裕のある決算』をしろと折りに触れほのめかされたり、あるいは直接的にいわれたりしていた為、私共職員は役員の意を体してなるべく利益を少なく計上するのが当然だというようなムードになっていた。個々の細かな不正経理とか決算整理の段階における不正については、必ずしもすべて常務役員に報告し、その決裁をとったというわけではありませんが、もし上司の方針が常に正しい決算をせよという事であれば、事務職員が独断で不正な事をするはずがありません。然し、今申しました様に、常務役員が『含みのある決算をするのが当然だ』という考えでおりましたから、事務職員の方も、その意を体する行動に出ていたわけであります。川上指導課長(営農課長)は昭和四九年にも、昭和五〇年にも一〇万円を越える金額の固定資産、例えば砕土機のような機械装置とか、ダンプの様な車両運搬具を育苗センターの為購入した際に、支出伺の支出科目欄にわざと育苗会計と書いて決裁に上げておりました。育苗会計という科目は、育苗会計だけの損益を把握するため設けられたもので、借方に費用の発生、貸方に収益の発生を計上する一種の損益勘定ですから、このような支出伺を決裁する事は本来出来ない事なのですが、私は、川上がわざと費用を計上するためこうしているのだと知りつつ決裁を致しました。次に、種もみ代などで春のシーズン後に来年のシーズンに備えて仕入れたものの代金を支払った場合には、損益対応の原則からしても次期の費用として年度末には一旦棚卸資産に計上すべきなのですが、川上課長は費用を過大計上する為に、そういうもののうち一部しか棚卸には計上せず、残りを当期の費用にしておりました。四九年度については、その金額が二四万九八〇〇円、五〇年度については一六五五万七〇八五円という事でありますが、私は、四九年度の分については当時報告を受けたという記憶がないが、五〇年度分についてはある程度知っている」との供述記載、前川一雄(被告組合の常務理事)証言<20>および同人の52・2・21付検面調書(176)中の「昭和四九年、五〇年とも本所における育苗会計の担当職員は、川上課長でありましたが、育苗会計の費用として決裁に上ってくる支出伺のなかに時々固定資産を買うという内容のものがありました。特別会計といっても一般会計から独立した会計ではなく、育苗センター用のトラックとか砕土機とか、ベルトコンベアなど買った時には被告組合の固定資産として計上すべきものであり、支払った代金を育苗会計の費用として計上する事は出来ないのに、そのような支出伺が時々決裁に回ってきた。それで、私としても、含みのある決算をするには、これも一つの手だと思って敢えて反対せずに決裁印を押した」との供述記載、川上幸好(市農協の指導課長、営農課長)証言<19>および同人の52・2・7付(160)、52・2・9付(161)、52・2・16付(162)各検面調書、殊に右52・2・16付検面調書中の「四九年度育苗センター会計支出伺綴二綴(昭和五四年押第三一号の27)のうち、昭和四九年三月二九日起案の「ベルトコンベア一台一九万二〇〇〇円」の分については、役員の決裁印を取ってありませんが、そのほかは昭和四九年一二月三一日買入れた砕土機一台三〇万円を含めいずれも柳沢組合長の決裁を受けており、柳沢の印が押してあり、支出伺右上の支出科目欄にはいずれも育苗会計と書いてありますから、内容と支出科目とを読めば本当は固定資産に計上すべきところを、費用として不正経理する事は良く分かったはずです。」との供述記載などにより充分これを裏付けられており、従って、被告人柳沢の本件係争分にかかる脱税の故意は証拠上優にこれを肯認でき、弁護人らの前記主張は採用できない。

なお、弁護人金井は、本件係争中につき要するに、本件経理処理は利益を隠して逋脱しようとの犯意に出たものではない旨主張するけれども(同弁護人作成の弁論要旨第二の五)、前叙の認定・説示にかんがみると、該主張の理由なきこと明らかである。

6 接待交際費(49-<11>、△五九万三〇〇〇円=認容額)、交際費限度超過額(49-<13>、五九万三〇〇〇円=否認額)

被告人柳沢および弁護人大槻は、右<11>接待交際費認容額につき職員の慰労厚生費として支出したもので、接待交際費には該当しない旨、右<13>交際費限度超過の否認額につき<11>は接待交際費には該当しないので、交際費限度超過額となるものではない旨主張するので検討するに、被告人柳沢は、同人の52・2・13付検面調書(312)においては、単に「一方で経費に見ていただくと同時に交際費の限度超過として同額を否認され、結局差引零となることが分かりました」と述べるのみであるが、坪川均証言<20>中の「現金で入ってきた共済連から福井市農協にきた推進奨励金について正規の手続をとらずに会食費に充てていた。そのお金は、本来その年度の収入として計上しなければならないのは分かっていた。交際費程度のものだし、また税法上交際費については、限度が決められていたのでこのように処理していた。共済課の職員から推進奨励金の一部を会食費に充てたということを聞いた。柳沢組合長も現金で入ってきた推進奨励金を会食の費用に充てることを承知していたと思う」との部分は、検察官の主張にかかる認容・否認の税務会計処理の妥当であることを裏付けているところ、租税特別措置法六二条四項、同法施行令三八の2によれば、交際費等とは交際費、接待費、機密費その他の費用で、法人が、その得意先、仕入先その他事業に関係のある者等に対する接待、きよう応、慰安、贈答その他これらに類する行為のために支出するもの(専ら従業員の慰安のために行われる運動会、演芸会、旅行等のために通常要する費用その他次に掲げる費用を除く。)をいう。

<1> カレンダー、手帳、扇子、うちわ、手ぬぐい、その他これらに類する物品を贈与するために通常要する費用

<2> 会議に関連して茶菓、弁当その他にれらに類する飲食物を供与するために通常要する費用

<3> 新聞、雑誌等の出版物又は放送番組を編集するために行われる座談会その他記事の収集のために、又は放送のための取材に通前要する費用

であると規定されており、

(交際費等の支出の相手方の範囲)につき、関係通達(措通62(1)-17 )は、「『得意先、仕入先その他事業に関係のある者等』には、直接当該法人の営む事業に取引関係のある者だけでなく、間接に当該法人の利害に関係のある者および当該法人の役員、従業員、株主等も含むことに留意する」旨、(福利厚生費と交際費との区分)につき、関係通達(措通62(1)-9)は、「社内の行事に際して支出される金額等で次のようなものは交際費等に含まれないものとする。(1)創立記念日、国民祝日、新社屋落成式等に際し従業員におおむね一律に社内において供与される通常の飲食に要する費用(2)従業員(従業員であった者を含む。)又はその親族等の慶弔・禍福に際し一定の基準に従って支給される金品に要する費用」というように、(会議に関連して通常要する費用の例示)につき関係通達(措通62(1)-16)は、「会議に際して社内又は通常会議を行う場所において通常供与される昼食の程度を超えない飲食物等の接待に要する費用は原則として措置令第三八条の二第二号に規定する『会議(注、来客との商談、打合せ等が含まれる。)に関連して、茶菓、弁当その他これらに類する飲食物を供与するために通常要する費用』に該当するものとする」旨説明しており、その説明内容も合理的で妥当なものと是認し得るので、如上の法規および通達の示す解釈基準にかんがみ、本件事実関係を分析すると、県共済連から被告組合に現金で支給される共済推進奨励金は、共済担当職員の会議や研修後、ほとんど必ず開催される宴会の費用に充当されていたことが証拠上明らかなので、検察官の主張する<11>接待交際費△五九万三〇〇〇円の認容及び<13>交際費限度超過額五九万三〇〇〇円の否認という修正犯則処理は相当であり、前記弁護人らの主張は理由がなく失当である。

弁護人金井は、番号<1>で否認を受けた五九万三〇〇〇円は全額職員の慰労厚生費として支出されたものであるから、およそ犯則科目に該当しない旨主張するけれども(同弁護人作成の弁論要旨第二の六)、前叙認定・判断にかんがみると、該主張の理由なきこと明らかである。

7 価格変動準備金繰入(49-<12>、五四三七万一〇七九円=否認額)

弁護人大槻は、青色申告承認取消による特典喪失分即ちいわゆる取消益を犯則所得とすることは許されないのであって、これを積極に解する法解釈および判例(最二判、昭49・9・20刑集28巻6号291頁参照)は、法人税法一五九条一項が既遂罪のみの規定であるのに予備罪・未遂罪をも含むものと誤って拡張解釈してこれを適用している点において憲法三一条に違反しており、かつ法人税法一二七条一項が規定する青色申告承認取消処分の遡及効は単に課税上のものであるのに、刑事手続にもその効力が及ぶものと誤って解釈してこれを適用している点において憲法三九条に違反していることに帰するといわなければならない。すなわち、法人税法一五九条一項は偽りその他不正の行為により各所定の法人税の額につき法人税を免れたことをもって犯罪の構成要件とするものであるところ、本件公訴事実は、訴因第一の一につき昭和五〇年二月二八日、訴因第一の二につき同五一年三月一日をもってそれぞれ犯罪成立の時期としているのであるから、右各犯罪成立の時点では、法人税の額の中には青色申告承認取消による特典喪失分は存在していないので、この分に対する租税債権に対する侵害の余地はないのである。なるほど、後日青色申告の承認を取消されるような行為については、多くは未必の故意の存在が認められ、その危険性は十分に看取し得るところではあるが、法人税法一五九条一項は犯罪の既遂だけを処罰の対象とするものであって予備罪や未遂罪の処罰を規定しているものではないから、右法条の正当な解釈によれば、犯罪の既遂の時点とされている納期の時点においては存在せず、その後に発生したいわゆる取消益を犯罪所得として取扱うことは許されないのである。前記昭和四九年九月二〇日の最高裁第二小法廷判決は、「法人の代表者が、その法人の法人税を免れる目的で、現金売上の一部除外、簿外預金の蓄積、簿外利息の取得および棚卸除外などによりその帳簿書類に取引の一部を隠ぺいし又は仮装して記載するなどして所得を過少に申告する逋脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであるから、ある事業年度の法人税額について逋脱行為をする以上、当該事業年度の確定申告にあたり右承認を受けたものとしての税法上の特典を享受する余地はないのであり、しかも逋脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できることなのである」という前提が存すれば、「青色申告の承認を受けた法人の代表者がある事業年度において法人税を免れるため逋脱行為をし、その後その事業年度にさかのぼってその承認を取り消された場合におけるその事業年度の逋脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税法七四条一項二号に規定する法人税額から申告にかかる法人税額を差し引いた額であると解すべきである」という後段の結論が必然的帰結となるがごとく解しているが、その論理には飛躍があり前述の理由からして誤ったものというべく、行為の危険性に重点をおくあまり立法の不備を解釈によって補わんとするものである。

よって、判断するのに、所論のうち憲法三一条に違反するという点は実質は単に法人税法一五九条一項の解釈を争うに帰するに過ぎず、憲法三九条に違反するという点は、たしかに逋脱行為の時点(納期)においては税法の形式上、適法な青色申告法人としての資格を有していたとはいいえても右時点において違法な逋脱行為をした限り、逋脱犯として刑事上の責任を問われることは当然であり、それをもって、実行の時に適法であった行為についての遡及処罰を禁止する憲法三九条に違反するとはいえないことが明らかであり、次に法人税法一五九条一項の解釈として青色申告の取消益が犯罪時において確定・納付すべき正当税額(逋脱犯の構成要件要素としての税額)算出の基礎となる所得に含まれるとする最高裁の確定判例の趣旨に照らし、これと相反する所論は独自の見解として排斥を免れないところ、ことに本件では被告人柳沢の52・2・13付検面調書(312)中の「被告組合が青色申告をしていたことや、価格変動準備金などの特典は青色申告のみに認められ、これが不正計算などで取消されると、価格変動準備金の損金算入も認められなくなることは前から知っていた」との供述記載によれば、被告人柳沢は、犯行時において青色申告の取消に伴う結果の発生を十分認識・認容していたことが明らかである。

8 信用雑費用(49-<5>、二〇〇万円)、共済雑費(49-<6>、二〇〇万円)、購買雑費(49-<7>、二五〇万円)、販売雑費(49-<8>、二〇〇万円)、人件費(49-<10>、四四九万円)(以上<5>ないし<8>の合計八五〇万円は、農協会館の落成式の記念品=花瓶代の見積り計上額、<10>の四四九万円は制服代の見積り計上額)

本犯則科目については、被告人柳沢は当公判廷において逋脱の犯意を含め、その事実を認めており、弁護人大槻もこれを争わない旨陳述しているのであるが、他方弁護人金井は、要するに本件の経理処理は前述した逋脱の犯意と無関係の所謂「含み」をもたせるための被告組合の決算処理の一環とみるべきもので、法人税の逋脱犯として問擬すべきものか否かについて疑義をさし狭まざるを得ないところである旨主張するので(同弁護人作成の弁論要旨第二の四)検討を加えるに、被告人柳沢は捜査段階において検察官に対し、前記八五〇万円の見積り計上について、「昭和五〇年一月ころ伴参事と森下管理課長が役員室に来て『利益が予定より出過ぎるので何とかしたいと思います。ついては、本所新館の落成式に際して記念品として配る花瓶を買うという形で経費を計上し、含みをもちたいのですが、どうでしょうか。大体七-八〇〇万円位計上できると思います』と言って伺いをたててきたのでこれに賛成し、昭和四九年一二月二七日付で各支出伺に決裁した。勿論、当時この花瓶を買った事実も、買うことを決めた事実もなく、四九年の公表利益を少くし、いわゆる含み(ゆとり)をもたせる為の経理操作であることは当時よく判っていた」と述べており、同じく制服代四四九万円の見積り計上に関し「この制服代金を未払金として計上することについては、事前に誰からも聞いた記憶がありません。しかし、これも事務当局の方で決算整理中、公表利益が出過ぎるので、所謂含み(ゆとり)をもたせた決算をするという私達の方針にそうため経費に計上することのできないものを経費に計上してくれたのだと思います。なお、後になって現実に制服代金を支出する為の支出伺を確か森下君が持って来た際『これは前年度で未払に計上してあったものです』と説明してくれたのを記憶しています」と述べているところ(被告人柳沢の52・2・13付検面調書(312))、坪川均の52・2・22付検面調書(175)、前川一雄証言<20>および同人の52・2・21付(176)、柴田利一の52・2・20、21付(128)、伴岩男の52・2・20付(174)、小寺傅の52・2・13付(173)、中山龍夫の52・2・16付(一)(169)、同日付(二)(170)、52・2・17付(171)、森下嘉津栄の52・2・17付(172)の各検面調書を総合すれば、昭和四九年一〇月末の仮決算の結果、被告組合では同年度の当期利益が当初の予定利益約三五〇〇万円程を大巾に上廻る六〇〇〇万円になることが判明したこと、他方翌年五月ころに予定された農協会館の落成式関係に多額の出費が予想されており、かつ右会館の維持費や定率法による減価償却費も相当計上しなければならないことが必至であり、それに翌年は職員の制服の新調をなすべき時期にあたっていたこと、そのため小寺傅企画監査課長は余裕のある昭和四九年度決算において架空の購売未払金と未払費用を計上し、当期の収益を圧縮し翌期の出費に備える不正な経理操作をなすことを発案し、森下嘉津栄管理課長、伴岩男参事もこれに賛同し、農協会館落成式の記念品の購売未払金名目で八五〇万円を、制服代の未払費用名目で四四九万円を架空計上することにつき、前者は同年一一月末ころ、後者は同年一二月初めころ被告人柳沢を含む被告組合の役員の承認決裁を受け四九年度決算の所得額を減少せしめたこと、五〇年になって落成式の記念品としては実際は風呂敷とレターセットがあてられ、その合計費用は四二〇万円であり、又、制服代も四四九万円全額支出されたこと、前記被告組合の関係者は一様にこのように四九年度の費用として未だ発生していないものをあたかも既に発生したように計上することは期間損益の観点からすれば許されないことであり、総代会では虚偽の決算を報告することになり、ひいては脱税になることも十分理解していたものの、いずれ五〇年度では費用に計上せざるを得ないものであるから、余裕のあるうちに費用に落しておいた方が良いとの気持から安易にこれを行ったことが認められるのである。右事実によれば、被告組合は専ら組合員対策と決算の恒常的安定を主たる狙いとしていわゆる含み(ゆとり)のある決算を採用し、内部留保に努めていたことが窺われるけれども、かかる目的を達するため前記の如き架空の購買未払金と未払費用を計上して収益を減少させる経理処理は期間損益の適正な配分をそこない公正妥当な会計処理の基準である費用・収益対応の原則にもとるものというべきであって、これをもって逋脱行為と解するのが相当であり、その主たる目的が脱税でないことは右結論に消長を及ぼすものではない。以上によれば弁護人金井の前記主張は理由がない。

ここで、以下弁護人金井が弁論要旨第一で縷縷強調する「含み」のある決算についてその逋脱行為該当性にについて論述する。

弁護人金井は、農協の営む事業は一般の工場では全く考えられない危険度を考慮してかからなければならないのであって、すなわち農協の事業の基本たる農業そのものが天候などの自然現象に左右される要素が多く、収入と支出の見込みが予測し難いことから、事業が好調に推移し、予想以上に利益が出た年には、その利益の一部を「含み」として残すことにより、翌年以降の災害による不作などに備え、需要家に対し安定した供給態勢を維持する必要があること、更に重要なことは農協は営利法人と異なり、利潤を生むのが目的ではなく、組合員の生活の向上・改善を目的とするのであるから、余り年度当初の予定利益より大巾に超過する利益を出した公表決算を組むと組合員から資材価格などの値下げ要求などが起こり、安易にこれに応ずると、周辺農協におけるそれらの価格などとの調和がくずれ、全体的な混乱を惹起する虞れがあるため、利益調節として公表決算上の利益を予定利益に近づけ、そこで生じた「含み」利益をもって翌年以降も資材価格の据置を図る必要もあること、以上のように「含み」は自然を相手に生きる農民で構成された農協の言わば生活の知恵であって、決して利益を隠し税金を免れようというような発想から生じたものではなく、もとより会計原則や税法上認められる引当金や準備金などを指すものではないけれども、かといって税金を免れるために益金を隠し又は損害を増すことによって作出される「隠し資産」を意味するものではない。発生主義の立場からある一会計年度だけをとりあげてみると、収入として計上すべきものを計上せず、支出として計上すべきでないものを計上する結果、決算上に現われない利益が生じていることとなり、これを「含み」と称しているのであるが、翌年度を通算してみると、前期に右収入からはずした分を当期の収入に計上し前期の支出に計上した分を当期の支出からはずす結果、「含み」も結局は決算上に公表され課税の対象となるのであって、「含み」を残すことは何ら法人税の逋脱を意図することにはならない旨主張する。

前川一雄は52・2・21付検面調書(176)において検察官に対し「ところで、福井市農協では、昭和四五年に合併してから二、三年の間というものはとにかく決算で赤字を出すまいという事で一生懸命でありました。当時は、世間では経済成長の絶頂期でしたが、小さな農協がいくつも集って急に大きくなり、経営を軌道に乗せ、黒字の決算を出す事で精一杯でした。幸いな事に、合併以来一度も赤字を出さずに過しておりました。ところが、四八年の秋に石油ショックがあり、その年の暮から四九年初めにかけては、あらゆるものが急激に値上がりすると共に、予約しておいた肥料や農薬やビニール製の生産資材がなかなか手に入らない状態にまでたちいたり、非常な危機に陥ったのでした。しかも、職員は五〇〇人もおり、支払う給料だけでも一〇億円位掛るところへもって来て、ベースアップもしなければならず、又このころから労働基準局の監督がきびしくなり、それやこれやで石油ショックを境目にして、われわれ常勤役員を始め幹部職員連中も今度は出来るだけ『含み』のある決算をしなければならないというムードになった。つまり、石油ショック以後、毎年、今年の決算はうまく行っても来年はどうなるか分からないから、含みのある決算をして内部留保をしようというムードになった。この事については、石油ショックのころからわれわれ常務役員が伴参事ら幹部職員と一緒に時々お互いに口に出して話し合ったこともあった。ですから当然此の考えは幹部職員だけでなく、少なくとも中堅職員に迄伝っているはずである。こういう訳で、柳沢組合長が就任する直前ころから、福井市農協では含みのある決算をしなければならないというムードになっていたのですが、柳沢組合長は、我々常務役員の中でもずば抜けて頭の回転が良く、又農協の経営についても経験豊かなベテランで私などの知らない経理の細かな事まで知っており、何事につけ積極的な性格の人で、就任後は、この含みのある決算をするという方針をその儘受け継ぎ、かつ積極的に推し進めた。現在、福井市農協の関係者が昭和四九年と五〇年の脱税について調べを受けておりますが、個々の脱税につながる経理については私が知らなかった面もあり、又ひょっとすると柳沢組合長でも良く知らなかった点があるかも知れません。しかし、当時の不正な経理とか決算は、柳沢組合長を頂点とする私共常務役員が含みのある決算をするべきだという方針でおりましたから、事務職員がその方針に従って行った事であります」というように被告組合が含みのある決算をするに至った経緯および当時の経済的背景事情並びに被告人柳沢の含みのある決算に対する積極的対応姿勢について述べ、坪川均は、52・2・22付(二)検面調書(175)において、検察官に対し含み(ゆとり)のある決算を採用した主要な目的につき「第一の組合員対策というのは、農協が年度当初かかげられた予定利益を大幅に超過する利益を出したとの決算をすると、総代会で組合員から農協がそんなに利益を出すのならその分を組合員に還元しろといって、やれ肥料や農薬や苗代の価格を安くしろ、やれ配当をしろ、といって突き上げられることになります。そこで私達としては、予定利益にできるだけ近づける決算を組むことが必要となる訳です。第二の目的としては、もし翌期以降に不測の事態が生じ、欠損が出るようなことに対し利益を内部留保し、将来の危険に備えるということも目的としてありました。この含みのある決算を組むという方針は、農協合併後やっと余裕の出てきた昭和四九年当時組合長の柳沢さんを初めとして、常務役員、事務当局者の大きな決算上の方針でした」と述べ、なお坪川の右供述中に出てくる予定利益に近づける経理操作について、中山龍夫は52・2・16付(一)検面調書(169)において、検察官に対し「これはいわゆる利益調節といい、利益調節とは事業年度の初めに立てた予想利益よりその年度の終りになって相当多額の利益が出た場合、収益は少な目にして他方費用は多い目にしてその年の初めに立てた予想利益に出来るだけ近づけることである。」と説明しているのであって、被告人柳沢自身もその「含み」に対する理解内容として52・2・12付検面調書(311)において「『含み』というのは、本来収益に計上すべきものを収益に計上せず、あるいは計上すべきではない費用を費用に計上してその結果資産を過少に計上し、或は負債を過大に計上する事によって実際の財産が公表帳簿上の金額よりも多い事をいうものと理解していた。他方、たとえば棚卸し商品の正当な評価損を計上するとか、合法的に許された会計処理により利益の留保をする事は、これに該当しないものと思っていた」と述べ、さらに同被告人は、含みのある決算をするための経理操作が逋脱結果を招来することを十分認識していたことを物語る例証として、前記検面調書の中で「五〇年一一月および一二月分の政府米未収保管料七九六万二二一二円を五〇年度の収益に計上しない様にする方針だということを聞いていたので、五一年一月の常務役員会の前ごろ、私の方から小寺室長の所へ行って、『保管料の未払金を計上しないそうだが、大丈夫か。毎年未収金に計上しているのに、そんな事をして税務署に見つかったらやられるぞ』と尋ねたところ、小寺室長は笑いながら『大丈夫ですよ』というので、私も小寺室長の意見どおり五〇年度についてだけ本来収益に計上すべき未収保管料を五〇年分の収益に計上しない事に決めた」旨述べているところである。右被告人の捜査供述その他関係者の捜査供述によれば、被告組合が含み(ゆとり)のある決算をなすためにとった種々の経理操作は、単なる事務担当者の不注意や思い違いなどによる収益の過少記載、又は損金の過大記載とは認められずいわゆる期間損益を適正に表示するための費用・収益対応の原則にもとり、必然的に税を免れる結果を随伴ないし招来するところのいわゆる「偽りその他不正の行為」と評するほかなく、従って、その結果の産物である公表決算に潜在する「含み」(ゆとり)は違法な免脱収入というべきものである。

二 (昭和五〇年分各犯則所得にかかる争点に対する判断)

1 共済雑収入(別表(二)の被告組合の昭和五〇年度修正損益計算書の勘定科目欄の番号<1>、三四万円=以下「50-<1>、三四万円」の様に表示する。)

被告人柳沢および弁護人大槻は、右収入が公表帳簿に記載されていないことは認めるが、同被告人はその事実を知らなかったから脱税の犯意がない旨主張するところ、被告人柳沢の公判供述中、右主張に沿う部分は後顕各証拠と対比して措信し難く、被告人柳沢の52・2・11付検面調書(310)第二項によれば、被告人柳沢は検察官に対し概括的・未必的に脱税の犯意を自白していたことが明らかであり、右自白の信用性は関係証拠、就中伴岩男証言<21>中の「柳沢組合長や坪川専務は、被告組合が共済推進奨励金を簿外にして会議費や交際費に使っていることは承知しておられたものと思う」との供述記載部分および同人の52・2・5付検面調書(324)(第三項)中の「共済推進奨励費は、被告組合の共済雑収入として受け入れすべき性質の金であることはわかっておりましたが、昭和五一年九月ころまでの間、帳簿上正式に受け入れをせず、裏金として交際費や弁当代に使っていました」との記載部分、同人の52・2・19付検面調書(325)(第三項)中の「被告組合が共済連から共済推進奨励金をもらっていることについては、柳沢組合長は以前共済連の副会長をしておられて共済推進奨励金を単協に支出してこられたことがあるので、十分承知しておられた。また、共済連からもらった共済推進奨励金を交際費に使っていることについては、全役員が承知しておられるはずです。例えば、課長会の後で一杯飲んでおりますが、その経費を被告組合から支出していないことについては、全役員がこれを承知しておられ、共済連からもらった共済推進奨励金を使っていることについても十分承知しておられると思う」との記載部分、坪川均証言<20>中の「柳沢組合長も現金で入ってきた推進奨励金を会食の費用に充当していることを承知していたと思う」との供述記載部分、植木正義証言<13>中の「伴参事や役員の方でも私が共済連からの共済推進奨励金を簿外扱いにして宴会費用をまかなっていることは、推察されていたと思う」との供述記載などにより充分これを裏付けられており、従って、被告人柳沢の本件係争分にかかる脱税の故意は証拠上優にこれを肯認でき、弁護人らの前記主張は採用できない。

なお、弁護人金井は、本件係争分につき要するに、本件共済雑収入は、被告組合が共済連の意向に沿って共済活動の第一線に従事する職員の慰労費として受領し、同慰労費として支出されたものであり、公表経理に計上しなかったのは、単に被告組合内部のいわば家庭の事情によるだけのことであって、決して脱税の犯意のもとに行われた行為ではない旨主張するけれども(同弁護人作成の弁論要旨第二の一)前叙認定・判断にかんがみると、該主張の理由なきこと明らかである。

2 購買品供給高(50-<2>、八一四七万一九〇〇円、△七六五四万五一〇〇円=農機具・農舎・自動車の売上げの繰り延べ)

被告人柳沢および弁護人大槻は、農業近代化資金の関係上、従前から慣行的に売上げの繰延べが行われていたもので、当期だけに限って行われた売上げの除外ではないうえ、被告人柳沢はそのような慣行的経理処理がなされている事実を知らなかったから、脱税の犯意がない旨主張するところ、山田実夫の52・2・12付検面調書(106)(第三項)中の「このようないわゆる売上げ繰延べをすることは年度によって多少多い少ないはありますが、合併以来毎年行なってきたことである。売上げ繰延べをした理由については、のち程触れるが、お客さんと売買の話が成立し、品物を引き渡してしまえば当然売上げに計上しなければならず、そのことは私は勿論被告組合の役員らも当然わかっていたことで、監査においても度々指摘されていた。売上げに上げずに棚卸商品として計上すれば、売上高と棚卸との差の分だけ被告組合の収益が不正に少なくなることはわかっていた。売上げ繰延べをした理由について大きく分けると、

<1> 近代化資金関係

<イ> 近代化資金申請中のもの

<い> 手続が年度内に済まなかったもの

<ろ> 近代化資金の枠がなくて、申請中のまま年度を越えたもの

<ロ> 近代化資金落ちのもので、代金が回収出来ていないもの

<ハ> 試送品

<ニ>事務ミスのもの

<2> オートローン関係

に分かれる。

近代化資金というのは、正式には農業近代化資金というもので、農家が農機具や農舎を買う場合、近代化資金として農協に対し借入申込をし、その適用が受けられると年三分の利子補給が県より得られるのです。利子補給の決定をするのは県で、県には予算の関係があって、一定の限度があります。また、近代化資金については、事前着工というのが堅く禁じられている。事前着工というのは、県が利子補給の決定をする前に対象となる品物を引き渡したり、或いは事業を着工してはならないというものである。先程大きく分けた<イ>の近代化資金申請中のものについては、この事前着工の関係で当年度の売上げに計上しなかった。お客さんに品物を渡すことはやむを得ないとしても、利子補給の決定前に供給伝票を上げて売上げに計上してしまうと、お客である農家の人が事前着工の関係で近代化資金の適用を受けられなくなるため、供給伝票を切らなかった。昭和四九年度については、同年一一月ころに県の枠がなくなってしまって申請中のまま翌年になってしまった。五〇年度については、枠がなくなったということはないが、申請から決定まで二、三カ月かかり、その関係で年度を越してしまった。次に、先程の大きく分けた<ロ>ですが、一旦近代化資金の申請をしたが、落ちてしまって、その結果ほかの支払方法についての話し合いがつかずに年度が越えたものです。その分についても既に売買の話は出来ていて品物は渡されている訳ですから当然売上げに計上すべきものである。近代化資金申請落ちのものについては、お客に対し現金で払うようにとか、一般の借入でやってくれとか交渉している訳です。大きく分けた<2>は近代化資金とは関係がなく、これは自動車についてオートローンの手続が遅れてしまった為、当年度の売上げに上げなかったものである。この場合、お客とは売買が成立し、かつ支払方法もオートローンという方法でやることに決まっていて品物も引き渡し済みである訳ですから、当然売上げに計上しなければならない訳ですが、お客が印鑑証明や保証人の書類をなかなか持って来ないこともあって売上げに計上しなかった。自動車の販売事務については、県経済連に委託している。品物が売れて引渡が出来たということは、経済連からくる出荷伝票、自動車の購入申込書によってわかり、契約書というものは格別ありません。これらの書類がくるということは、品物が売れて、お客に渡っているということです」との記載部分、同人の52・2・16付検面調書(107)中の「上申書について試送品を除いた分の各年度の売上繰延額を表にすると、次のとおりである。

<省略>

従って、売上げ繰延べをした結果、不正に収益がなくなった金額は、

昭和四九年については

<2>マイナス<1>で、三四七万六八七九円

昭和五〇年については

<3>マイナス<2>で二八八万七一九一円

である」との記載部分などに徴すれば、被告組合がとった農機具・農舎・自動車に関する売上げの繰延べ措置は、いかに被告組合において永年慣行的に実施されていたものとはいえ、およそ法人税法における所得金額は、各事業年度を単位とし期間計算により損益を算定すべきものとされており、それは恣意を許さず、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計算すべきものであることにかんがみると、被告組合の右経理処理は当該事業年度における利益を低く調整するためになされたものであって、税を逋脱するためになした所得秘匿行為にあたり、もとより違法であって是認されないものであることはいうまでもなく、被告人柳沢の52・2・11付検面調書(310)に徴すると、被告人柳沢は検察官に対し明白に脱税の犯意を自白していたことが明らかであり、右自白の信憑性は関係各証拠、就中小寺傅証言<17>中、および同人の52・2・18付検面調書(109)中の「農業近代化資金制度の制約を免れるため、実際は売渡し済みで品物を買主に引き渡していながら供給伝票を切ってこれを売り上げとしないで、棚卸しとして計上していた。昭和四九、五〇年度以前から監査で数多く指摘されており、この監査報告書は、役員も閲覧して決裁しています。ですから、年度内、或いは年度末においても現物が引き渡し済みのものでも棚卸しとして上がっているものがあるということは役員も承知していたはずです。結局農機具などについて近代化資金の問題があって、売上げの繰延べをしていたことは、職員のみならず、柳沢組合長ら役員も知っていた」との部分、山田実夫の52・2・12付検面調書(106)、山田実夫・金井敏明作成の52・2・10付「売上げの繰延べについて」と題する上申書(104)、谷中重一証言<16>中、および同人の52・2・12付検面調書(164)中の「昭和五一年一月二一-二二日ころの常務役員会(柳沢組合長は出席)で、岡田経理課長が資料に基づいて説明し、『棚卸しについては、なるべくおさえるつもりですが、肥料や農機具の在庫が多く、特に農機具については近代化資金の関係もあり、在庫が実際以上に大きく計上されている点もあります』と言った。すると柳沢組合長以外の役員の中の誰かが、『これについては毎年問題になっているが、近代化資金に見合う低利の融資制度を農協独自で作るように考えないといけないのではないか』と言い出し、一寸の間意見が交わされたのですが、柳沢組合長は『法律に定められた制度があるのだから、農協が勝手に同じようなものを作ると制度を乱すことになるからいかん。我々としては、あくまで今ある制度を伸ばして貰う様に努力するのが筋だ』と言って最初に出た意見をおさえた。そして、農機具などの棚卸しの架空計上については、各役員とも正しい処理、つまり年度中に売れた分は購売品供給高にきちんと計上し棚卸し資産の金額を本当の金額どおりにする事などは指示せず、その結果、事務局の案をそのとおり承認したのである」との記載部分などにより十分これを補強されており、従って、被告人柳沢の本件係争分にかかる脱税の故意は証拠上優にこれを肯認できるのであって、弁護人らの前記主張は採用できない。

なお、弁護人金井は、本件係争分につき要するに、農機具・農舎・自動車などの売上げの繰延べは、被告組合の当該事務担当者が、いずれも一定の理由のもとに翌期には必ず計上するので問題はないと考えて行った処理であって、脱税の犯意のもとに行われた行為ではない旨主張するけれども(同弁護人作成の弁論要旨第二の二)、前叙認定・判断にかんがみると、該主張の理由なきこと明らかである。

3 購買雑収入(50-<3>、一八八九万八八一〇円)

被告人柳沢および弁護人大槻は、同被告人において右収入が公表帳簿に記入されていないことを知らなかったものであり、もとより脱税の犯意がなく、また右犯意の有無以前の問題としてそもそも右収入のうち県経済連からの販売促進費中の五万円(一万五〇〇〇円二口および二万円二口)は被告組合に帰属すべき収入ではない旨主張する。

関係各証拠によれば、右購買雑収入の内訳は、<1>昭和五〇年一二月二九日県信連に設けてある被告組合名義の当座預金口座に振込まれた県経済連からの奨励金一八四三万九四一〇円のうち一七四八万八九一〇円、<2>農薬販売業者からのリベート九〇万九九〇〇円(<イ>昭和五〇年一二月二四日に三共薬局から五万七五〇〇円、<ロ>同月二九日に森下商店から二一万二四〇〇円、<ハ>同月三〇日に中西商店から一四万円、<ニ>同月二〇日に迎野商店から五〇万円)、<3>県経済連からの販売促進費五〇万円(<イ>同年六月一日に被告組合大安寺支所の職員松浦惣左エ門が交付を受けた一万五〇〇〇円、<ロ>同日に被告組合六条支所の職員児玉忠が交付を受けた一万五〇〇〇円、<ハ>同年一二月一日に被告組合円山東支所の職員斉藤敬二が交付を受けた二万円、<ニ>同月二日に被告組合の施設課長山田実夫が交付を受けた四五万円)である。

ところで被告人柳沢は、捜査段階においては検察官に対し購買雑収入の収益除外につき、一括して「正規に収益に計上しない事について私に事前の報告はなかったものの、各担当者が利益を予定以上に余り出さないようにして組合員からの儲け過ぎたとする非難を避けるようにしたいという私達の方針に従ってやってくれたものと思います」と概括的に述べるにとどまっていることは、同人の52・2・11付検面調書(310)に徴し明らかであり、坪川均の52・2・23付検面調書(154)中の「昭和五〇年一二月二九日被告組合が経済連からもらった販売雑収入九五万五〇〇円と購買雑収入一七四八万八九一〇円を昭和五〇年の収入に計上しなかった事実は知らなかった。昭和五一年三月八日付で昭和五一年の収入として計上しているのは、事務担当者が、いわゆる含みのある決算をするという私達役員初め被告組合全体の方針に従ってやってくれたものと思う」との記載部分によれば、被告組合の専務理事であった同人も、検察官に対し被告人柳沢と同一趣旨の供述をしているのである。そこで、県経済連からの奨励金一七四八万八九一〇円にしぼって被告組合実務担当者の右経理処理状況などに関する捜査供述について検討を進めると、被告組合の企画管理課長であった谷中重一は、52・2・2付検面調書(150)において「昭和五一年一月二〇日ころ、岡田経理課長と相談のうえ、昭和五〇年一二月二九日入金の経済連からの奨励金一八四三万九四一〇円について昭和五〇年度の収益に上げないことにし、その旨山田時恵に指示した。決算において当時の利益剰余金をどのくらい出すかは、前年度に計画した事業計画の剰余金に合わすというのが、従来のやり方であった。前年度の事業計画に合わせて決算を組むという方法をとっているのは、利益が総代会で承認された利益剰余金よりも多く出てしまうと、組合員から品物を安く仕入れて高く売りつけて利益を上げたと言われて非難されるからである。配当金は一定限度で抑えられており、特別配当をするという手もありますが、それをするくらいなら安くしろということになる。経済連から奨励金が来る場合、公文書で奨励金交付の案内書や明細書が必ず来る。それについては担当課長、管理課長、参事、常務役員が閲覧・決裁しています。本件の案内文書等について探してみたが、現在見当りません。結局、一八四三万九四一〇円は昭和五一年三月八日に購買雑収入一七四八万八九一〇円と販売雑収入九五万五〇〇円として計上している」旨供述しているところ(なおこれを裏付ける関連証拠として鷲田武保の52・2・3付検面調書(148)、山田時恵の52・2・1付検面調書(149)、岡田政憲証言<18>中、および同人の52・2・26付検面調書(151)中の「昭和五一年一月一六-一七日ころ、谷中管理課長が私に『昭和五〇年一二月二九日に経済連から信連にある被告組合の当座に振込まれた五〇年度諸奨励金一八四三万九四一〇円をどうしようか』との相談があり、結論として既に決算を大体組んだ結果、事業計画を上回る利益が出ており、これ以上の利益を計上すれば総代会がもめる原因となりかねないし、含みのある決算をする事が柳沢組合長はじめ農協全体の方針でもあるから、五〇年度の収益には計上しないでおこうという事にまとまった。昭和五〇年一月一九日ころ、その旨小寺室長と伴参事に報告した」との記載部分などがある)、更に被告組合の参事伴岩男は、検察官に対し52・2・26付(一)検面調書(153)(第二、第三項)において「(二項)経済連からは毎年奨励金が来ているので毎年それを収益に計上しており、昭和五〇年度の分だけを収益に計上しないという例年と異なる処理をすることについても当然常務役員の承諾を受けなければならず、私はこの約一八〇〇万円の収益を計上しない決算を組むについて本決算の報告の際か、それ以前に常務役員のたぶん柳沢組合長に報告しているはずです。(三項)ゆとりのある決算をくむということにそう処理だといっても、約一八〇〇万円という多額の収益を計上しないことについて、常務役員の了解を得ないで私一人の判断で処理できるものではありません。ただ私の口からではなく、本決算などの際に岡田課長から常務役員に対し報告があり、それを私が聞いていたということもありうると思う。今までこのような多額の収益を計上しないことについて、私一人の判断で決めたようなことは一度もありません。ですから、何らかの機会に本決算の前に常務役員に報告していることは間違いないと思う」と述べていることなどを総合すれば、被告人柳沢は伴参事らから昭和五〇年一二月二九日入金になった県経済連からの奨励金一八四三万九四一〇円の経理処理について相談を受け、利益調節をして決算に含みをもたせるべく、昭和五一年度分の収益に繰延べることを了承していたものと推認するに十分であり、そうだとすれば、被告人柳沢の右一八四三万九四一〇円の一部である一七四八万八九一〇円にのぼる県経済連からの奨励金にかかる脱税の故意の存在は明らかである。

次に農薬販売業者からのリベート分九〇万九九〇〇円(これについては、吉峰賢淳の52・1・29付検面調書(131)、森下真一の52・1・28付検面調書(132)、中西猛の52・1・28付検面調書(133)、迎野駿爾の52・1・29付検面調書(134)中の「昭和五〇年一二月二〇日ころ、迎野駿爾は、被告組合資材課課員井上英之に対しリベート五〇万円を支払うことを約し、昭和五一年一月八日ころ額面五〇万円の小切手一通を届けた」との記載部分参照)については、被告組合の資材課長であった坂井敏夫は52・2・21付検面調書(137)において検察官に対し「雑収入に計上しなかった事については、それが上司なり組合の方針に反しないと思ったからです。単に反しないだけでなく、それは組合のいわゆる含みのある決算をするという方針にも合致するところであるから、雑収入に計上しないで、いわゆる裏金にしてもその使途さえはっきりしておけば、上司から怒られる事はないものと思っていた」と被告人柳沢の前記52・2・11付検面調書(310)の内容と合致する供述をしているけれども、前記坂井敏夫は検察官に対し「割戻金を昭和五〇年度の雑収入に計上しなかったことについては、同僚あるいは上司と格別相談せずに、資材課長たる自己の責任と判断で処理した」旨述べると共に(同人の52・2・12付検面調書(136)中の「割戻金を昭和五〇年度の雑収入に計上しなかったことについては、同僚或いは上司に格別相談はしませんでした。農薬業者からの割戻金でこの程度の額であれば、課長である私の判断で処理することについては上司の方も異議はないだろうと考えて私の判断でやったことだ。その使途((預金通帳の出し入れ))は、51・1・5、四万八〇五〇円((払戻し))((昭和五〇年暮れに川西地区の購買業務担当者ブロック会が開かれた訳でそれの弁当代))、51・1・8、一四万八三一九円((払戻し))((社給油所のお客宮下敏雄に対するガソリンなどの売掛金の未収金に充当))、51・2・9、二一万五八四一円((払戻し))((昭和五〇年暮れに芦原温泉の長谷川旅館へ行った購買業務担当者と呉服業者を含めた忘年会兼懇親会の費用))51・3・5、七三万八〇二〇円((払戻し))((吉川組に対する賠償金三〇万円、雑収入計上四一万二四〇〇円、昭和五一年春の購買関係職員のとんちゃん屋における飲食費二万五六二〇円))である」との部分同人の52・2・22付検面調書(138)中の「昭和五一年一月五日四万八〇五〇円を山脇儀平名義の預金通帳から払戻したが、金の使途は、昭和五〇年一〇月ころ川西地区の購買担当者会議を催し、その終了後鷹巣支所において石森亭という仕出し屋から酒・料理などを取り、懇親会をした」との記載部分参照)、更に同人は、第一九回公判廷において証人として自分は本件の経理処理につき、柳沢組合長に対し報告しておらず、そもそもリベートをとること自体についてすら上司に伺いや承認を求めたことはなく、それらの金を山脇儀平名義の銀行預金として預託することもだれにも話しておらず、川西地区の業務担当者の飲食代や社給油所の未収金および忘年会費や酒生の給油所の損害賠償費などに支出したのは、すべて自身の独断であった旨供述しているのであって(坂井敏夫証言<19>中の「被告組合の購買雑収入に本来入れるべきものを別途に貯金して不良債権や飲食費などに充てたということは、正規の経理の仕方ではなく、いわゆる裏にした形になるが、当時の市農協の決算方針として、このような金は裏にしておいて使う、というようなことについて、特に指示があったということも聞いたこともない。しかし、このような県連の要綱に基づく細かい販売促進のための金は、購買関係のことでもあるので、一部を弁当代として本人の方に渡していたということはあった。しかし、被告組合全体として裏帳簿をつくって特にどうせよ、というような意思を通じあって確認をしたということはない。私の場合は、決算にあたって、その年の不良債権や事故の処理などはすっきりした形にしておきたいと思っただけであって、そうすることがふくみになるというような、そんな考えはもっていませんでした。単年度の決算の結果、利益が出ますと還元していく訳ですから、利益が出ると剰余金処分案を作成して承認を得たうえ、総代会に提出していきます。ですから私らの方で収益を多く出させようとか、ふくみを多く持とうなどと意図したことはありません。当時それが税法に触れるとか、触れないとかそういうことは思っていません。私らに税務会計に対する基本的知識が足りなかったのがこのような結果になったと思う。自分の課内で発生した不始末をそれで処理した訳で、おおっぴらにしないで処理したことですし、勿論税務上のことを念頭においていた訳ではない。この件については、先に述べたような不始末があって、心を痛めていたものですから、結局取調べのときに苦しまぎれに自分の気持に若干反する点がありながらそのように調書の内容について認めざるをえなかったといういきさつがあった。それが被告組合の最終的な方針であったというような、それほどまでに私は意識していなかった。私は、昭和五〇年一二月末ごろ、資材課課員井上英之に対して別途に保管しておくように指示しておいた金については、社と酒生の給油所の問題が決着付いた後には、正規にその残りを雑収入に計上してもらおうと考えていた。私は、このような事務処理を指示し、容認してきた過程で、これが税務処理上脱税になるという認識はもっていなかった。私は、リベートをとることについて、上司に伺いや承認を求めたことがなく、それらの金を山脇儀平名義の預金にしておくのもだれにも話しておらず、川西地区の業務担当者の飲食代や社給油所の未収金および忘年会費や酒生の給油所の損害賠償金などに支出したのは、すべて私の独断であった。当時これが含みのある経理だとは理解していなかった。検察庁では、理詰めで供述させられたけれども、真意ではなかった。本件の経理処理については、柳沢組合長には報告していませんので、同人は知らないと思う。従前農薬業者からの割り戻し金は、値引き伝票を起こして、利益が発生するようにしたうえ、その利益を購買の収益に計上していたが、本件における処理は、従前のやり方とは違っている」との供述記載部分、山脇儀平((被告組合の資材課課長補佐))の52・2・29付検面調書(142)中の「坂井課長の話では、社給油所、酒生給油所において未収金や賠償金を払うような話があったため、業者から受け取った割戻金を被告組合の収入に計上しないで、その金で賠償金などに充てたいということであった」との記載部分、井上英之の52・1・29付検面調書(135)中の「農薬業者三共薬局他三名から割戻金九〇万九九〇〇円を受領したが、収益には計上しなかった。昭和五〇年一二月二〇日過ぎころ、坂井課長から『ガソリンスタンドの未収金があるので、それに充てたい』ということを聞いた。それで坂井課長が割戻金について雑収入に上げるつもりはないことが判った」との記載部分参照)、以上のとおり被告組合の資材課長であった坂井敏夫がなした農薬業者からのリベート代九〇万九九〇〇円の処理に関しては同人自身にすら逋脱の故意の存在を認めることは困難であり、ましていわんや、被告人柳沢には概括的にせよ逋脱の認識の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男との逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いところである。もっとも山脇儀平は前記52・2・29付検面調書(142)において「なお農薬業者から受取った割戻金を農協の収入に計上しないでおくということについては、坂井課長の方で上司から担当所管課長に話していると思う。坂井課長の独断では出来ないと思う」と述べているが、それは、あくまで推測の域を出ないものであるから、前記結論に消長を及ぼさない。

最後に県経済連からの販売促進費分五〇万円については、松浦惣左エ門(被告組合の大安寺支所業務係長)の52・2・16付(143)、児玉忠(被告組合の六条支所職員)の52・2・17付(144)、52・2・25付(145)斉藤敬二(被告組合の円山東支所職員)の52・2・17付(146)、52・2・22付(147)各検面調書および山田実夫(被告組合の施設課長)証言<14>中の「四五万円を受け取ったことについて、被告組合の上司に報告していないので、被告組合の役員はわかっていない。所帯が大きいので、忘年会をやるのに、その都度役員の決裁をとらないので、役員は、県経済連の販売促進費でもって忘年会の費用をまかなっていることは、わからないはずです」との供述記載部分、石塚親章(経済連の自動車課長)の52・2・14付検面調書(140)中の「昭和五〇年六月二一日、同年一二月一日自動車の販売推進費(拡販費)として、被告組合の職員三名に三口合計五万円を現金で交付した。販売会社から経済連が受け取った金、経済連が配分した金については、いずれも経済連の公表帳簿に計上されていません。要するに、裏で販売会社から貰って、裏で各人に交付したものである」との記載部分、大久保由希雄(経済連の農機課長)の52・2・13付検面調(139)中の「昭和五〇年、経済連が、被告組合に対し農機具などの拡販費(拡大販売費又は販売促進費)を支払ったが、実際的効果を考え、裏で職員に現金で渡した。昭和五〇年一二月一九日山田実夫に対し拡販費(コンバイン一台当り五〇〇〇円九〇台分)として四五万円を交付した。昭和四九年度においては、振込の方法で信連にある被告組合の口座へ入金していたが、それでは現実に販売担当係員に到達しないで、活用されない傾向があったから、各人に直接渡すようにした。恐らく、各人が受け取った金は、被告組合の収入として計上していなかったものと思う。言ってみれば、裏で各人に交付したものです。勿論、純粋に個人的な関係から渡したものではありません」との記載部分などを総合すれば、販売の第一線で活躍する担当職員に対する激励の趣旨が生かされるよう、経済連から被告組合を経由せずに、直接現金で被告組合の大安寺支所業務係長松浦惣左エ門、六条支所職員児玉忠、円山東支所職員斉藤敬二、本所施設課長山田実夫に交付されたものであって、同人らは右受領した事実を上司に報告することなく、その裁量に基づき食事代などに費消していたものと認められ、従って、右処理に関し、右職員ら自身にすら逋脱の故意の存在を認めることは困難であり、ましていわんや、被告人柳沢には概括的にせよ、逋脱の認識の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男との逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いのである。

以上によれば、弁護人らの本件係争分にかかる前記主張中、県経済連からの奨励金一七四八万八九一〇円については理由がないが、農薬業者からのリベート九〇万九九〇〇円と県経済連からの販売促進費五〇万円については結局理由があり、いずれも被告組合の逋脱所得を構成しないものというべきである。

なお、弁護人金井は、本件係争分中、経済連から松浦惣左エ門、児玉忠、斉藤敬二らに対する販売促進費合計五万円は、同人ら個人の収入であって被告組合の収入にはあたらない旨、経済連から施設課長山田実夫に供与された四五万円も被告組合の正規の収入としてではなく、その費消先などを同人らの裁量に一任した金員であり、現に同人は上司には何ら報告することなく自己の裁量に基づき販売活動に尽力した担当者を慰労するための会合費などに右金員を費消しているのであるから購買雑収入に計上しなかった同人らに脱税の犯意がなかった旨、農薬業者からのリベートは、その内金をもって年度内にその発生が確定したガソリン販売代金の貸倒れ分や損害賠償債務などの損金の補償処理を行い、残金四一万二〇〇〇円は、翌期に雑収入として処理されており、かかる処理をした坂井敏夫資材課長には脱税の犯意がなかった旨、経済連からの奨励金一七四八万八九一〇円を当期中の購買雑収入として計上しなかったのは、所謂「含み」(ここでいう「含み」とは、会計原則や税法上認められる引当金や準備金などを指すものではないけれども、かといって税金を隠し、又は損金を増すことによって作出される「隠し資産」を意味するものでもない。発生主義の立場からある一会計年度だけをとりあげてみると収入として計上すべきものを計上せず、支出として計上すべきでないものを計上する結果、公表決算上に現われない利益が生じていることとなり、これを「含み」と称しているのであるが、翌年度を通算してみると、前期に右収入からはずした分を当期の収益に計上し、既に前期の支出に計上した分を当期の支出から外す結果、右「含み」も結局は正規の決算上に公表され、課税の対象となるのであって、「含みを残す」ということは、何ら逋脱を意図することにはならないのである。)をもたせる目的で、かつ、翌期には必ず計上する意図(現に翌期には計上されているのである。)のもとに敢えて計上しなかったものであって、決して脱税の犯意に基づくものではない旨各主張するところ(同弁護人作成の弁論要旨第二の七)前叙の認定・判断に鑑みると、該主張中、県経済連からの奨励金一七四八万八九一〇円に関する部分は理由がないが、その余の部分は、その理由付けは別にしても結局理由があること明らかである。

4 販売雑収入(50-<4>、九五万八一四六円)

被告人柳沢および弁護人大槻は、同被告人において右収入が公表帳簿に記入されていないことを知らなかったものであり、もとより脱税の犯意がない旨主張する。

関係各証拠によれば、右販売雑収入の内訳は、<イ>昭和五〇年一二月二九日県信連に設けてある被告組合名義の当座預金口座に振込まれた県経済連からの奨励金一八四三万九四一〇円のうちの九五万五〇〇円、<ロ>県経済連からの同年一二月分の政府米集荷手数料七六四六円である。

ところで、被告人柳沢は、捜査段階においては検察官に対し販売雑収入の収益除外につき、一括して、「右の分を収益に計上していなかったそうですが、私は事前にそれを知りませんでした。しかし、これも予定利益とあまりかけ離れた利益を出さない様にしていわゆる『含み』を持つようにするという私達の方針に従って担当者の方で収益に計上すべきこれらの金額を収益に計上しないようにしてくれたものと思います」と概括的に述べるにとどまっていることは、同人の52・2・11付検面調書(311)に徴し明らかであり、坪川均の52・2・23付検面調書(154)中の「昭和五〇年一二月二九日被告組合が経済連からもらった販売雑収入九五万五〇〇円と購買雑収入一七四八万八九一〇円を昭和五〇年の収入に計上しなかった事実は知らなかった。昭和五一年三月八日付で昭和五一年の収入として計上しているのは、事務担当者がいわゆる含みのある決算をするという私達役員初め被告組合全体の方針に従ってやってくれたものと思う。昭和五〇年一二月分の政府米の集荷手数料七六四六円を五〇年分の収益に計上しなかった事実についても、私は当時知らなかったが、これも事務担当者において、いわゆる含みのある決算をするという農協全体の方針に従って計上しなかったものと思いますが、これについて承諾していたものと思う」との記載部分、柴田利一証言<17>中および同人の52・2・20、21付検面調書(128)中の「柴田自身は、昭和五〇年の収益に販売雑収入九五万八一四六円を計上しなかったという処理をしたことは、その当時知っていなかったが、事務担当者の右処理は含みのある決算をするという私達役員を始め被告組合全体の方針に沿ってやってくれたものだから、もし事前に承諾を求められたとしたら、私も承諾を与えたと思う」との記載部分、小寺傅証言<17>および同人の52・2・26付検面調書(152)などによれば、被告組合の専務理事であった坪川均、同常務理事であった柴田利一、同企画監査課長であった小寺傅らも、検察官に対し、被告人柳沢と同一趣旨の供述をしているのである。そこで、県経済連からの奨励金九五万五〇〇円にしぼって被告組合実務担当者の右経理処理状況などについて検討を進めると、既に前記3の購買雑収入中、県経済連からの奨励金一七四八万八九一〇円に関し説明したところと同一であって、被告人柳沢は伴参事らから昭和五〇年一二月二九日入金になった県経済連からの奨励金一八四三万九四一〇円の経理処理について相談を受け、利益調節をして決算に含みをもたせるべく、昭和五一年度分の収益に繰り延べることを了承していたものと推認するに十分であり、そうだとすれば、被告人柳沢の右一八四三万九四一〇円の一部である九五万五〇〇円にのぼる県経済連からの奨励金にかかる脱税の故意の存在は明らかである。

次に県経済連からの昭和五〇年一二月分の政府米集荷手数料七六四六円については、新屋久二(被告組合の販売課長)の52・2・17付検面調書(156)中の「昭和五一年一月一七-一八日ころ、岡田経理課長から昭和五〇年分の保管料一一月分四一一万七五一三円、同一二月分三八四万四六九九円および集荷手数料一二月分七六四六円について『今年は、入れんとくから起票せんといてくれ』との指示があったので起票しなかったが、これは岡田課長の一存ではなく、同課長が上司と相談のうえ、決定したことと思いました」との記載部分、同人の52・2・3付検面調書(157)中の「昭和五〇年度内に発生した債権の未収金なので、同年度の決算には当然未収金として計上しなければならないことを知っていたが、決算期に岡田経理課長と相談したところ、同課長が今年は入れんとおくから起票をせんとおいてくれといわれたので、未収金を計上しないことにした。送金案内書によれば、昭和五〇年一二月に被告組合が生産者から集荷した政府米の集荷手数料七六四六円が昭和五一年一月三一日経済連から送金されてきた」との記載部分、岡田政憲(被告組合の経理課長)の52・2・2付検面調書(158)中の「昭和五一年一月上旬ころ、私は、新屋販売課長に政府米の一二月分の未収集荷手数料七六四六円と未収保管料一一月分四一一万七五一三円、一二月分三八四万四六九九円のメモを書いてもらっていた。私は小寺室長、谷中企画管理課長、伴参事と相談して未収の保管料と手数料を決算に上げないこととした。昭和五〇年一月二〇日ころの常務役員会で柳沢組合長が決算書を見て『この決算書にある程度の含みがあるのか』と聞かれ、私は『多少含みがある』と答えた」との記載部分、岡田政憲証言<18>中の「昭和五一年一月二〇日ころの常務役員では、積極的に説明したのは育苗会計のことだけで、奨励金の関係や集荷手数料などの関係については、幾らの金額を留保してあるかは説明していないし、抜いてあるから決算資料を見ても具体的には分からないと思うが、柳沢組合長は全体として『多少ゆとりがあるのか』と聞いたので、岡田は集荷手数料や奨励金が抜いてあるのを念頭において『多少含みがある』と答えた。政府米の保管料や集荷手数料を昭和五〇年度の収益に計上しなかった理由を、常務役員会では特に説明していないが、それは第一に、慣例的に全般的にやっていたことなので、敢えて説明しなくてもよいと思ったこと、第二には、全体のふくみのある決算に関係しますから、その一部として敢えて説明しなくてもよいだろうと考えて柳沢組合長にいちいち相談・説明しなくても了解してくれると思っていた」との供述記載部分、伴岩男証言<21>中の「未収保管料については例年だと利益に上げていたが、たまたま五〇年の一一月と一二月分については異例のこととして利益に上げない処理をしたので、単なる事務レベルでは処理できず、柳沢組合長までの承認を得てしなければならず、独断でやった記憶はない」との供述記載部分に被告人柳沢の52・2・12付検面調書(311)中の「昭和五〇年一一月一二月分の政府米未収保管料については、五〇年度の収益に計上しないようにする方針だということを聞いたので、五一年一月の常務役員会の前ごろ、私の方から小寺室長のところへ行って『保管料の未収金を計上しないそうだが、大丈夫か。毎年未収金に計上しているのに、そんな事をして税務署に見つかったらやられるぞ』と尋ねたところ、小寺室長は笑いながら『大丈夫ですよ』というので、私も小寺室長の意見どおり五〇年度についてだけ本来収益に計上すべき未収保管料を五〇年分の収益に計上しない事に決めた」との記載部分などに徴すると、被告組合の岡田政憲経理課長は被告組合の昭和五〇年分の利益を圧縮するため同年度の未収金である保管料一一月分四一一万七五一三円と同一二月分三八四万四六九九円ならびに集荷手数料の一二月分七六四六円を収益に計上しないことを企図し、そのうちの保管料については金額も大きいことから被告人柳沢の了承をえていたが、集荷手数料は金額も寡少であったことから同人の了解をえないで未収金として計上しなかったことを推認するに十分であり、従って、被告人柳沢には、逋脱の認識の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男との逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いところである。以上によれば、弁護人らの本件係争分にかかる前記主張中、県経済連からの奨励金九五万五〇〇円については理由がないが、県経済連からの集荷手数料七六四六円については理由があり、その分は被告組合の逋脱所得を構成しないものというべきである。

なお、弁護人金井は、本件係争分につき、要するに経済連からの奨励金および集荷手数料を当期の販売雑収入として計上しなかったのは、所謂「含み」をもたせる目的で、かつ翌期には必ず計上する意図(現に翌期には計上されているのである。)のもとに敢えて計上しなかったものであって、決して脱税の犯意に基づくものではない旨各主張するところ(同弁護人作成の弁論要旨第二の八)、前叙の認定・判断にかんがみると、該主張中、経済連からの奨励金九五万五〇〇円に関する部分は理由がないが、経済連からの集荷手数料七六四六円に関する部分は、その理由付けを異にするものの、結局理由があることに帰すること明らかである。

5 雑収入(50-<6>、五六三万円)

被告人柳沢および弁護人大槻は、同被告人において右収入が公表帳簿に記入されていないことを知らなかったものであり、もとより脱税の犯意がなく、又右犯意の有無以前の問題として、そもそも右収入のうち福井ヰセキ株式会社関係の一一〇万円は、被告組合の組合員からの預り金であるから、被告組合に帰属すべき収入ではない旨主張する。

関係各証拠によれば、右雑収入の内訳は、(一)<あ>昭和五〇年四月三日に入金した県経済連からの自主流通米の検査場所新設整備助成金七三万円(桧鼻進((経済連の管理部長))の52・1・29付検面調書(113)参照)<い>同年六月一三日に入金した県経済連からの東下野ライスセンター赤字助成金五〇万円および給油所設置助成金三〇万円(桧鼻進の52・1・29付検面調書(113)参照)、<う>同年八月二一日に入金した県経済連からの化粧品コーナー設置助成金八万円(桧鼻進の52・1・29付検面調書(113)参照)、<え>同年四月三日に入金した県中央会からの緞帳助成金二〇〇万円(坪内誠((中央会の電算開発室次長))の52・1・28付検面調書(114)参照)、<お>同年三月三一日ころ、入金した県信連からの広告塔設置助成金二五万円および粗品代助成金七万円(野坂長生((県信連の業務部貯蓄推進課長))の52・1・28付検面調書(112)参照)(なお以上(一)全般に関する証拠として天谷甚兵衛((被告組合開発管財課長))の52・2・4付(118)、52・2・21付(119)各検面調書、西野笑美子の52・2・4付検面調書(120)、天谷甚兵衛・西野笑美子共同作成の「減価償却費の計算及び助成金の受入れ処理について」と題する52・2・4付上申書(115)参照)(二)県経済連からの東部ライスセンター落成式費用の助成金六〇万円(東正男((福井ヰセキ株式会社の代表取締役専務))の52・2・3付検面調書(122)中の「(一一項)東部ライセンスセンターの契約は、経済連が五〇年二月か三月ころ、福井市農協から受取ってきたもので、福井ヰセキ(株)が請負人となり、機械の着工は四月ころ、完成が八月上旬で、八月一〇日ころ落成式をやった。経済連からは、被告組合との契約金額は一億五四〇〇万円だと聞いていた。既に落成式を終えた八月下旬か九月の事ですが、経済連の山田新平施設課長補佐から被告組合が補助金を貰う関係で、これから契約書を二つに分けて書き変える事になり、厄介になったと聞かされた。五〇年一〇月の終りか、一一月初めだったと思うが、山田課長補佐が私のところに来て『あんたのところの金銭の面では何も関係ないが、三七五万円の架空の工事注文書を出すので、請書を出してくれ。金は年内に払うが、その方は被告組合が取りに来るから渡してやってくれ』と言い出した。その時、何やら契約書を書き変えた為、被告組合から余分に受取った金を同組合に返すのだという様な事もちらっと言った様にも思いますが、私は補助金対策上書き換えた契約書の金額がいくらになっているのかも知らず、又要するに、山田補佐は、福井ヰセキ(株)をトンネルにして被告組合に三七五万円払う必要があるので協力しろというのだから、断わったら角が立つし、その金の趣旨について私の方としては深く詮索する必要など全くないので、引受けた。その後経済連から三七五万円の架空の注文書が来たので、請書を出した。その後、此のお金は、信連にある福井ヰセキの口座に一二月初めころ入り、月末に通知があったので、帳簿上は一二月三一日付で預り金に計上した。五一年五月になって監査の時、預り金について注意を受けたので、私は山田補佐に早く取りに来させてくれと頼んでおきました。五一年五月ころ、被告組合に三七五万円預り金を払った旨の伝票があったので、解決したと知りました。従って、このお金は、福井ヰセキ(株)が、被告組合に対して工事代金の値引などとして支払ったものではありません」との記載部分、収税官吏大蔵事務官の東正男に対する昭和五一年一〇月一四日付質問てん末書(123)中の「東部ライスセンターのもみタンク増設工事に関する取引は、架空取引である。この契約書は、契約日が五〇年八月五日、契約金額は三七五万円、契約内容はタンク増設工事、注文者は経済連会長山田伝助、請負者福井ヰセキ(株)となっているが、当社としては、この契約内容の工事をしたことがなく、全く架空のものです。五一年五月四日ころ、経済連の山田課長補佐が当社へ来て、被告組合の人が来るから返してやってくれという話があって、五一年五月六日に被告組合から川上営農課長が来たので、私は当社の児玉管理部長に指示をして福井銀行高木支店の額面三七五万円の小切手を振出し、川上営農課長に渡した」との記載部分、山田新平((経済連施設住宅事業部施設課長補佐))の52・2・3付検面調書(124)中の「昭和五〇年に経済連施設課が被告組合から東部ライスセンターの機械工事を一億五四〇〇万円で請負ったのですが、それに関して福井ヰセキ(株)を通じ被告組合に対し工事代金の中の余計に貰った三一五万円と東部ライスセンターの落成式費用に対する助成金六〇万円を払った。昭和五〇年三月二七-二八日ころ、上司の臼屋課長が、被告組合と東部ライスセンターの機械工事の契約を締結した。金額は一億五四〇〇万円であった。福井ヰセキ(株)が東部ライスセンターの機械工事に着工したのは、確か五月終りころで、完成して落成式をやったのは、確か五〇年八月一〇前後の事だった。五〇年の七月か八月ころ、被告組合の川上営農課長から私に補助金を貰う関係で契約書を補助対象事業分と対象外事業分とに分けて作り直して欲しいと言ってきたので、部下の浜谷信一に任せておいたところ、その後浜谷から『契約書を二本立てに書き変えたら金額が本当の契約金額より三〇〇万円増えてしまった。しかし、これは、請負率を同じにせなあかんので、被告組合側の希望で金額が増えてしまっただけで、被告組合の方は、増えた分は返せといっているという報告を受けた。五〇年九月ころ落成式の後で、私は淵町にある農協会館へ行って、柴田利一常務理事と二人だけで話し合い、その時柴田常務は『後で作った契約書の方は、補助金を貰う都合上、請負率を同じにしたため、金額も増えたし、その外に追加工事もやって貰ったけど、契約金額はあくまで一億五四〇〇万円だ。然し、経済連は儲け過ぎているから、本当の契約書と後で作った契約書の差額を返して貰う事は勿論だが、その外にも少し見て欲しい』と言い出した。そして柴田常務は『一億五四〇〇万円と被告組合から支払を受ける金額合計一億五七一五万円の差額の三一五万円の外に一〇〇万円か一五〇万円を出せ』と要求した。然し、私共の方では値引をする場合には、契約の段階で値引をする事になっていたので、私は『それは困る。被告組合だけ規定の価格条件を割る訳にはいかん』と言って断ったが、柴田常務は『東部ライセンの落成式その他で色々と費用がかかったので、見て欲しい』とねばるので、結局私の方も折れ、東部ライセンの落成式の費用に対して六〇万円だけ色をつけるという事で話がまとまりました。その際、福井ヰセキ(株)を通す事を思いつき、その場で柴田常務にこれを伝えた。その様に約束したものの、経済連ではこういう場合に助成金を交付する内規はありますが、当時経済連内部では被告組合に色々な助成金をやり過ぎているから、手控えなければいけないというムードがありましたので、表立って助成金という事で処理出来ず、どうしようかと考えた揚げ句、福井ヰセキ(株)と架空工事契約をした事にして支出すれば格好がつくからそうしようと決めた。昭和五〇年九月ころ、そこで直ちに福井ヰセキ(株)の東社長に会って簡単に事情を話し『架空契約のオーダーを出すから、その代金として受取った金額も、そのまま被告組合に渡してやってくれ』と頼んだところ、東社長は承知してくれた。その段階で、私は改めて被告組合との間で作り直した二本立ての契約書の金額を確認したところ、補助対象事業分が一億四七四五万円、対象外の分が九七〇万円という事になっており、合計一億五七一五万円だから本当の契約金額との差額が三一五万円で、これに六〇万円足すと三七五万円になる事が分かった。五〇年一一月二〇日付で、福井ヰセキ(株)からこの三七五万円の請求書が来ましたので、私は支払いの手続を経理課に対して行い、その結果、五〇年一二月一日付で経理課の方が信連にある福井ヰセキ(株)の口座に振込依頼を行い、そのころ福井ヰセキ(株)の口座に三七五万円入金された。その後五一年に入ってから、東社長から『この金額を長い間預っておくわけにもいかないので、取りに来させてくれ』と言われたので、川上営業課長に会った時、『ヰセキの方に金が入っているから、取りに行ってくれ』と伝えた」との記載部分、川上幸好((被告組合の営農課長))の52・2・3付検面調書(129)中の「五一年五月初めころ、福井ヰセキ(株)に行って、経理担当者から三七五万円の小切手一通を貰ってきた。私は、此の入金を、どの様にして処理するのか分からず、暫らく西野笑美子に預けて置き、その後柴田常務に相談したところ、『購買雑収入に上げておけ』と言われたので、その旨山田実夫農機課長に頼み、小切手を渡した。その伝票処理は、五月二〇日付で行われている」との記載部分参照)、(三)福井ヰセキ株式会社名義の定期預金化していた東部ライスセンター籾乾燥機の工事ミスにより発生したこぼれ籾八八俵代金一一〇万円(収税官吏大蔵事務官の東正雄に対する昭和五一年一〇月一四日付質問てん末書(123)、柴田利一の52・2・12付検面調書(127)中の「昭和五〇年一二月一〇日私は、福井ヰセキ(株)の東正男社長に対し『あんたのとこのミスで籾がこぼれたのやから、あんたの方でその籾を回収して米にして売ってくれ』と指示した後、柳沢組合長に対し、東部ライスセンターで籾こぼれ事故があったことを報告し、『その処理については私に任してほしい』と伝えて了承を受けたが、その他の常務役員には一切伝えなかった。その後東社長は、私に『こぼれた籾をすったら八八俵あったので、経済連で買ってもらったところ、一俵一万二五〇〇円で買って呉れ、全部で一一〇万になったのでその金を持って来た』といった。しかし、私は『昭和五一年度の精算をする時までこの金をあんたの方で預って居て来年の精算の時に耳をそろえて持ってきてくれ』と言った。このような処理をした事については、私は、柳沢組合長始め、他の常務役員に対し一切話してありません。五一年一二月末ころ、営農課の安井補佐から、この一一〇万円は、ヰセキからもらって東部ライスセンターの利用者に配分したということを聞いた」との記載部分、伴岩男の52・2・19付検面調書(325)中の「私は、五一年の一二月に、川上課長から東部ライスセンター勘定に入れておいたこぼれた籾の米代を東部ライスセンターの利用者に配分をしたという報告を受けた。ところが、私は、こぼれた籾をすった後、ヰセキが経済連に売り、その代金をヰセキの名義で農協に預金してあったことは、五二年一月中ころ、川上課長から聞くまで全く知らず、米の販売は販売課の所管事項であるので、もみすりをして八八俵になったら販売課で経済連に売却してその代金を利用者に返すべきであったと思います。柴田常務がどのような考えからヰセキをして経済連に売らせ、その代金をヰセキ名義で預金させたのか、私には理解できません」との記載部分、昭和五〇年度東部ライスセンターの籾こぼれ((八八俵分))個人別配布明細書が添付してある安井賢二((被告組合の営農課課長補佐))の52・2・4付検面調書(130)中の「昭和五一年一二月六日から一七日までの間に一一三万一六七一円の中から一一二万八三五七円を生産者(利用者)に返し、残り三三一四円をライスセンターの利用料収益に繰り入れた」との記載部分、新屋久二の52・2・1付検面調書(156)中の「米の販売は、販売課の所管でありますので、本来であれば、その様な事故が発生したら、当然販売課長の私のところへ連絡が来て、私の方で経済連へ売り渡し、東部ライスセンターを利用した生産者の持ち分に応じてその売却代金を各生産者に配分することとなるわけですが、私に対しては何の連絡もありませんでした」との記載部分参照)である。

ところで、被告人柳沢は、捜査段階において検察官に対し前記雑収入(一)の<あ>乃至<お>の合計三九三万円の収益除外につき、総括して「今回取調を受けるまで知らなかった。私は、経済連などから貰った助成金などは、当然収益に計上すべきもので、固定資産の価額から差引いていわゆる圧縮をする事は違法であると思っていた。事務担当者は、例によって予定よりあまりかけ離れた利益を計上する事を避け、含みをもたせた決算をしたいという私達の方針に従ってやってくれたものと思いますが、事前に相談のなかった事は間違いありません」と概括的に述べるにとどまっていることは、同人の52・2・12付検面調書(311)に徴し明らかであるところ、天谷甚兵衛の52・2・4付検面調書(118)中の「私は、五〇年四月に開発管材課長になってから、西野が起票する仕訳票の決裁をしたから固定資産を取得した場合に、各連合会或いは中央会から助成金を貰うと収益に計上せず、固定資産を圧縮している事は分かっていた。固定資産の取得に対し、国や地方公共団体から補助金を貰った場合には、一定の条件の下に圧縮記帳が出来るが、それ以外のもの、例えば連合会などから補助金とか助成金とかいうものを貰っても、税法上は圧縮が認められない事は知っていた。しかし、これも決して私自身が金儲けをするわけではなく、被告組合が内部留保出来れば被告組合の為になる事ですから、西野にも誰に注意せず、その儘従来どおり税法上不正な圧縮記帳をさせておりました」との記載部分および同人の52・2・21付検面調書(119)中の「私は、広告塔や各支所の倉庫、農協会館の緞帳工事について、経済連や共済連、信連から貰った助成金を雑収入に計上せず、直接固定資産の圧縮に使ったことは間違いなく、このような処理をすることについて、特に常務役員や伴参事の了解は得なかった。というのは、被告組合の決算の方針として詳しいことは知りませんが、費用は多い目に、収益は少な目にして出来るだけ利益を内部留保するという事により将来の欠損に備えるというやり方をしていると思っていたからです。現実に私が本件のような処理をしても、参事や常務役員の方からは何も言われなかった。それは、内部留保を厚くする処理の仕方が、組合員の為になることだと役員や参事も考えられたからだと思う。私は、前任者もこのような処理をしてきたのだからという気持もありましたので、その点判って下さい」との記載部分により前記被告人柳沢の捜査供述の真実性が裏付けられており、以上によれば、本件雑収入三九三万円の収益除外につき天谷甚兵衛に逋脱の故意があったことは明らかであるけれども、それ以上被告人柳沢についてまで逋脱の認識の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男との逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いのである。

次に、被告人柳沢は、捜査段階において検察官に対し前記雑収入(二)の経済連からの六〇万円の収益除外につき、「右のお金を経済連から寄付してもらうことは、柴田理事と経済連との間で契約が出来ていたのに、これを五〇年度分の収益に計上していなかったそうですが、そのような契約が出来ていた事自体を私は知りませんでした。事実、そのような事があれば、当然五〇年分の収益に計上すべきものでありますが、これも予定より大巾な利益計上をさけ、含みをもたせるという私達の考えに従って柴田君も事務担当者にその収益計上を指示しなかったものと思う」と概括的に述べるのみであることは、同人の52・2・12付検面調書(311)に徴し明らかであり、柴田利一証言<17>の一部は右と符合するけれども、その余の部分には「これについては、他の柳沢などの役員に対して報告した」とのくだりもあり、同人は52・2・20、21付検面調書(128)において「これらの金を経済連から貰う事について特別に伺書まで作った憶えはありませんが、かといって他の役員に対し相談や連絡もせず、私一人の独断でやった憶えもありません」と述べ、被告人柳沢との共謀を暗示するかのごとく窺われるのである。ところで、前記公判証言において柴田利一は、「ライスセンターの件は、もともと私が指導課長をしていて、その担当であった関係上、自分が先んじてやった」旨述べているところ、なるほど前記川上幸好の52・2・3付検面調書(129)(第一項)によれば、柴田利一は、昭和四九年三月被告組合の常務理事になるまで本所の指導課長であったことが認められること、前記山田新平の52・2・3付検面調書(124)および川上幸好の52・2・3付検面調書(129)などによれば、柴田利一は終始単独で県経済連と折衝していたのであって、その結果、県経済連から本件助成金六〇万円を含む三七五万円を福井ヰセキ(株)を経由して交付を受けることになったものの、現実に昭和五〇年中には被告組合には入金されず、昭和五〇年一二月一日付で県信連にある右会社名義の預金口座に入金されたにとどまり、翌五一年五月になってようやく川上幸好営農課長が右柴田の指示の下に右会社から三七五万円の小切手の交付を受けたうえ購買雑収入に計上していること、以上の如き柴田の立場およびその接衝方法並びに入金の経緯などに徴すると、本件雑収入六〇万円の収益除外につき柴田利一に逋脱の故意があったことは窺えるけれども、被告人柳沢には逋脱の認識の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男との逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いのである。

最後に、被告人柳沢は、捜査段階において検察官に対し前記雑収入(三)のこぼれ籾代金一一〇万円の収益除外につき「ヰセキの預り証を机の中に入れたままにして、国税局の捜索後、ひそかに五〇年産米の利用者の農協貯金口座へ振込んでいるという柴田がとった一連の措置は、今回検挙されなければ、この金をだまって利用者に支払いしないですませてしまうつもりであったといわれても仕方がない。柴田はこれについて発見当時私に報告してあると供述しているが、私は聞いていない」と非難めいた供述をしていることは、同人の52・2・12付検面調書(311)に徴し明らかであるが、他方柴田利一自身において真実昭和五一年度産米の精算と同時に利用者に支払う予定でこぼれた籾代金一一〇万円を福井ヰセキ株式会社名義の定期預金にして同会社に保管させるという処理をしたのかどうかについては、なお疑問が残り、確定し難いが、その点は一応措くとして、この一一〇万円の性質について、東正男は、収税官吏大蔵事務官に対する昭和五一年一〇月四日付質問てん末書(123)の中において「このお金は会社のものではなく、農協に米を預けた農家の人達のものである」と述べており、伴岩男証言<21>および同人の52・2・19付検面調書(325)並びに新屋久二の52・2・1付検面調書(156)も同一趣旨であるところ、実際にも被告組合ではこの一一〇万円を福井ヰセキ株式会社から受け取り、昭和五一年一二月末ころ、東部ライスセンターの利用者に配分している事情をも総合勘案すると、本件一一〇万円をもって被告組合の収益に帰属するとみることは相当でないというべきである。

以上によれば、弁護人らの本件係争にかかる雑収入分五六三万円にかかる前記主張は全部理由があり、右全額が被告組合の逋脱所得を構成しないものというべきである。

弁護人金井は、本件係争分につき、要するに、先ず経済連・中央会・信連からの各種助成金三九三万円を雑収入として計上せず直接固定資産を圧縮するという経理処理が行われたのは、全く事務担当者の単純ミスによるもので、決して脱税の犯意に基づくものではない旨、次に経済連からの東部ライスセンター落成式費用の助成金六〇万円は、他に事情もあって、昭和五一年五月になって福井ヰセキ株式会社を介して支払われ、同月二〇日付で購買雑収入として正規に受入記帳されているのであって、この一連の事実経過に照らしても、これを昭和五〇年度の雑収入として処理しなかったのは所謂現金主義的な発想に基づいただけのもので、そこには何ら脱税の犯意の介在を窺う余地が存しない旨、最後に東部ライスセンターにおけるこぼれ籾の代金として福井ヰセキ株式会社から受入れた一一〇万円については、事柄の性質上そのこぼれ籾の所有者というべき当該乾燥機を利用した組合員に配分しなければならない金員であり、さればその後現実にも組合員に配分されたことが認められ、してみれば被告組合がこれをその収入と考えないで処理したのは、むしろ理の当然であった旨各主張するところ(同弁護人作成の弁論要旨第二の一〇)、前叙の認定・判断にかんがみると、理由付けは一部異る点があるけれども、結局いずれも理由があること明らかである。

6 価格変動準備金戻入(50-<7>、△五四三七万一〇七九円=前期の価格変動準備金繰入否認による当期の認容額)、同準備金繰入(50-<12>、七六六九万一四三円=否認額)(<12>マイナス<7>=二二三一万九〇六四円)

本件係争分に関する弁護人大槻の主張およびこれに対する当裁判所の判断は、既に7、昭和四九年分(訴因第二の一)の番号<12>価格変動準備金繰入(否認)五四三七万一〇七九円に関して説示したところと同一であるから、これをここに引用する。

7 購買品供給原価(50-<8>、九〇二七万一三二一円=否認額、△七二六〇万六二九〇円=認容額)

被告人柳沢および弁護人大槻は、右売上げの繰延べなどの事実を知らなかったから、脱税の犯意がない旨主張する。

関係各証拠によれば、右否認額九〇二七万一三二一円の内訳は(イ)農機具、自動車の売上げの繰延べ額七〇五六万六六八一円(ロ)見本庭園資材のたな卸の除外額八一〇万二五四〇円(ハ)本館付属庭園の購買品供給原価の過大計上額一一六〇万二一〇〇円((イ)については、山田実夫・金井敏明作成の昭和五二年二月一〇日付「売上の繰延べについて」と題する上申書(104)、(ロ)(ハ)につき山田実夫・橋本三千代作成の昭和五一年一〇月二八日付「簿外資産について」と題する上申書((但し昭和五〇年一二月末決算上簿外となっている庭園資材の品目・金額を調査したもの))(105)参照)である。

ところで、右(イ)の農機具、農舎、自動車の売上げ繰延べ分七〇五六万六六八一円にかかる当裁判所の判断は、既に2の昭和五〇年分(訴因第二の二)の番号<2>の購買品供給高八一四七万一九〇〇円△七六五四万五一〇〇円(農機具、農舎、自動車の売上げの繰延べ)について説示したところと同一であり、要するに被告人柳沢の本件係争分にかかる逋脱の故意は、証拠上優にこれを肯認できるのである。

次に、右(ロ)の見本庭園資材のたな卸の除外と(ハ)の本館付属庭園の購買品供給原価の過大計上について、被告人柳沢は、捜査段階において検察官に対し「これは、五〇年分の内部監査でも指摘されたため、五一年になって伴参事が私のところへやって来て、『監事がうるさく資産に計上せよと言うので資産に計上するが、そうなると含みが出て利益が増えるけれども了承して下さい』と言いましたので、認めた。山田課長が不正に棚卸や構築物に計上しなかったのも、所謂含み(ゆとり)のある決意をしたいという私達の方針に従ってやってくれたものと思います」と述べていることは、同人の52・2・13付検面調書(312)に徴し明らかであるところ、伴岩男証言<21>中の「昭和五一年四月の中旬か、下旬ころに至って初めて山田農機課長が付属庭園、見本庭園を簿外にして公表の実施棚卸高に上げなかったことを知った。私は、山田に対し『君は何でも勝手にやる。課長サイドで出来るものと、出来ないものとがある。そのけじめをつけんか』と言って叱った。役員を含めて農協全体がいわゆる『含み』のある決算をして所得を不正に少なくしてきたわけですが、山田としても庭園資材を簿外にすることについては、そういう『含み』のある決算をするという方針に沿うものだと考えてやったものと思う」との供述記載部分、同人の52・2・22付(二)検面調書(110)中の「昭和五一年四月の中旬か下旬ころ、山田が見本庭園、付属庭園資材約一九〇〇万円について昭和五〇年一二月末の棚卸から除いて簿外にしていたということが記載されている起案文書を持って来たので、山田を叱った。私が山田を叱ったのは、簿外にすること自体を責めたのではなく、事前に私ら上司や役員に何らの連絡もなく勝手にしたことについて叱った。山田としても、庭園資材を簿外にすることについては、そういう『含み』のある決算をするという方針に沿うものだと考えてやったものと思いました。このような簿外資産が出来るということは、庭園資材が高く売れて、期末の実際の棚卸高が購買品受払管理表の残高よりも多くなったということで、それは山田の方の実績なり成績を上げたということになる訳である。そういうことで、山田としても、被告組合のためを思ってやったもので、『含み』を持たすということに沿うことになると考えていたのではないかと思われた。やはり、こういうことは大事なことで上司なりの了解を得てやらなければいけないと思い、山田を叱ったわけです。山田が私のところに決裁を受けに来た直前か直後、やはり参事席の傍にいる谷中企画管理課長の決裁も受けていたが、谷中も私と同様な意味で山田を叱っていた。これについて、役員の決裁を受けているはずで、山田が決裁を受けに来た一週間位したあと、山田からその旨報告を聞いた記憶がある。私が常務役員の決裁を受けに行ったのではなく、山田に決裁を受けに行かせた。簿外にした庭園資材について、これを開発管財課に引き継ぐという引継書を決裁したことがある」との記載部分、山田実夫証言<14>中の「四八年末や、四九年末の庭園資材の棚卸金額は、いずれも正当に計上していたのですが、昭和五〇年末だけは、庭石などを簿外にしたが、これについては上司と相談したことはなく、五一年四月ころ、伴参事にずい分叱られた」との供述記載部分、同人の52・2・12付検面調書(106)中の「庭石などを簿外にしたことについて上司と相談したことはないのかとお尋ねですが、相談はしておりません。昭和五一年一月四日ころ昭和五〇年末の実地棚卸しをした際、この付属庭園、見本庭園に使用している庭石などの資材について簿外にした。すなわち、見本庭園分については実地棚卸しから除外し、付属庭園については除外するとともに固定資産の管理をしている管財課に引き継がずに簿外にした。期末の棚卸しを除外するなどすれば、それだけ収益が減ることはよく判っていた。簿外にした理由については、庭木、燈籠などは枯れたり、こわされたりし、手入れがかかるので簿外にしておけば管理も楽になると考えたこと、又管理表残高と実地棚卸高が相違し、実地棚卸高の方がかなり大きくなる事が判ったので、管理表の残高に合わせようという配慮から簿外にした。何故管理表の残高と実地棚卸しとの差が出るかですが、値入れ価格よりも実際は高く売っているので、その差が累積して管理表の残高が実地の棚卸高よりも少なくなってしまうのです。決算は実地棚卸高によって組む訳で、管理表と大きな差が出ると困る訳である」との記載部分、同人の52・2・24付検面調書(108)中の「ところで、四八年末や四九年末の庭園資材の棚卸金額はいずれも正当に計上していたのですが、五〇年末の公表決算に計上した棚卸金額は実際の金額よりも低く計上した。というのは、五〇年の会館建設に伴って作った見本庭園や本館付属庭園に使用した庭園資材を在庫から除外したからです」との記載部分などによれば、本件(ロ)の見本庭園資材のたな卸しの除外分八一〇万二五四〇円と(ハ)の本館付属庭園の購買品供給原価の過大計上分一一六〇万二一〇〇円につき、被告組合の施設課長山田実夫に逋脱の故意があったことは明らかであるけれども、右処理はあくまで同人の独断専行であった以上、被告人柳沢には逋脱の認識の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男との逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いのである。

以上によれば、本件購買品供給原価の否認額は、七〇五六万六六八一円、認容額は△七二六〇万六二九〇円が正当であると認められ、弁護人らの本件係争分にかかる前記主張は右の限度で理由があるというべきである。

なお、弁護人金井は、本件係争分につき、要するに先ず農機具、農舎、自動車などの売上げの繰延べは、被告組合の当該事務担当者が、いずれも一定の理由のもとに翌期には必ず計上するので問題はないと考えて行った処理であって、脱税の犯意のもとに行われた行為ではなく、次に庭園資材の簿外の如きは、被告人柳沢の全く関知しない行為である旨主張するところ(同弁護人作成の弁論要旨第二の二)、前叙認定判断にかんがみると、該主張の前段部分は理由がないが、その後段部分は理由があることが明らかである。

8 育苗会計費用(50-<9>、一九一六万七九五五円=否認額、△九五万八一四六円=認容額)

被告人柳沢および弁護人大槻は、種籾などのたな卸し計上もれなどによる経費の不正計上の事実を知らなかったから、逋脱の犯意がない旨主張するところ、被告人柳沢の公判供述中、右主張に沿う部分は後顕各証拠と対比して措信し難く、同被告人の52・2・13付検面調書(312)中の「昭和五〇年分の仮決算の常務役員会の席上、岡田経理課長から育苗会計の五〇年分の事業損益は、約一〇〇〇万円の利益がある旨の説明を受けたので、私は『組合員に利益を割戻したらどうか』と言った記憶があり、本決算の前ころ、確か柴田常務から『利益を出すと困るので、来年分の種籾と箱代と土を砕く機械を五〇年分の経費で落しますから了承して下さい』との要請を受け、これを了承したが、不正に落す金額までは聞いた記憶がない。なお、実際は農薬や床土の在庫とか、五一年分の苗作りの為の労務費や、その他の機械も五〇年分の経費に計上しているそうですが、そのことについては事前に聞いた記憶がない」との記載部分によれば、被告人柳沢は、検察官に対し逋脱の犯意を自白していたことが明らかであり、右自白の信用性は関係各証拠、就中柴田利一の52・2・20、21付検面調書(128)中の「五〇年分については、このような経理方法で相当大幅な含みを持たせて次年度以降に備え、結局公表決算上は一〇〇万円余の欠損という事にしようという事になり、私の記憶では本決算の常務役員会の前に川上営農課長から役員全部にその旨の報告があり、役員全部がこれを了承した。この事を本決算の常務役員会の席上で改めて岡田経理課長あたりから報告があったかどうかについてははっきりした記憶がない」との記載部分、坪川均の52・2・22付検面調書(168)中の「五〇年の一二月か五一年の一月ころで、いずれにせよ、本決算の結果が出る前の事でしたが、役員室で柴田常務から『実は育苗会計の割戻しの事だが、営農指導員の方がやめておけという意見なので、代金の徴収も一応済んでいる事だし割戻しはせん事にした。その代り、来年度使う種もみとか、床土とか、箱の代金を費用に計上して操作した』との報告を受け、私は柴田常務に賛成した。この柴田常務の話は、前川常務も一緒にいて聞いていたと思います」との記載部分、前川一雄証言<20>および同人の52・2・21付検面調書(176)中の前記一の5で既に摘示した記載部分に加えて「五一年一月二六日の理事会に出席して決算案を見た。その時、育苗会計の決算が一三〇万円の赤字に組んであったので、これは含みのある決算をしたのだなとピンと来ましたが、そうするのが組合員の意向なのだから、それで良いと思って敢えて反対はしなかった」との記載部分、伴岩男証言<21>および同人の52・2・18付検面調書(166)中の前記一の5で既に摘示した記載部分に加えて「昭和五一年一月二〇日常務役員会で岡田課長は、育苗会計について『仮決算の時には、一〇〇〇万円程の黒字になると申しましたが、種もみ代など次期の費用に繰越すべきものを、当期の費用として決算を組んだ結果、一三〇万円程の赤字になりました』と報告した。柳沢組合長は『割戻しはしなかったのか』と尋ねましたので、伴参事は『実は、営農指導員会にはかったところ、やめておけという意見が強かったので、割戻しはしておりません』と答えたところ、柳沢組合長は『そうか』と言って了解してくれた。その後柳沢組合長は、私達に念を押すように『これで含みはあるんだろうな』と尋ねた。或いは『含み』と言う代りに『余裕』というような言葉を使ったかも知れません。それで、この質問の意味は、不正な含み益の事でありますから、育苗会計の含みの外にも政府米の保管料の未計上とか、購買品の売上繰延べなど、いろいろありますから、私共は『含みがある』と答えた」との記載部分、川上幸好証言<19>および同人の52・2・7付(160)、同月九日付(161)、同月一六日付(162)各検面調書中の前記一の5で既に摘示した記載部分に加えて右52・2・16付検面調書中の「固定資産の取得を費用の発生として不正経理していることを常務役員に報告した事があるかどうかについては、五〇年分については、五〇年一〇月末の仮決算締切り後に、柴田利一常務に対し、私から『育苗会計では種もみ代などの繰越しにしなければならない分を五〇年度の費用にしているほか、固定資産を買った場合にも費用にしているのがある。会計が楽な時に、こうしておいた方が良いと思ってやった』と報告した。すると、常務は、『ほんで、ええやろう』という調子で了解してくれた」との記載部分、岡田政憲(被告組合の経理課長)証言<18>および同人の52・2・8付検面調書(163)中の「昭昭五一年一月一五日ころ川上営農課長が『仮決算では一〇〇〇万円程黒字だったが、種もみなどの繰越しを費用に落したから、一三〇万円程赤字になったので、これで一つ頼む』と言って、昭和五四年押第三一号の三一(昭和五〇年度決算資料綴)中、符箋番号3のメモを見せたので、一四八〇万六〇〇〇円ほど昭和五一年度の費用にしなければならないのに、それをわざと五〇年度の費用にしてしまったのだとわかりました。それで私はこんな不正な経理をすれば、理事会や総代会に嘘の決算を提出することになるし、ひいては税金の申告でもそれだけ所得を少なく申告する事になるので、まずいと思い、反対したのですが、その場で伴参事が『やむを得んだろう』と言ったので、上司のいう事ですから、それ以上反対も出来ず、しぶしぶ川上課長の頼みを引受けてしまいました。五一年一月二〇日ころ開催された常務役員会において、私は、育苗会計について『仮決算では、約一〇〇〇万円の黒字でしたが、本決算では約一三〇万円の赤字になっているが、これは次年度に使う種もみなどの一部を費用に落しているので、こういう結果になっている』と説明した。柳沢組合長が『割戻しはしなかったのか』と尋ねると、伴参事が『営農課の内部事情で割戻しはしませんでした。育苗会計は、危険性が高いので、一つこうさせて欲しい』というと、柳沢組合長は、『そういう事なら、やむをえないだろう』と言って、この一三〇万二九一円欠損の承認をしてくれた。この様にして、決算についての説明が一通り済むと、最後に柳沢組合長が『これで多少、ゆとりがあるんだろうな』と私等に念を押した。福井市農協では、合併以来決算の上では実際よりも利益を少な目に計上して内部留保するのが、いわば慣例となっておりましたから、組合長のいうゆとりというのは、その事をいっているのだという事は直ぐ分かりましたので育苗会計の場合に限らず、ほかにもいろいろと内部留保している分もありましたから、伴参事か、私のどちらかが、『多少ゆとりがあります』と答えました。すると、組合長は『そうか』といってうなづき、他の役員三名は何も異議を唱えませんでした。こうして常務役員会では、我々の事務職員が行った決算がそのまま承認された」との記載部分などにより十分これを裏付けられており、従って被告人柳沢の本件係争分にかかる逋脱の故意は、証拠上優にこれを肯認でき、弁護人らの前記主張は採用できない。

なお、弁護人金井は、本件係争分につき要するに、本件経理処理は利益を隠して逋脱しようとの犯意に出たものではない旨主張するけれども(同弁護人作成の弁論要旨第二の五)、前叙の認定・説示にかんがみると、該主張の理由なきこと明らかである。

9 接待交際費(50-<10>、△八五万九五七一円=認容額)交際費限度超過額(50-<13>、八五万九五七一円=否認額)

被告人柳沢および弁護人大槻は、右<10>接待交際費認容額につき、職員の慰労厚生費として支出したもので、接待交際費には該当しない旨、右<13>交際費限度超過の否認額につき<10>が接待交際費には該当しないので、交際費限度超過額となるものではない旨主張するので検討する。

先ず、右接待交際費の認容額八五万九五七一円の内訳は検察官の主張および関係各証拠によれば、<あ>番号<1>の共済雑収入、すなわち県共済連からの共済推進奨励金三四万円と、<い>番号<3>の購買雑収入一八八九万八八一〇円のうち、県経済連からの販売促進費(五〇万円)および農薬業者からのリベート(九〇万九九〇〇円)の合計一四〇万九九〇〇円の一部五一万九五七一円であるところ、更に右五一万九五七一円の細目は、(イ)松浦惣左エ門、児玉忠、斉藤敬二に対する県経済連からの販売促進費合計五万円、(ロ)山田実夫が昭和五〇年一二月二日ころ、県経済連から販売促進費として受取った四五万円中、同年同月一九日農機具担当者会の会費として泉水閣へ支払った一四万九〇〇〇円、(ハ)右四五万円から同月二六日山田実夫が農機具担当一般職員の食事代として八代ホルモン店へ支払った五万六六八〇円、(ニ)昭和五〇年一〇月ころ川西地区の購買担当者ブロック会議が開催され、その終了後鷹巣支所で設けられた懇親会で石森亭から取り寄せた料理代四万八〇五〇円(未払費用であり、五一年一月五日支払われているもの。この支払資金は、前記四五万円から山田実夫が五〇年一二月一五日被告組合資材課長補佐山脇儀平に現金二四万五三三〇円を渡したところ、同資材課長坂井敏夫において右現金を福井銀行福町支店に右山脇儀平名義で普通預金し、その預金口座から五一年一月五日払戻しされたものである。)、(ホ)昭和五〇年一二月一九日芦原温泉の長谷川旅館で行った購買業務担当者と呉服業者を含めた忘年会兼懇親会の費用二一万五八四一円(未払費用であり、五一年二月九日支払われているもの。この支払資金は、前記山脇儀平名義の普通預金((農薬業者からのリベートも振込まれた))から五一年二月九日払戻されたものである。)以上のとおりであると認められる。

ところで、一の6の昭和四九年分(訴因第二の一)の番号<11>接待交際費△五九万三〇〇〇円(認容額)と番号<13>交際費限度超過額五九万三〇〇〇円(否認額)について説示したところと同一の根拠により、前記<あ>の県共済連からの共済推進奨励金三四万円については検察官の主張する接待交際費△三四万円の認容および交際費限度超過額三四万円の否認という修正処理は相当であるけれども、前記<い>の五一万九五七一円については、既に二の3で説示したとおり、右簿外接待交際費の元手をなす県経済連からの販売促進費および農薬業者からのリベート自体、被告組合の簿外収入として被告人柳沢の逋脱責任を問い難いものである以上、簿外接待交際費の成否を論ずる前提を欠くことに帰するのである。

以上により、本件係争科目については、<10>接待交際費△三四万円(認容額)<13>交際費限度超過額三四万円(否認額)であると認めるのが相当である。

10 減価償却費(50-<11>、三六九万二一四三円)

被告人柳沢および弁護人大槻は、右過大計上の事実は認められるが、同被告人はその事実を知らなかったから逋脱の犯意がない旨主張する。

関係各証拠、就中天谷甚兵衛・西野笑美子作成の「減価償却費の計算及び助成金の受入れ処理について」と題する昭和五二年二月四日付上申書(115)および長谷川敬政作成の同年一二月一一日付査察事件調査事績報告書(177)などによれば、右過大計上は、(一)車両運搬具過大計上額三三八万八一七円(違法な三年の耐用年数による減価償却費と正規の耐用年数による減価償却費との差額)と(二)機械装置過大計上額三一万一三二六円(東部ライスセンターの機械工事の水増契約三一五万円に対応する減価償却費)とに分類されるところ、被告人柳沢は捜査段階では検察官に対し本件係争科目につき包括的に「自動車の減価償却計算にあたり、担当者が法律で定められた耐用年数をことさら適用せず、それより短い耐用年数を適用していたことは、今回国税局のお調べを受けるまで知りませんでした。担当者が私達のいわゆる含み(ゆとり)のある決算をするという方針に従ってやってくれたものと思います」と述べるにとどまり、逋脱の具体的認識の存在を否定していることは、同人の52・2・13付検面調書(312)に徴し明らかであり、坪川均の52・2・22付(二)検面調書(175)中の「今回脱税ということで、色々調べを受けるようになってから、車両運搬具つまり自動車の減価償却費について耐用年数を税法上定められているより短い期間で計算し、減価償却費を高く計算していたことが判りましたが、これは事務当局の方で組合長を初め、常務役員の含みのある決算を組むという方針に沿うことだと思います」との記載部分も、被告人柳沢の前記捜査供述と符合しているところである。

そこで、先ず、前記(一)の車両運搬具の過大計上に限って更に詳しく検討すると、天谷甚兵衛(被告組合の開発管財課長)の52・2・4付検面調書(118)中の「私が固定資産の管理事務を担当するようになったのは、五〇年四月からのことであり、それまで税法上許される耐用年数の事は良く知らなかった。そこで、五〇年五、六月ころ『やさしい減価償却の計算と手続』という本を買い読んで見たところ、従来適用している車両運搬具の三年という耐用年数は誤りであり、被告組合が所有している車両運搬具の耐用年数は四年乃至六年であると分かった。私は、これをみて、従来適用している年数が誤りであり、従って、償却超過になるという事は分かったのですが、被告組合では自動車は三年以内に買い替えているし、又内部留保が出来れば被告組合のためになるので、従来どおりの償却をしておいた方が良いと思い、西野にも他の者にも耐用年数を正しいものに変更せよと指示しませんでした。従って、昭和五一年春に行った五〇年分の税務申告の時にも、自動車については、従来どおり過大に償却した金額が、その儘損金の一部に組み込まれており、従って、それだけ申告する所得金額が過少になる事は分かっておりましたが、私はなんら手を打たなかったのである」との記載部分および同人の52・2・21付検面調書(119)中の「私が開発管財課長として固定資産の管理事務を扱うようになった昭和五〇年度の決算に際し、車両運搬具の減価償却について不正な償却方法をとることについては、特に常務役員や参事の了解を得ませんでした。というのは、被告組合の決算の方法として詳しいことまでは知りませんが、費用は多い目に、収益は少な目にしてできるだけ利益を内部留保するということになり、将来の欠損に備えるというやり方をしていると思ったからです。現実に私が本件のような処理をしても、参事や常務役員の方からは何も言われませんでした。それは、内部留保を厚くする処理の仕方が組合員の為になる事だと役員や参事も考えたからだと思います。私としては、前任者もそのように処理してきたのだからという気持もありましたので、その点判って下さい」との記載部分などを総合すれば、三三八万八一七円にのぼる昭和五〇年分の減価償却費の過大計上は、その直接の事務担当者であった被告組合の開発管財課長天谷甚兵衛が前任者の方法をそのまま踏襲し、違法な処理であることを知りながら被告人柳沢を含む常務役員や伴参事の承認を得ないでなしたことであり、従って右天谷には逋脱の故意があることは明らかであるとしても、被告人柳沢には概括的にせよ逋脱の故意の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男らとの逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いところである。

次に、前記(二)の機械装置の過大計上につき審究するに、既に二の5の昭和五〇年分(訴因第二の二)の番号<6>の雑収入のうちの(二)の県経済連からの東部ライスセンター落成式費用の助成金六〇万円に関し判断・説示したところから明らかな如く、そもそも三一五万円にのぼる東部ライスセンターの機械工事水増契約分は、同センターの落成式費用の助成金六〇万円と共に、昭和五〇年九月ころ柴田利一常務理事と県経済連施設課課長補佐山田新平との間で福井ヰセキ株式会社を通じて県経済連から被告組合に合計三七五万円交付されることが約定されたものの、これについて被告人柳沢を始め、他の常務役員は全く右柴田から報告を受けておらず、同人の独断専行によるものと認めるのが相当であり、従って、右水増契約分三一五万円に対応する減価償却費三一万一三二六円の過大計上についても被告人柳沢には逋脱の故意の存在はもとより、検察官主張にかかる坪川均、柴田利一、伴岩男らとの逋脱共謀の事実も証拠上肯認し難いところである。

以上によれば、弁護人らの本件係争分にかかる前記主張は全部理由があるというべきである。

弁護人金井は、本件係争分中、(一)の車両運搬具の減価償却費の過大計上は、要するに、被告組合発足当時からの事務担当者の完全な事務処理ミスによるものである旨、(二)東部ライスセンターの機械装置の過大計上に伴う減価償却費は、事務担当者の直接の認識がなへんにあったのかは必ずしも明確ではないものの、被告人柳沢が右事実関係を知らなかったので、逋脱の犯意を欠く旨主張するところ(同弁護人作成の弁論要旨第二の一一)、前叙の認定・判断にかんがみると、その理由付けは一部異る点があるけれども、結局全部その理由があること明らかである。

11 保管料(50-<5>、七九六万二二一二円)

本犯則科目については、被告人柳沢は当公判廷において逋脱の犯意を含め、その事実を認めており、弁護人大槻もこれを争わない旨陳述しているのであるが、他方弁護人金井は、要するに本件の経理処理は前述した逋脱の犯意と無関係の所謂「含み」をもたせるための被告組合の決算処理の一環とみるべきもので、法人税の逋脱犯として問擬すべきものか否かについて疑義がある旨主張するので(同弁護人作成の弁論要旨第二の九)検討すると、被告人柳沢の逋脱の犯意の存在は一の8でその記載内容を明らかにした同被告人の52・2・12付検面調書(311)に徴し明白であり、いわゆる利益調節のため昭和五〇年一一月(四一一万七五一三円)と一二月分(三八四万四六九九円)の政府米の未収保管料合計七九六万二二一二円を当年度の収益として計上しなかった経理操作(関係証拠は、坪川均の52・2・21付検面調書(155)、伴岩男証言<21>、同人の52・2・19付検面調書(325)、岡田政憲証言<18>、同人の52・2・2付検面調書(158)、柴田利一証言<17>、同人の52・2・12付検面調書(127)、小寺傅証言<17>、同人の52・2・26付検面調書(152)および谷中重一の52・2・16付検面調書(159))が期間損益を適正に表示するための費用・収益対応の原則にもとり、必然的に税を免れる結果を随伴ないし招来するところのいわゆる「偽りその他不正の行為」に該当することは既に一の8で詳述したところである。

三 圧縮記帳について

最後に被告組合がなした経理操作中最も重大な圧縮記帳の当否について論及する。

被告組合では、市公社から支払われた明里用地売却代金の一部である一億四〇〇〇万円を昭和四九年九月一二日付で(借方)普通預金、一億四〇〇〇万円、(貸方)一般補助金、一億四〇〇〇万円なる仕訳により(昭和五四年押第三一号の5の3)一般補助金として収益に計上したが、同年一二月二五日付で(借方)一般補助金、一億四〇〇〇万円、(貸方)建設仮勘定、一億四〇〇〇万円なる仕訳により(昭和五四年押第三一号の5の4)、収益から右補助金一億四〇〇〇万円を消し去るとともに、建設仮勘定を同額減算しているのである。

ところで、法人税法二二条二項、四二条ないし五一条、同法施行令三八条三項、五四条三項、七九条ないし九五条、租税特別措置法六四条七項など関係法規によれば、圧縮記帳とは、法人に特定の受贈益や譲渡益が生じた場合において、税法に定める一定の要件のもとに固定資産や有価証券の帳簿価額を実際の取得価額よりも低く(減額)して、その差額(圧縮損)を損金の額に算入し、その収益と圧縮損とを相殺することによって、その期において、あたかも所得が生じなかったのと同様の効果をもたらす課税上の経理方法であることが明らかである。

(あ) 圧縮記帳の効果

資産の取得価額について圧縮記帳をした場合には、実際の取得価額から圧縮記帳による損金算入額(圧縮損)を控除(減額)した額が税法上の取得価額とされる。従って、その取得後、その資産について減価償却を行う場合、又はその資産を譲渡した場合の譲渡原価を計算するときには、その控除(減額)した後の帳簿価額を基礎として原価償却額、又は譲渡益を計算するので、価額償却を通じ、又は譲渡の際に、圧縮記帳により課税されなかった収益について課税することになるので、圧縮記帳は、実質上課税を繰延べる効課をもたらすことになる。

(い) 圧縮記帳の方法

圧縮記帳は、例えば国庫補助金を受入れて取得した資産については、その実際の取得価額を国庫補助金相当額だけ損金経理により減額する方法が原則である。この場合には、国庫補助金による利益と圧縮損をその事業年度にかかる損益計算書の特別損益項目として記載し、貸借対照表においては、その圧縮損の金額に相当する金額をその取得価額から控除する形式、又はその圧縮損相当額をその取得価額から控除した残高のみを記載する。なお、特定の場合には、帳簿価額を減額することに代えて、引当金経理(非減価償却資産については、利益処分によって積立金経理)が認められている。

(う) 圧縮記帳ができる場合

(イ) 国庫補助金等で取得した固定資産等

(ロ) 工事負担金等で取得した固定資産等

(ハ) 非出資組合が賦課金で取得した固定資産等

(ニ) 保険金等で取得した固定資産等

(ホ) 交換により取得した資産

(ヘ) 特定の現物出資により取得した有価証券

(ト) 収用、換地処分等により取得した資産

(チ) 特定の資産の買換え等により取得した資産

(リ) 現物出資した場合の課税の特例

(ヌ) 鉱工業技術研究組合等が試験研究用資産を取得した場合の特例

(ル) 転廃業助成金等にかかる課税の特例

なお、本件では、国庫補助金等による圧縮記帳が問題となっているので、この点に限って検討すると、講学上国庫補助金等とは、特定の産業の助成等の目的をもって、国または地方公共団体から交付される補助金(これに準ずる特定の補助金も含まれる。)をいう。国庫補助金等には、その交付団体の経費補助のほか、固定資産の取得資金の補助があるが、会計処理上および税法上において問題となるのは後者の補助金である。すなわち、資本的支出にあてられた国庫補助金等すなわち建設助成金は、企業会計上は資本剰余金の範疇に含められ、企業の自由処分を認めず、企業内に留保されるべきものであるが、法人税法においては、課税の対象となる益金を構成するのが原則である。しかし、交付の目的に適合した固定資産を取得した場合には、圧縮記帳を条件としてその国庫補助金による課税を繰延べることにより補助金交付の目的ないし効果の減殺を排除することとしている。(1)右圧縮記帳が認められる要件は<1>交付を受けた年度において交付目的に適合する固定資産を取得、又は改良した場合であること、<2>後述のように経理をすること、<3>その事業年度終了の時までに当該補助金等の返還をしないことが確定したものであること、<4>確定申告書に圧縮記帳に関する計算明細を記載すること。(2)経理の方法は、<1>損金経理の方法、<2>損金経理により特定引当金勘定に繰入れる方法のほか、<3>減価償却資産以外の固定資産に限り確定した決算において利益処分により積立金として積立てる方法が認められている。損金経理の結果、帳簿価額が零となるときは一円以上の備忘価額で記帳しなければならない。交付を受けた年度中に返還の要否が確定しないときは、交付金は仮勘定として処理し、確定した年度において圧縮記帳を行う。

以上考察したところから被告組合がなした前記圧縮処理による経理操作について検討する。先ず、第一に、一億四〇〇〇万円は既述のごとく補助金(法人税法施行令七二条参照)ではなく、土地売却代金収入そのものであるから、これをもって固定資産取得がなされたとしても、圧縮記帳が認められる場合に該当しないことが明らかである。第二に、仮に右一億四〇〇〇万円が補助金であるとしても、農協会館が完成する前に建設仮勘定を圧縮することは認められないのである。すなわち、建設仮勘定は、固定資産勘定ではあるが、あくまでも仮勘定にすぎないから、建物完成後、右仮勘定を建物勘定に振替え、しかる後に初めて右建物勘定の圧縮をなしうるものである。また前叙のとおり法人税法上補助金について圧縮記帳が認められるためには、補助金の交付を受けた年度において交付目的に適合する固定資産を取得、又は改良した場合であることを要するところ、当時農協会館は建築中(竣工は昭和五〇年三月末)の段階で、未だ取得されておらなかったから、建設仮勘定それ自体を圧縮するというような最終の圧縮処理が容認される余地がなかったものである。第三に、仮に右一億四〇〇〇万円を補助金とし、かつ建設仮勘定を直接圧縮しないで、なお圧縮処理をなそうとする場合であったとすれば、圧縮処理の方法は、次のようになされねばならなかったのである。すなわち、建物が未だ完成していないが一億四〇〇〇万円が補助金である(仮定)から、右収益に対して課税されないようにするためには、正しい仕訳として期末において「(借方)補助金圧縮特別勘定繰入損、一億四〇〇〇万円、(貸方)補助金圧縮特別勘定、一億四〇〇〇万円」という対応勘定を設け、もって、一億四〇〇〇万円の補助金交付による収益に対し一億四〇〇〇万円の損金を対応させて実質的相殺をなすことで課税を免れるようにしなければならなかったのである。そして、翌期の期首において、「(借方)補助金圧縮特別勘定、一億四〇〇〇万円(貸方)補助金圧縮特別勘定繰戻益、一億四〇〇〇万円」という仕訳をしたうえ、建物完成後に、建設仮勘定を建物勘定に振替え、次いで「(借方)補助金圧縮特別勘定繰戻損、一億四〇〇〇万円、(貸方)建物、一億四〇〇〇万円」というように圧縮の仕訳をすべきであったわけである。要するに、補助金それ自体は、あくまでも収益として掲げつつ、損金(費用)勘定の方において、圧縮損の特別勘定を立てねばならなかったのである。しかるに、被告組合では、いきなり前記のとおりの仕訳をし、補助金一億四〇〇〇万円を建設仮勘定に振り替える誤りを犯したものである。従って、被告組合の管理課係長であって、圧縮処理関係の直接の担当者であった中山龍夫証言<31>中、「一般補助金という収益科目ですから、その会館を建てている過程であり未だ完成しておらない以上、次年度へ補助金をもってゆくために、こういう経理処理をした。そうしないと、昭和四九年度で収入として計上されてしまうので片方は完成しておらない、片方のいただいたものは収入にあがってしまうので、ただ次年度へ一般補助金を持ってゆくための経理処理です。昭和五〇年になれば、又、一般補助として処理することになるが、実際のところ切り替える伝票処理はしておらない」との部分は、上述したところにかんがみ、到底措置できないのである。

(法令の適用)

一 被告人天井定美について

右被告人の判示第一の所為は、各偽造文書ごとに刑法六〇条、一五五条一項前後に、判示第三の一、二の各所為はいずれも行為時においては刑法六五条一項、六二条一項、昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の法人税法一五九条一項(七四条一項二号)、裁判時においては刑法六五条一項、六二条一項、右改正後の法人税法一五九条一項(七四条一項二号)に各該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるからいずれも刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑にこととし、判示第三の一、二は、一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから同法五四条一項前後、一〇条により一罪として犯情の重い判示第三の一の罪の刑で処断することとし、(最高裁昭和五五年(あ)第五一五号同五七年二月一七日第一小法廷決定・刑集三六巻二号二〇六頁参照)、所定刑中懲役刑を選択し、なお右は従犯であるから同法六三条、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の昭和五二年押第六六号の5(覚書)にかかる有印公文書偽造罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人天井定美を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用のうち証人小林正雄(昭和五五年三月六日実施分)および同倉田靖司に支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりいずれもこれを同被告人に負担させることする。

二 被告法人福井市農業協同組合について

被告人柳沢義孝の判示第二の一、二の各所為は、被告法人福井市農業協同組合の業務に関してなされたものであるから、右被告法人福井市農業協同組合については、判示第二の一、二の各罪につき、前記昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一六四条一項により右改正前の法人税法一五九条一項(七四条一項二号)の罰金刑にそれぞれ処せられるべきところ、いずれも情状により同条二項を適用し、以上は刑法四五条前段の併合罪なので同法四八条二項により各所定の罰金額を合算した金額の範囲内で被告法人福井市農業協同組合を罰金二〇〇〇万円に処する。

三 被告人柳沢義孝について

右被告人の判示第一の所為は各偽造文書ごとに刑法六〇条、一五五条一項前後に、判示第二の一、二の各所為はいずれも行為時においては刑法六〇条、昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の法人税法一五九条一項(七四条一項二号)、裁判時においては刑法六〇条、右改正後の法人税法一五九条一項(七四条一項二号)に各該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるからいずれも刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第四の一、二の各行為はいずれも刑法六五条一項、六一条一項、一六九条に各該当するところ、判示第二の一、二の各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の昭和五二年押第六六号の5(覚書)にかかる有印公文書偽造罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用のうち証人小林正雄(昭和五六年三月一七日実施分)に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを同被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、被告市農協および被告人柳沢にかかる各法人税法違反、被告人天井にかかる法人税法違反幇助、被告人柳沢および同天井にかかる各有印公文書偽造、被告人柳沢にかかる偽証教唆という事案であるところ、その情状について考えるのに、各罪質が反社会的であること、その動機・目的が主として被告組合本位、かつ過大な利益を貧婪に追及したこと、ないしそれを軽々に容認・助長したことにあったものであること、逋脱の手段たる不正行為は、部内における数多の会計操作にとどまらず、判示のごとく、明里用地売却による処分益の一部を収益から除外するため、売買の相手方である市公社に対し契約形態を土地売買契約書と覚書の二つに分けるいわゆる二本立て方式とし、土地売買代金額のうち一億四〇〇〇万円は諸経費に当り、農協会館建設資金に充当されるという実態に即しない虚偽の内容を覚書に記載することを強く要請して仮装の通謀方を依頼し、市公社をして逋脱操作に協力させたばかりか、その後右逋脱操作について疑惑を抱かれ、追及の手が及ぶことを未然に防止するため、経理上収益除外の金額を四〇〇〇万円減少変更するや、覚書の残り一億円はもとより、被告人天井の尽力により政治的に加算された追加一億円に対する所期の脱税目的を遺漏なく貫徹するため、更に被告人天井に対し証憑書類である当初の土地売買契約書、覚書の作り変えによる各公文書偽造および支払調書不提出まで依頼して、これを実行させたものであって、その間の内部会計処理として税法上到底容認され得ない固定資産処分益の一部を一般補助金と偽り、しかもいきなり建設仮勘定そのものを圧縮し、結局収益そのものを消し去るとか、含みのある決算をするためと称し、架空経費を計上するとか、育苗会計において資本的支出を損益的支出(経費)と偽るなどの詐欺的操作を弄しているうえ、二期平均の申告率は三六・八パーセントという低率であり、同逋脱率は七三・七パーセントという高率であることをも併せ考えると、その態様は計画的でしかも悪質、かつ巧妙であること、本件逋脱税額は極めて多額であり、二期合計で七五〇四万三六〇〇円にものぼっていることが特筆すべく、殊に被告人柳沢は、市農協組合長として絶大な最終的決裁権限を掌握していたところ、陰に陽にこれを行使し、部下事務職員をして悪質な脱税操作を敢行させたものである。すなわち市農協では事実上、重要かつ多額の利益調整事項に関しては組合長である同人が事実上も関与し、決裁を下していたのであって、同人は、坂本秀之および坪川均らが引いた二本立ての契約方式による脱税路線を忠実に継承したうえ、逋脱を企図し、部下事務職員に対し明里用地売買に関する固定資産処分益を収益から除外するため、先ず覚書記載分の一億四〇〇〇万円については、後に建設仮勘定の圧縮処理で課税対象外とするとの含みで一般補助金として受入れさせ、更に公共団体に対するあくなき一種のたかり根性から被告人天井らに対し自ら強引に働き掛けて政治的に加算させた追加一億円についても市公社名義の別段預金たる架空負債として記帳計上させるなど経理上の具体的処理方法についてまで個別的な指示を与えたほか、含みのある決算方針を標榜して積極的に決算全般にわたり税法上容認されない経理処理を推進したばかりか、昭和五一年三月ころ、市議会などで明里用地問題についての疑惑が取り上げられそうな雲行きになるや、部下事務職員に対し、簿外資金化した別段貯金一億円を一旦引きおろさせて再び一般補助金として受け入れさせるなどの不明朗な工作を講じたうえ、同年七月末ころ、被告人天井の要望をうけるや、坪川均に命じ「確認事項」と題する書面を作成させ、証拠隠滅工作まで敢行しているのである。のみならず、同被告人は、覚書分一億円の逋脱を完遂するため、部下事務職員をして最も原始的かつ基本的な証憑書類であり、かつ、公文書である契約書、覚書の偽造を指示・実行させたものであり、しかもそれにも拘らず司法警察員に対しては別として検察官に対する取調べから公判段階の最後までその責任を、あげて部下事務職員に転嫁し、あまつさえ本件公判中、自己の罪責を免れるため市農協の常務役員であった坂本秀之および坪川均の両名に対し、逋脱の犯意を欠く趣旨の偽証をさせるべく執拗に教唆し、両名をしていわゆる代替資産に該当するとの認識でいた旨の偽証までさせたものであって、そのわるびれた態度は、厳しく非難されなければならない。以上の諸点にかんがみると、被告人柳沢の本件に対する刑責は、誠に重、かつ大であること明らかである。

次に、被告人天井は、民主化された地方自治制度を運用する地方公務員として市財政部長兼市公社常務理事という要職にあった以上、十分首長を補佐し、厳に利害団体に偏しない中立性を堅持のうえ、法令を遵守しつつ、それに適合して公平に行政を執行すべき重要な職責を負っていたにもかかわらず、無見識・無節操にも市農協上層部と癒着し、ついにはその忠実な走狗と化してしまったものであって、先ず、市農協が一億四〇〇〇万円という多額の脱税を目論んで契約方式を契約書と覚書といういわゆる二本立てとすることを要求してきた際、その意図を十分推察しながら安易にもこれを受け容れて二本立て契約を締結し、その後被告人柳沢や坪川均から実質的負担を県に転嫁せしめる一億円にものぼる理不尽な追加請求を受けるや、その終局的な負担者が市(市公社)以外の県(県公社)であっても所詮は公金の支出であることに変りがないことは明らかであるにもかかわらずこれに抵抗するどころか、全く唯々諾々としてその要求に追随し、市農協の利益代弁的立場から、豊住県総務部長らに対し、強引かつ執拗に転売代金を一億円積み増すことを要請してこれを承諾させ、更に昭和五〇年一月ころ、市農協の天谷開発課長からいわゆる天谷依頼を受けるや、これを承諾し、部下事務職員に対し公文書偽造並びに覚書記載の残金一億円および追加一億円に関する支払調書の不提出を敢行させたものであり、被告人柳沢と並ぶ一方の主役として極めて重要な役割を果していること、それのみならず、被告人柳沢らの要求に屈し、十分な経緯・事情を説明することなく市(市公社)は単なる斡旋者であるから何ら実質的な負担を負わないという、まさしく牽強付会の理屈でもって、うやむやのうちに大武市長の了解をとって追加一億円の早期支払を実現させ、又、昭和五一年七月末ころ県会で明里用地が問題化するや、坪川均らに働きかけ、自己の一方的見解を押し付けたうえ、公判段階では追加一億円の交付については、亡島田博道による市長査定方針に添った所産であると強弁し、他方二本立て契約や公文書偽造および支払調書の不提出による脱税幇助には全く関与しておらず、部下事務職員らがなしたことであると逃避するなど、自己が負うべき責任を、挙げて故人や下僚に転嫁する卑劣な態度に終始したものであって、行政の最高幹部職員として、こと明里用地問題に関する限り極めて不明朗な独断専行的な策動をほしいままにし、首長たる島田・大武両市長の信頼に背いたことはもとより、著しく公務員の中立性を逸脱し、地域住民の行政に対する信頼も裏切り、その信用を失墜させたことの責任は厳しく追及されなければならない。しかしながら、被告人柳沢は本件全般の最大起因となった当初の二本立て方式による脱税の発案者でなく、既にさいは投げられた後の継承者であって、当時の諸般の状勢にかんがみると、同人が一旦敷かれた路線の軌道修正をなさなかったことにも、それなりのやむを得ない事情があったと考えられる余地があること、戦後の農協制度の充実・発展にもかかわらず、それが内包する前近代的体質と国家・地方公共団体の公共財政に依存する甘えの財務構造は根深く、ともすれば政治家の集票田意識と結び付き、中立的行政を歪める利益集団としての動きを示すこともなくはなかったのであり、これは市農協とてもその例外たりえず、その発足の経緯から本件を生む禍根を胚胎していたともみられるのであって、それは、本件で市農協理事者らが被告人天井に対する働き掛けを正当化する錦の御旗とした昭和四五年一月二七日付島田博道市長と福井市農協合併対策委員長山田等との間で合意された市の農協センターの建設費に対する三分の一を下らない額の助成努力の合意覚書に象徴されているといっても過言ではないのであって、かかる曖昧な政治的妥協の所産物が様々な思惑を秘めた被告人らを含む本件関係者を狂弄せしめたことを否定できないのであって、ひとり被告人柳沢のみを責めるのはいささか酷に失すること、追加一億円についても被告人柳沢のみの画策に基づくものではなく、坪川均専務理事との共同によるものであり、県関係者の対応も徒らに文面上の非合理性を匡正するのみで、結局は被告人天井の不当な要求に屈しており遺憾な点が見受けられること、公文書偽造を企図・実行した目的も、本件を一貫して流れる脱税目的の完遂のほかに格別違法な企図があってのことではなく、脱税工作の一環であること、偽証教唆を除き各犯行は自己の私利私欲を追求したものではなく市農協の利害にとらわれたためであること、本件により昭和五一年九月三〇日市農協組合長の職を辞任し、有形無形の社会的制裁を受けていること、その最終陳述から反省の念も窺えること、昭和三〇年恩赦となった公職選挙法違反のほかに前科・前歴がなく、永年農協のために尽力し、その功績は大きく、又市議会議員、同議長として市政にも貢献していること、その他その年令などをも考慮し、被告人柳沢を主文掲記のとおり処断し、この裁判の確定した日から三年間その刑の執行を猶予することとし、次に被告人天井は、その資性もさることながらキャリアの行政官ではなく、戦後民間人から市役所幹部職員として登用されたものであるから、その政治性はともかく行政組織の一員として当然具備すべき中立性および堅実性の陶冶に不充分なところがあったことも否定し難いこと、当時における急激な土地価格の上昇傾向が続いている経済情勢の下で強力な圧力団体の政治力を背景にした市農協関係者のごり押しに毅然としてあらがい、その不当な要求を峻拒して行政の筋を通す合理的な対応で一貫することは、中立的・専門技術的な高級地方官僚たる被告人天井にとって当然果たされて然るべき事柄ではあったものの、安易に妥協し、やすきにつき勝ちなのも、これまた人性の一面である以上、実際には言うべくして行い難いことであったことも否定し難いこと、市農協の要求を容れて約九〇〇〇万円かさ上げした総額三億七〇〇〇万円余の購入代金はもとより、一億円釣り上げた県公社に対する転売代金もそれぞれ当時の時価と対比すると高額とは認められず、かえって相当低廉なものであったから、一応市公社および県公社に実質的な損害を加えたわけではないともいえること、市公社の筑田透常務理事が病身であったことなども手伝い、事実上明里用地の買収事務などが被告人天井の専断的処理に委ねられていた組織の最高意思決定の形式過程上の不備も看過できないこと、二本立て契約方式はもとより、公文書偽造および支払調書不提出も売り手として優位な立場に立ち、しかも前記昭和四五年一月二七日付覚書を盾に取りながら市農協側が持ちかけてきたものを受容した末の所為であり、二本立て契約方式やそれに伴う支払調書不提出にいたっては従前も公共用地買収に伴う強硬地主宥和対策の一環として、まま採られていたという実状があったこと、自らの不徳のためとはいえ、昭和五一年一二月六日本件の責任をとる形で企業管理者の地位を去り、洋々たる前途が閉ざされ、有形・無形にわたる多大の社会的制裁を受けており、この点は巻き添えを食わした被告人柳沢の比ではないと考えられること、市の高級幹部として手腕を発揮し、それなりに市政の発展に尽力したものであること、その他前科・前歴がないことなど諸般の事情を総合考慮したうえ、被告人天井を主文掲記の刑に処し、この裁判の確定した日から二年間その刑の執行を猶予し、被告市農協については信用雑費用、共済雑費、購買雑費、販売雑費、人件費関係については昭和五〇年六月二〇日に(五一三万四七〇〇円納付)、固定資産処分益関係については昭和五一年六月一日に(四六〇〇万円納付)、その他の反則科目関係については昭和五二年三月三一日に(六二四九万七七〇〇円納付)それぞれ修正申告し、同年四月四日までにそれに基づく納税を完納しているほか、昭和五二年以降不当な経理処理の是正・改善に努めていることが窺われるのであり、その他諸般の事情を総合考慮したうえ、被告福井市農協を主文掲記の罰金刑に処することにした次第である。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木村幸男 裁判官 中村直文 裁判官 堀毅彦)

別表(一)

修正損益計算書

自 昭和49年1月1日

至 昭和49年12月31日

福井市農業協同組合

No.1

<省略>

No.2

<省略>

No.3

<省略>

No.4

<省略>

No.5

<省略>

No.6

<省略>

別表(二)

修正損益計算書

自 昭和50年1月1日

至 昭和50年12月31日

No.1

<省略>

No.2

<省略>

No.3

<省略>

No.4

<省略>

No.5

<省略>

No.6

<省略>

別表(三)

福井市農業協同組合

<省略>

別表(四)

福井市農業協同組合

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例